第2話 オフトゥンこそ我が盾


「そうかい、本当に異世界ですかい。あの糞犬、次会ったら撲殺決定」


 しかし、まずは話を元に戻そう。これだけ巨大なドラゴンが相手となれば、きっと一撃で僕をほふってくれるはずだ。


 ならばもう考える意味はない。

 スポンと布団に潜り込んだ僕は、全てを諦め、眠りにつくことにした。

 この際、踏まれようが食われようが関係ない。死ぬならどっちでも変わらないのだから。



「グギャラ、ゴギャラ、ドギャー!」



 ドラゴンが叫んでいる。

 無視されたと思い怒っているのだろうか。意外と小さいことを気にする奴だ。

 イボイボでゴツゴツしていて、見るからにドラゴンな癖して。


 そんな時、時の流れに身をまかせて穏やか顔で眠りにつこうとした僕の耳に、また別の甲高い声が聞こえてきた。


 声の主は若い女のようだった。

 酷く慌てた様子で、微かに震えた言葉尻から、緊迫感が伝わってきた。



「こんなところで死ぬわけにはまいりません。私はこの『死霊の壺』を村の司祭様に届ける崇高な役目を負っているのですから!」



 女の声を掻き消し、ドシンとドラゴンが地面を踏み鳴らした。

 足元の僕ではなく、どうやらドラゴンは女を狙っていたようだ。吠える声は僕ではなく、少し遠くへ向けられていた。


 ウォォンという爆音が響いた。何かがなぎ倒される音がして、女がキャアと悲鳴を上げた。グツグツと何かが燃える音と焦げる匂いが漂い、僕はすぐに顔をしかめた。


 死ぬ前に吸う空気は、絶対に澄んでいた方がいい。

 せっかく静かな森の中で、朗らかな空気を吸っていたのにガッカリだ。


 煙はどんどん濃くなり、僕は布団の中でむせてしまった。

 ゴホッゴホッと咳き込めば、頭上で叫んでいたドラゴンの遠吠えが止まった。


 人には第六感というものがある、と聞いたことがある。

 背後から誰かの視線を感じたり、風の便りを感じたり。


 恐らくではあるけど、多分頭上のドラゴンは、足元で咳き込む僕を見ている。

 どうやら間違いない。そしてドラゴンに倒された女も、僕の存在に気付いた。


 森の真ん中で、こんもりと真っ白なオフトゥンをまとった僕。

 そんな僕のことを、稀有けうの目で見ないものなど、果たしてこの世界に存在するだろうか。


 かたわらに感じていたドラゴンの温度がゆらりと動いた。

 どうやら片足を上げたのかな。もう絶対潰されるじゃん。


 内臓が飛び出るか。それとも首がピョンと飛ぶのだろうか。

 死ぬのは一度経験済みだが、痛いパターンは初めてだ。


 まぁでも、ドラゴンが相手なら苦しみも一瞬のはず。

 スヤァと全部諦め布団の中で大の字になった僕は、どうぞ潰してくださいと待った。するとやっぱり、二秒もしないうちにドギャンと布団に何かが乗っかった。


 乗っかった。……確かに乗っかった。


 しかしどうだ。多少の重みは感じるが、痛くはない。そして辛くもない。

 体全体が押さえ込まれている気はするが、動けないほどでもない。

 形容するなら、中型犬が僕の布団の上に乗っているくらいの感覚だ。


 そうなると興味が湧いてしまう。

 潰されたのに痛くない。布団の中は、まだまだゆったりできる空間もある。


 僕はスポンと隙間から顔を出してみた。案の定、視界は真っ暗だった。ゴゴゴと目の前で何かが揺れていた。よく見ればドラゴンの足の裏だった。


 鼻息荒く僕のオフトゥンを踏み潰している。が、なぜか僕のオフトゥンとドラゴンの足の裏は、ほんの僅かに隙間が開いていた。


 某猫型のロボットは、足の裏と地面の間に微かな空間があったと聞いている。

 どうやらそれだなと納得しようとしたけど、まぁムリだよね。


 すぅーと足裏が頭上遠くへ上がっていく。そしてもう一度、ドンと目の前まで落ちてきた。びっくりして目瞑っちった。



「な、なんというむごいことを。森で咳き込む病気の罪なき民を踏み潰すなんて。私にもう少し力があれば、救ってさしあげられたのに……」



 女がすすり泣くように言った。

 やっぱり僕はドラゴンに踏まれてるのね。

 だけどおかしい。踏まれているはずなのに、まだ生きている。

