第5話 理由

 高輪台 午前4時5分

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 すげぇ、高輪でしかもタワーマンションの最上階だ。

 35階って俺のアパートの部屋が3階だから高さだけで10倍以上。

 銀座のママの財力に度肝を抜かれた。


 セキュリティ万全の部屋は驚くほどクラブのママらしくない。とても簡素だ。

 フローリングこそ白いが家具は茶系、カーテンはグリーン。

 キラキラヒラヒラしたものなんかひとつも見当たらない。


 さっき ─── 。

 店で突如浮かんでしまった疑問が再び俺の胸の中でモヤのように広がった。


 あの人はリビングの布張りのソファに座ると溜息をついた。

 俺はもう帰らないといけないと、わかっていた。

 長居はこの人を苦しめるとわかっているのに、思えば思うほど俺はリビングの入口に足を縫い付けられたように動けなかった。



「こんな時間までごめんなさい・・・」


 頼りなげな小さな声。


「・・・俺は刑事ですから」


「そう、ね。お仕事とはいえ本当に申し訳 ─── 」


「・・・あのっ!・・・あの ─── 俺、バイクが趣味なんです」


「え ─────?」


 この期に及んで俺は何を言うつもりなんだ。

 でも、今しか、今夜しかない。

 そんな気が胸を押し上げてきて、この人が驚くのを承知で喋り続けた。


「バイトで金を貯めて高3の時に中古で中型二輪車二ーハンを買って。本当に楽しかった」


「・・・・・・・・・」


「バイク屋の店長を本当の兄貴みたいに懐いてた。沢山教わったし怒られたし、遠出とおでに連れてってもらった。楽しかった、なのに・・・・・・」


「・・・なのに?」


「兄貴は ・・・っ 。銀座のホステスに入れ込んで騙されて莫大な借金抱えた。大切なバイク店も手放した」


「 え ────── 」


「金策に明け暮れ、昼も夜もなく働いて無理をして体を壊しても働いて。夜中に女に呼び出された途中、バイクの事故で亡くなった。まだ40歳にもなってなかった」


「そんな・・・・・・」


「兄貴の人生をめちゃくちゃにしたその女と水商売を俺は許せない。心の底から憎んでいる」


「・・・・・・・・・」


 俺はその場にドスッと座り込んだ。

 膝を強く掴んで感情を堪える。


「でも・・・」


「・・・・・・・・・」


「あなたを見ていたらわからなくなった」


「・・・・・・・・・」


「水商売、銀座のクラブママ、俺が一番忌み嫌っている分類の人なのに・・・。

 俺と一緒に安いカレーを食って旨いって子供みたいに笑って。

 店に出れば誰よりも輝いているのに、誰よりも控えめで。

 裏方に徹してても目を引くオーラがあって。

 相当苦労しただろうに、でもあなたは汚れを知らない澄んだ目をしてて。

 それに・・・・・・」


「・・・・それに・・・・?・・・・」


 俺は息を吸い込んで一気に吐き出した。


「あなたは ───── あなたはとても綺麗だ。

 あなたみたいな人に兄貴が会ったならあんな事にならなかったのにって。

 でもだめだ、嫌なんだ・・・!」


 俺はかぶりを大きく振った。


「嫌、何が・・・」


「あなたを兄貴にすら会わせたくないなんて思っちまった・・・・・・。俺は、どうかしてる」


 あの人は切れ長の目を大きく見開いて俺を見ている。

 着物の襟をしっかり握りしめたまま。


 俺と変わらない身長、

 暴漢から助けた時に気づいた骨格としなやかで、でも芯のある肢体。


「あなたにどうしようもなく惹かれてる。

 知り合って2日なのにこの先何十年も一緒にいたいとここが叫んでいる。

 でも、出来ない・・・!」


 拳で自分の胸をきつく押さえながら、告白しながらそれでもやめられない。


 俺の口調で察したのだろう。

 あの人は唇を固く結んで下を向いてしまった。


 この人を苦しめたくなんてないのに、

 こんなに思いが募っているのに、

 俺はなぜ追い詰めるようなことをしてしまうんだろう。


「・・・・あなたは男性、です」


