第7話 さくら
一年後 港東署
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「
「現場は勝鬨橋の北、築地本願寺付近。おい、出るぞ!」
三人の刑事が部屋を駆け出した。
先頭は昨年昇進試験を一発で抜けた香月。
26歳で部長刑事になり精力的にリーダーとして働きを発揮している。
「少し前まで請求書一枚にイライラしてたアレがねぇ」
「ここに来て仕事への向き合い方が変わりましたね。去年の夏くらいからかな」
「確かに変わったな、奴。えらく張り切ってるじゃないか」
「若いっていいですな、北畠警部補」
「うかうかしていられんぞ、吉野」
敷地内から走り出すパトカー。
北畠と吉野は目を細めて窓下を見下ろした。
「渋滞が酷いな」
「警告灯で直行すれば一般車両も巻き込みかねません。香月さん、一旦銀座を迂回します」
「・・・・・・」
「香月さん?」
「・・・了解、回ってくれ」
「─── ?週末はこの辺りも花見客でごった返しそうですね」
「そうだな、巡回を増やすことを警部補に進言しておこう」
あれから一年近くになる。
もうじき次の桜が満開に咲く。
あの人と離れて俺なりに考えた。
容姿、考え方、性格、生き方、立ち振る舞い、言動。
そして、性別。
俺はあの人の何に惹かれたのか。
あの日から銀座は何となく避けていた。
もしも見かけてしまったら、会ってしまったら自分がどんな行動をとってしまうのか予想がつかなくて怖かった。
だけど、仕事中も同僚と飲んでいても、悪友に騙されたコンパの席でも、ふと思い出すのはあの人のことばかりなんだ。
どうしようもなく惹かれてて、苦しくて切なくて夜に目が覚めることもしょっちゅうだ。
ここまで執着してると自覚したら答えは
「
しか出てこなかった。
答えが出れば行動は早かった。
俺は公務員だ。
安定してるが刑事は危険な職業だ。
あの人に安心して一緒にいてもらうためには手っ取り早く出世することだ。
仕事は必死にやった、苦手な報告書もその日の内に出し皆の嫌がる警邏も張り込みも進んでやった。
公務員試験以来に猛勉強をして昇進試験を受験。
年末に部長刑事になった。
ここから10年以内に警部になるためのマンダラチャートも部屋に貼った。
願え、願え、あの人に相応しくなれ、努力だ陽司!
・・・俺に覚えがあるとあの人は言っていた。
5千人の顧客名簿を記憶している銀座一頭脳明晰なママがどうして俺を?
自分の中にも引っかかるのがあったけど・・・何だったか思い出せない。
あれからもうすぐ一年 ───。
結論は出ているが、俺はあの人にどう思いを伝えるべきか悩んでいた。
「母さん」
「なに、陽司」
3月下旬、俺は半年ぶりに千葉の実家に帰っていた。
「結婚ってどんくらい金がかかるのかな」
「あら、結婚したい人がいるの?」
「いるけど、告ったけど、フラれた」
「なーに、情ないわねぇ」
「ちぇっ、途方もない高峰の花なんだよ」
「諦められるの?男ならキッパリ忘れるか、もっと自分を磨きなさい」
「諦めるかよ、鋭意ギラギラに磨いている真っ最中だよ」
「またフラれて泣いても母さん知らないわよ」
「泣くかよ、赤ん坊じゃあるまいし」
「何言ってんの、迷子になってワーワー泣いてた子が」
「迷子?俺が?」
「そうよ、確かまだ2歳になる少し前でね。桜が満開だった」
「桜・・・・迷子・・」
「大きい公園であなた迷子になって。
母さんが迷子センターに迎えに行ったら少し年上の男の子と一緒にいたのよ。
その子が泣いてたあなたを連れてきてくれたらしくてね」
迷子・・・年上の男の子・・・迷子
「泣いてるかと思って 陽司!って名前を呼んだのよ。でも母さん驚いちゃった。
あなたその子に頭を撫でられて笑っていたのよ。
それからしばらくは、“ 平気 良い子 ” ってよく言ってたわね」
── 平気、良い子
─── へいき、いいこ
「・・・母さん、それって
「違うわよ。その頃東京のアパートに住んでいてね。有栖川宮記念公園へよく散歩に行って・・・
ち、ちょっと陽司あなた急にどうしたの?」
香月はいきなり立ち上がると玄関に向かった。
「帰るよ!ありがとう母さん!!」
「ありがとうって、あの子ったらどうしちゃったのかしら?」
思い出した!思い出したんだ!