 それどころか、目の前にドラゴンの足の裏をはっきりと見ている。


 しかしそれにしても、ドラゴンの足の裏は汚くて臭い。

 もういいから、さっさと足上げろよ赤色単細胞。

 色々思い出してイライラした僕は、下半身を包む幸福感と、燃えたぎる頭のイライラが混じり合い、思わず叫んだ。



『 さっさと足上げんかい、くせぇんじゃ! 』



 一喝。ドラゴンの足がビクッとした。デカい癖にびっくりしてやんの。

 しかしどうやら怒らせてしまったようだ。


 明らかに声高に叫びながら、ストンピングを繰り返すドラゴン。

 だけどなぜか足の裏は目の前で止まり、ふわっと漂う足の匂いで僕の顔がふぅぐっと歪むだけ。これはこれで地獄かよ。



「そんな馬鹿なことが?! まだ生きていらっしゃるのですか、でしたらすぐにそこからお逃げください、さぁ早く!」



 女の声が僕に逃げろと諭した。


 いや、……ないでしょ。布団から出るとか。

 布団から出ること。それは死ぬことと見つけたり。

 かの高名な武士もそんなことを言ってた気がする。やっぱムリ。でも臭い。



「早くお逃げください! あぁっ、いけません、ドラゴンが炎をっ!」



 女いわく、どうやらドラゴンが口の中に炎を溜めているようだ。

 火はオフトゥンの大敵。一発で燃えます。焼死確定!


 焼き芋の気分とは正にこれのことで、アルミホイール代わりにオフトゥンに包まれた僕は、どうやら最高の蒸し料理となり、昇天することでしょう。



「早く、―― ああっ?!」



 グウォンと音を立て、熱が一挙に押し寄せた。

 思わず目を瞑ったけど、今度もまた、少し暖かくなっただけでした。

 形容するならば、もふもふ中型犬のぬくもりが頬に触れているくらい。


 まぁそれでも、きっと火はつくので、そのうち燃えるけどね。

 ……と思いきや、どれだけ待っても火はつかず、燃えませんでした。



「そんな……、今度こそ消し炭に……。私にもう少し力があれば、救ってさしあげられたのに……」



 このアマ、さっきも同じようなこと言ってなかったか。

 救う気一切ねぇだろテメェ……。


 それにしても一体どうなっているのだろうか。

 全然潰れないし、全然燃えない。

 それなのに、焦げ臭いし、足裏は臭いし、なんなら全部が胡散臭い。


 イライラボルテージがますます溜まり、眠気だけがどんどん失せていく。

 僕にとってこれ以上の冒涜はなく、これ以上に殺意が湧くことはない。

 音が聞こえるほどひたいに血管をピクつかせ、僕は近所に必ず一人はいる迷惑な隣人のように叫んだ。



『 うるせぇ、寝れねぇだろうが! 』



 ドラゴンの足がビクッとした。二度目の癖に。

 図体デケェ癖にだっせぇの、ヘタレかよ。



「えええええええええ?!」と女が叫んだ。

「うるせぇぇぇぇぇぇ!」と僕も叫んだ。



 三者三様の奇声合戦を順繰りに繰り返し、いよいよドラゴンはです。もういいから、さっさと殺してくれ!


 翼をはためかせ、空高く舞い上がったドラゴンは、長い首をぐるんと巻き上げながら、口に巨大な炎を溜めた。そしてこれまでと比較にならない巨大な火の玉を吐き出した。


 ビル三つ吹き飛ぶほどの巨大な爆炎に、僕は安らかな笑みを浮かべながらうなずいた。これでようやく死ねる。ポム山ざまぁ、一昨日きやがれ犬畜生と。



「ああっ! 全てが、全てが燃えてしまいます!」



 巨大な炎を前に女が悲鳴を上げた。

 残念ながら貴女も手遅れです。ではともに参りましょう、天竺へ!


 しかしその瞬間、僕のオフトゥンが突然光を放ち、ふわりを浮き上がった。

 そして僕を包んだまま、神々しく輝きを放ち、縦に立ち上がった。



「……ナニコレ?」



 僕の意思とは無関係に浮き上がったオフトゥンは、炎へ向けて一直線に飛んでいった。そして巨大な炎を軽く突き破り、宙に浮いていたドラゴンの腹ごと貫通した。



 ―― その時、僕は思った。

 ―― 嗚呼、もうメチャクチャだ、と。

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