「 ───────!」


「俺も・・・男です。だから、、わかります」


「・・・・・・・・・」


「今の ──── まだ今の俺には大きすぎて頭の整理が追いついてない。どうしたらいいのかわからない」


 あの人は深く息をくとポトリと一言だけ、


「・・・そう・・・・」


 この人の素の声も深く静かで、そして悲しい。


「きっと深い経緯いきさつがある、必ず。あなたはそういう人だ。

 俺はそれを全部、全部を受け止めたい。なのにまだ俺にはまだ・・・・・・覚悟ができていない」


「・・・・・・・・・」


「ごめんなさい、沙羅さん。俺は弱い」


「それは、違い・・・・・ます」


「でも、でももう、一生忘れられないとわかってるんです」


「・・・それも、きっとない・・・・・・」


「沙羅さん。今から勝手なこと言います。でも一生の頼みです。俺に一年の時間をください」


「・・・一年・・・・・・」


「あなたを迎えに行きます。生涯をかけて、必ず」


 俺を見る、あの人の瞳から銀色の雨が滲み頬に降った。


《 ENDLESS RAIN 》はこの人そのものだった。



 あの人も何も言わなかった。

 俺も振り返らなかった。

 振り返れなかったのかもしれない。


 かわりにあの人の笑顔を、白い手を、揺れる眼差しを瞼の裏に焼き付けた。


 目を閉じたらいつでも会えるように。


 一年後、必ず答えを持って会いに、迎えに行くために。

 俺の内面を、矜恃をみがいてあの人の全てを受け止めるために。



 高輪台のマンションを出て夜明け前の街を駅へ向かって歩く。

 まだ星が出ている。


 夜明け前は一番暗いって何かの本で読んだ。

 今、あの人と俺は夜明け前の暗闇の中だ。


 でも、そうだ。

 どんなに暗くても朝は来る。

 今日だって間もなく夜が明ける。


 俺たちの夜明けは俺が呼んでくる。

 あの人との間の分厚いカーテンを開いてあの人を明るい太陽の元に連れ出す。



 始発電車が高架を走り抜けた。

 ビルの輪郭がオレンジ色に変わる朝、今年の桜は満開を迎えようとしている。


 どうかあの人に、沙羅に。

 桜の花弁俺の気持ちが届きますように。


 俺は走り出した。もう一分一秒だって無駄にはできない。



 数日後 渋谷 午後6時30分

  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


 あっという間に桜は散り、仕事はとめどなく降りかかる。

 あの事件は所轄が引き取り、俺の元には何の情報も入ってこない。


 寝ても醒めてもあの人のことばかり。

 何をしていても目を閉じれば、あの人の笑顔が、優しい声が、そしてあの夜に焼き付けたあの人の涙が、黒い瞳が俺の胸に溢れて迫ってくる。


 出会って数日で魂まで攫われた自分。

 沙羅さんが男性と理解している今も、日に日に愛しさはつのり、今となっては同性であることも好きな理由のひとつであるかのようだ。


 ここまで恋焦がれ狂おしいほどに会いたいと千切れるような思いを抱く人にはこれまでも、これから先もきっと出会えない。


 これはもう運命だ。

 あとは俺自身の問題。

 あの人を迎える覚悟、そしてもうひとつのけじめも ───── 。



 渋谷駅に近い待ち合わせ場所で俺は手のひらにのせた小さな真珠を見つめていた。


「お前も一人ぽっちで寂しかったな。彼女のところへ帰してやるから」


 待ち合わせは道玄坂に近いレストラン。レビューがいいと彼女はるかが行きたそうにしていた店。


 待ち合わせの時間、店外で待っていた俺は、背中にぶつかってきた重みにはるかだと気が付いた。


「香月さん、お待たせしました!」


「あぁ、急に呼んで悪かったね」


「このお店を覚えてくれてて嬉しいです。さぁ入りましょう」


 SNSで人気のハンバーグシチューの店、はるかは「好きなもの食べてもいい?」とメニューの上から大きな瞳で見つめてくる。


「いいよ、好きなもの食べてよ」


 香月もはるかと同じものを頼む。


「香月さんお酒は?」