初めてあの人からの電話で受けた時の衝動を。
『 良かった。今、平気? 』
平気?全然平気なんかじゃない!
これはもう間違いない!
俺の頭を撫でてくれたのはあの人だった。
白い手、優しい声、黒い瞳、なんで気づかなかったんだ。
あの日からずっと好きだったじゃないか!
side:S
 ̄ ̄ ̄
「・・・いい天気」
シンプルなベージュのワンピースに白いカーディガンをはおり沙羅はゆっくりと歩く。
生まれ育った街はいつ来ても気分がいい。
実家は
公園内のソメイヨシノは今を盛りに咲き、枝の先の花房がゆらゆら揺れている。
「さくら、か」
はじめてホステスとして店に出るときに叔母がつけてくれた源氏名が「
『
叔母の笑顔、父と母の好きだった桜。
「いいな、みんな楽しそう・・」
家族やカップル、遠足の子供たちなど思い思いに満開の春を楽しんでいる。
ああいう幸せ、自分には無縁なのかと思うと寂しくなるが、自分には店やキャスト、スタッフがいてくれる。
「うん、平気。平気・・・」
魔法の呪文のように唱える。
苦しいことがあってもこの言葉をつぶやくと何となく元気になれた。
『良い子、あなたはとても良い子よ』
母はいつもそういいながら笑い、幼い自分の頭を撫でてくれた。
「懐かしいな・・・桜も公園も、何もかも懐かしい」
どうしてかな、沙羅は空を仰ぎながら子供の頃のことを思い出していた。
明るく賑やかな一団からそっと抜け出すように沙羅はゆっくり有栖川宮記念公園の北西へ向かって歩きはじめた。
side:Y
 ̄ ̄ ̄
「はぁっ!はぁはぁはぁ・・・・・・」
地下鉄広尾駅の駐輪場に愛車を預けて公園に向かって走った。
駅も周辺も花見客でごった返している。
「ここにいるなんて・・何の根拠もないけど・・・」
封印していたあの人の携帯番号へ電話をかけたが不在を虚しく告げるだけ。
何の手がかりもないまま香月は人波を縫うようにして有栖川宮記念公園の広尾口から広場方向へ向かって歩き出した。
あの日、迷子になった俺は管理事務所で母が迎えにくるのを待っていた。
広場に近い管理事務所の周囲を探したがあの人の姿はなかった。
今も公園内には迷子を捜す放送が流れ、親とはぐれた子供たちは不安気に迎えを待っているんだろう。
俺も、あの人もそうだった。
守ってくれる人の傍を離れた不安はあの人の手が癒してくれた。
今度こそ俺があの人を癒して守る。
俺は事務所の前を左に曲がり、桜の花が満開の広場に向かった。
side:S
 ̄ ̄ ̄
「川、水、川、水・・・時々桜・・・川・・・・」
人の少ない西側は渓流が流れて敷地
内の大きな池に注いでいる。
沙羅は誰もいないことをいいことに呟くように歌いながら上流に向かって慎重に歩く。
ごつごつした岩の傍らを子供たちが沙羅を追い抜いて走ってゆく。
「元気ね・・・。あ、もう三軒家口か。
あの子たちを追いかけて行ってみようかな」
沙羅はゆっくりと右の道へ歩き出した。
side:Y
 ̄ ̄ ̄
広場は家族連れや学生で大混雑だ。
場所柄か外国人の姿も多い。
そんな中でも頭ひとつ抜け出す長身の香月は目立つ。
大学生の女の子達が声をかけようか迷うように近づいて来たが、そんな香月の目の前に子供が二人飛び出してきた。
「なーなー、さっきのお姉さんすっごい美人だった!」
「すっげぇな、うちのパパより背が高くて!芸能人なんじゃね?」
すれ違いざまに飛び込んできた声。
美人、背が高い、芸能人?
