第五話②

「イマミヤくん…」


 なに、と悔しそうに悔しそうに口をへの字にしたイマミヤくんはそれでもおずおずとした私の声に答えてくれました。


「あのね、ハナミね、とっくんしたんだよ。まいにち、まいにちとっくんしたの」


「…だからなんなんだよ!わるかったって!」


「ちがうよ。あのね、きいてよ、イマミヤくん。ハナミ、ふしぎなおじさんにあったの!その人に走り方を教えてもらったの!それでね、とっくんしたの!」


 だからね、今度イマミヤくんにも教えてあげる!

と私は続けようとしましたが、当の本人のイマミヤくんが意外なところに食いつきました。


「おじさん?学校であったの?」

「うん、そうなの!校庭のフェンスがやぶれていてね、そこから入ったみたい。あんなところから出入りできたんだねえ」

「あーあそこ、みんな知ってるよ。校庭に忘れ物したときにこっそり入れるんだぜ…。そんなことより、おじさんって何?」


 ひと月前の騒動を覚えていたさくら先生は、どうやらハラハラして私たちのやりとりを見ていましたが、別の内容に顔を青くさせました。そして、片付け始める校庭に残っている私たちに向かって、速やかに教室に戻るようあわてながら言うがいなや、職員室へとすっ飛んで行きました。

 そんなことにも気づかない私たちはまたおしゃべりを続けます。


「え?おじさん?あし、もっとはやくなるほうほう、知りたくないの?」

「それも知りたい!…けど。おまえさあ、おじさん好きなの?この前だって、ナカノ先生とおしゃべりしてたじゃん!」


 確かに、そんな事もありました。たしか、ダルマさんが転んだと自由作文について、ナカノ先生とおしゃべりしたのでした。

 けれども、私がおじさんを好きだというのはとんだ言いがかりです。


「べ、別にっ!好きとかなんかじゃないし!」


 ああ、幼き頃の私よ。

 幼きツンデレ娘と誤解される言い方だけはやめて欲しかったと、今の私は思いますよ?


 ◯●◯


 そのまた数日後、校庭のフェンスは修繕されて、イマミヤくんをはじめとするフェンスの破れ目から出入りしていたことがバレた子どもたちは、先生たちからひどくお叱りを受けたのでした。


 けれども。

 あの男の人は、誰だったのでしょう。

 今となっては、調べるすべもありませんし、私の記憶も定かではありませんから、考えても詮無いことです。

 けれども、私の記憶が確かであれば、あの男の人はびっくりするくらい良い靴を履いていました。

 ピカピカ光る革靴、などではありません。


 最新のランニングシューズです。

 それも、社会人になった今の私が喉から手が出るくらい欲しい、高品質な製品なのです。お値段も、お財布と何十回も会議をしなければならないくらいです。

 そのようなものを、どうして十数年前にほんのひととき出会ったあの男の人は履いていたのでしょうか。とても不思議で疑問だけが残ります。

 けれども…


 あの日に出会った不思議なおじさんへ

 私が走るきっかけとなったのは、そして、今も走り続けることができるのは、あなたのおかげなのです。

 ひょっこりと現れ「助けたい人がいる」と言って、のそのそと帰っていったあなたは、今どこで何をしているのでしょう。


 私にはとんと見当も付きませんが、あの秋の日の思い出はいつまでもいつまでもきらきらとあたたかいのです。

 そして、不恰好なおじさんは今日も私にとってのスーパースター、そのものなのです。

                               (終わり)

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