「今日はやめておくよ」


「じゃ、私少しだけいい?」


「いいよ」


 熱々の料理とよく冷えたロゼワインが運ばれてきた。


 はるかは嬉しそうに料理を頬張り、今日の出来事や先輩婦警のいじわる、ここまでくる間に大学生と間違えられたとか、嬉しそうに香月に話しかける。

 香月も頷きながら話を聞き笑顔を向けていた、が。


「香月さん・・・寂しそう」


 コーヒーにミルクをたっぷり入れたはるかが呟いた。


「え?」


「何か私に話があるんですよね、たぶん」


「── あ ──。まずはこれ、返すよ」


 香月は胸の上着の内ポケットから小さなケースをテーブルに置いた。


「君のだろう?前につけていたの見たことがあるから」


「あ~、見つかっちゃった。これを捜しにお部屋に行きたいっておねだりしようと思っていたのにな」


「え?」


「真珠のピアス、は意味深なんですよ。知らないんですか?」


「・・・ごめん、知らない」


「そっかぁ。片方だけ彼の部屋に残してゆく。私の存在を残していく ──── って感じ」


 あぁ、なるほどなと香月が思ったとき、


「私の片割れ、香月さんのところから帰ってきちゃった。

 もう香月さんの部屋にも・・・香月さんの、ここにも」


 とはるかは自分の胸の真ん中を抑えて


「私はいないんですね・・・」


 そう言って眉を下げて無理やり微笑んだ。


 はるかの言葉に、俺はそんなに顔に出していたのかと驚いた。

 しかし、ここまで来たらきちんと話すのが俺の責任だ。


「君が悪いんじゃないんだ。俺がすべて悪い」


「ほら、今も。とても苦しそう。心に穴がポッカリあいてて寂しい笑顔です。

 でも香月さんの笑顔はそうじゃないんです」


「そうじゃない ──?」


「たっぷりの陽射しで周りの人も照らす明るいお日様です。私が好きになった大好きな笑顔は」


「俺は今、うまく笑えていないかな」


「はい。寂しいけど」


 悲しいけど香月さんを癒せるのは私じゃないんですね、といって冷めたコーヒーカップに唇をつけた。


「何も言えないよ。君は思っていた以上に人を見てるんだね」


「もう!違うよって言ってほしかったのになぁ。でもそんな香月さんだから好きになったんです」


「ごめん、本当に。俺は君を幸せにしてあげられなかった」


 ううん、と首を振り、テーブルに置かれたケースごとバッグにしまった。


「香月さんの胸に空いた穴をふさいでくれる人が、見つかったんですね?」


「──── まだ全然期待すら持てないんだけれどね」


「そっかぁ・・・どんな人なのかな。会ってみたいけど、まだ辛いな」


「はるか。君は本当にいい子だ。俺なんかよりいい男を見つけて幸せになってほしいんだ」


「もう!いきなり彼氏からお兄ちゃんにならないでください・・・。でもたとえお兄ちゃんでもいいから、そばにいたかった・・・な」


 泣き笑いのような顔をして小首をかしげる。

 香月はそっとはるかの肩を撫でた。



「ごちそうさまでした!じゃ、ここで私は失礼します!」


 店を出てぴょこんと頭を下げた。


「送るよ、車を停めるから待って」


「いえ、今日は電車で帰ります。ほらまだ9時前ですもん。それに、、」


「それに?」


「送ってもらって、部屋に一人で入るのが寂しすぎるから。ここでバイバイさせてください」


「はるか・・・」


「明日からはでお願いします香月先輩!」


「わかった。前沢はるか」


「じゃ、失礼します!」


 ピンと背筋を伸ばし敬礼、ペロッと舌をだしたはるか。

 香月は小さい後ろ姿が駅の改札の中へ紛れて見えなくなるまで見送った。


 女性は見事だ。

 俺も彼女に恥ずかしくないようにしなくては。



 ふと空を仰いだ。

 渋谷の夜空には星がひとつも見えない。


 あの人は ───

 沙羅さんは今、何を思っているのだろうか。

 どうか今日も幸せで・・・と祈らずにはいられなかった。



 次話は「告白」です。

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