まさか、まさかな。
東京には芸能人だって山ほどいるし、近くには外国大使館もあるから、という俺と。
あの人も何かを感じてここに来ているんじゃないのか、という俺とがないまぜになっている。
やがて香月の目の前に白く瀟洒な建物が見えてきた。
あれは・・・?
side:S
 ̄ ̄ ̄
子供たちの背中はあっという間に見えなくなってしまったけれど代わりに懐かしい図書館が見えてきた。
受験勉強はもちろん、本や図鑑を読みに毎日のように遊びに来た場所だ。
「懐かしい。そういえば最近は図書館に来ることもなかったな」
蔵書に囲まれているとホッとできて読書家の沙羅には大好きな安心出来る場所だ。
「ちょっと入ってみようかな」
沙羅は入館証を受け取るとホールへ滑り込んだ。
side:Y
 ̄ ̄ ̄
《都立中央図書館》
公園の中にこんなに大きな図書館があることに驚いた。
でも今日は桜の花見客ばかりで図書館に来る人は少ないだろう。
香月はもう一度子供たちの話を思い出して公園の西側に向かって歩き始めた。
が ──────。
全面ガラス張りの図書館の中。
満開の桜がガラスいっぱいに映り、その中をあの人が通り抜けていく。
恋焦がれた人を見間違えるわけがない。
濡れたような黒髪と黒い瞳、象牙のような白い頬。
一年前と何も変わらない美しい人。
いや、会えなかった時間の分だけもっと綺麗になった、俺だけの桜の樹。
俺は窓に駆け寄りガラスを両の掌で叩いて名を呼んだ。
「さ、くら・・・さん、沙羅っ、沙羅!」
side:S
 ̄ ̄ ̄
大きな窓から陽が射し込んで気持ちがいい。
絵本の多いここはコミュニケーションルームかな。
でも今日はみんな桜に夢中で誰もいないのね。
絵本さん、私も一人ぽっちだから一緒に読書しましょうか、なんて絵本棚を眺めていた。
一冊手に取ったとき、目の前の窓に誰かが立った。
逆光で顔が見えない。
窓に少し近づいて、そして足元に絵本が落ちた。
声を出しそうになって慌てて手で口を押さえる。
絵本を棚に戻し足早に部屋を出た。
早く、早く、早く行かなくては。
絶対に会ってはいけない、話してはいけない。
私の決意なんて
沙羅は入館証を返却ボックスに放り込み出入口の自動ドアが開いた、次の瞬間。
目の前に長身の男が両手を広げて通せんぼをしてるのに思わず後ずさった。
怒っている・・・思わず目を瞑り顔を伏せた沙羅は自分がふわりと抱き締められていることに慌てた。
「・・・あっ・・・あのっ・・・・・・!」
「捕まえた、やっと見つけた」
「こ・・・困ります、こんな所で」
「じゃあ場所を移しましょう。でも離しませんよ」
香月は沙羅の肩をしっかり抱いて歩き出した。
「えっ・・・ち、ちょっ・・・離し・・・」
「駄目です。俺は24年も待ったんですからね」
「24年って・・・」
「ほら、見えてきた。俺とあなたのはじまりの場所」
「一体何をいってるのか・・・」
二人の目の前に管理事務所の建物が見えてきた。
大勢の家族連れや恋人、友達同士の楽しい会話が溢れる広場の中をひときわ目立つ二人が寄り添って歩いていく。
「さっきの綺麗なお姉さんだ ── 」
少年が呟く。
こんな天気のいい昼間に、衆人環視の中を堂々と恋人同士のように歩く経験のなかった沙羅。
ほとんど香月に引き摺られるように足を動かしていても頭の中は真っ白だった。
香月は事務所の前で立ち止まると沙羅の右手を左手で握り直し建物を仰いだ。
沙羅もそれに
「ここで、俺は迷子になりました。24年前のちょうど今頃に」
そう言うと沙羅を見てにこりと笑う。
香月の明るい茶色の目を見た沙羅の中で、堅く閉じていた記憶の引き出しがコトリ、と開く。
薄茶色の目の可愛い天使・・・。
迷子の小さな男の子。
沙羅の両目の奥で、小さな手でバイバイした子と香月が重なった。
「・・・・・・まさか・・・こんなことが、まさか」
瞳から銀色の涙がこぼれ落ちた。
その涙を指先で掬いあげながら優しく答える、
「そうです、俺です。あの日あなたに初めて会った」
「・・・まさかあなたが・・・・・まさか
ようじ、くん ────?」
名を呼ばれた瞬間、俺の世界は煌めいた。
俺の名なんて知らないはずのこの人が俺を
迷子になったあの日、母さんが呼んだ俺の名前はこの人に24年の間、大切に抱いてもらっていたんだ。
こんな幸せが他に、どこにあるんだ。
「そうです、
「そんな、そんな偶然ってあるの?」
「あったんですよ、ずーっと会いたかった」
「ずっと・・・・・・」
「そうです。もう離さないと、迷わないと決めました。一年も待たせてごめん」
もう一度その腕の中に拘束される。
桜の花が揺れ、周囲の人たちも柔らかく微笑んで通り過ぎてゆく。
「これは・・・逮捕なの?」
「そうです。俺は制圧のプロですから」
可愛いジョークに思わず腕に力が入る。
はじめてこの人をしっかりと抱きしめる。
銀座で知らない人のない美貌の人が、俺の腕の中で全身の力を抜いて身体ごと預けてくれているのが嬉しくて幸せでたまらない。
「私の勝手な夢なら・・・覚めないで欲しい」
「夢じゃないです。あなたを愛しています。
この先、何十年後も一緒にいたいのはあなただけです」
彼の肩越しに見える、陽に透ける綺麗な茶色の髪。
迷子の可愛い “ようじくん” 。
でも私は・・・・。
私と貴方は・・・・・。
不安げに眉をひそめたこの人を見て腕を緩めた。
正面から両手を繋ぎそのままぐっと引いてその場に座る。
桜が肩に舞い落ちる。
「俺とあなた、同じ性なのを気にしてるのはわかります」
しっかり目を見つめて沙羅にだけ聞こえるように囁く。
「・・・・・・」
「それは変えること出来ません。
でも、あなたも俺も意識は変えられます」
「意識を、変える・・・・・・?」
「相手を思いやり愛情をもって生涯を共にすることがどうしておかしいのです」
「・・・!・・・・・・」
「花を好きな人、海を好きな人、色んな人がいるのは当たり前、普通ですよね。おかしいですか?」
「・・・香月さんは・・・」
「同じことです。誰もが自分の価値観の中で好きな人と結ばれます。
ほらね、あなたも俺も幸せになれるでしょう?」
「幸せに ── 私が ──?」
「なりましょう。俺への思いは、俺の近くで育ててください。
あなたの止まない
二人が振り仰ぐ、大きな大きな薄桃色の桜の木。
「あの日、俺を見つけてくれてありがとう、沙羅さん」
そして、私の両の手のひらにキスを落とす。
私の目を覗き込む薄茶色の綺麗な瞳。
「私を覚えていてくれて、思い出してくれてありがとう “ようじくん”」
柔らかそうなその髪に触れてそっと頭を撫でる。
あの日のように。
気持ちよさそうに目を閉じて、私に笑いかける。
そう、あの日のように。
あの日 会った小さな男の子。
バイバイって手を振った男の子。
桜の花の中から現れた、私の初恋の天使。
「帰ろう、沙羅さん」
「え・・・帰る ──── どこへ?」
「俺の実家。両親に会って欲しい」
「・・・イキナリなのね・・・・・・」
「もう、親父もお袋も妹もびっくりするよ。沙羅さんが可愛くって」
「か、可愛い・・・私が?」
「世界で一番可愛い」
「・・・////・・・」
「近いうちにENDLESS RAINの皆さんに俺を紹介してくれる?」
「そ、そうね、何だか動悸が・・・」
「結婚式はどこがいい?海外の教会、それとも厳かに神前もいいなぁ」
「・・・・・・」
「あ、、ごめん俺、バカみたいだった?あの・・・・・・引いた?」
「・・・嬉しい」
嬉しい、嬉しい、幸せすぎて幸せ。
何もかもが明るく輝いているよう。
ここに来た時は一人だったけど、今は二人で手を繋いで公園を出る。
俺は思い切り繋いだ手を振りたい気分だ。
「沙羅さん、バイクの後ろに乗れる?」
「バイクって、・・・この大きいの陽司くんのバイクなの?」
「大学の時に
「あの・・・陽司、くん」
「陽司でいいよ」
「・・・///・・・えっと・・・・・・陽司・・・くん」
「もうっ!なに沙羅さん、ん?」
「良かった」
「なにが?」
「あの日、迷子になって」
「もう可愛いなぁ。俺もだよ」
「あの・・・私、あの・・・」
「だめ、俺に言わせて。手紙で先を越されてるんだから」
肩を抱き寄せて耳もとに囁く、瞳と瞳が混じり合う。
「沙羅さん、愛しているよ」
優しく唇がふれる。
次話は「終章」です
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