第四話③

◯●◯


「…きみは、他の子とは遊ばないの?」


「遊びたくない」


 再び私は、グラウンドの隅っこでひとりいじけていたことを思い出して、むすっとしました。ぽやぽやとしているおじさんは、首をかしげます。


「どうして?」


「だって、イマミヤくんがいじわるを言うんだもん…ハナミの足、おそいって。ぜってー早くなんないって」

 そう言いながら、今度は、私は悔しさを思い出して、すこしだけ涙がこぼれそうになりました。


「じゃあ、その運動会でそいつに勝っちまえばいいじゃんか」


「ええっ!むりだよ、だってイマミヤくんは速いんだよ。おじさんは、知らないかもだけど、イマミヤくんってね、リレーのセンバツっていうのに選ばれたんだよ」


 男の人は、「だからオレはまだおじさんの年齢じゃないっつーの」などとボソボソといいながら変な表情をしていました。うーんと唸りながら、おじさんは口を開きました。


「話を聞いていると、たぶんもう選抜リレーのメンバーは決まってるかもしれないけど…それとは別に全員参加しなきゃいけない50m走があるだろう?それで、そのイマミヤってやつに勝てばいいよ」


 きっと勝てるさ、とおじさんも無責任なことを言います。


「でも…」


「練習したら?走る練習」


「足って、練習したら速くなるの?」


「まあ、コツと体力さえあれば」


 ホント?と私は声を弾ませて、ぴょんと立ち上がりました。

「じゃあ、やる。ねえおじさん。どうしたら足が速くなるの?教えてよ」


 そこからの男の人の表情は、おかしなものでした。まるで、大きな駅にある電光掲示板のように、ころころと表情が変わるのです。


 まずは、びっくりしたような驚いた表情。そこから困ったようにウーンと唸り、眉間にしわを寄せてそこを指でごしごしとこすります。そして、諦めたような表情をして最後にはわかったよ、と言いました。

 ……私、そんな大層なことを言った覚えはありませんでしたけれども、どうやら男の人には何やら考えなければならないことがたくさんあったようでした。



 私は、じれったくなって、前にテレビで見た刑事ドラマに出てくる犯人のようなセリフを言いました。


「ねえ、おじさん。足の早くなる方法を教えてくれたら、ハナミの前にフホーシンニューした人がいても、ハナミは交番の場所わからなくなっちゃかもしれないよ?」


 まったく、幼い頃の私もたまげたことをいうものです。これでは、どちらが交番に行くべき人間かがわかりません。

 おじさんも同じように思ったのか、眉をぎゅっと寄せて、「悪かった、悪かったから」と言いました。


「…わかったよ、仕方がない。えっと、そうだな。じゃあ、ハナミちゃん。神社の場所はわかる?」


「えっと、階段がいっぱいあるところ?」


 私が首をかしげると、おじさんは、うんと頷きました。どうやら、おじさんはこの辺りにも詳しいようです。

 この辺りで神社といえば、規模は小さいながらも階段の数がとても多く、子どもだけでなく大人もお参りするのに一苦労といった神社のことを指しました。夕方になると、部活のユニフォームを着た体格の良い高校生たちがトレーニングをしていることもあるくらいです。


「そう、あの神社に、毎日お参りしてごらん。朝早くだったり、夕方遅くになったりするようだったら親御さんと一緒に行けばいい」


「それだけ?」


「うん。最初はしんどいかもしれないけど、だんだんと辛くなくなってきたら、早く歩いてごらん。最終的に歩かずに走れるようになったらすごいと思う」


「わかった!ハナミやってみるよ!おじさん!」


 どうもありがとう!と満面の笑みとともに感謝の言葉を述べると、「だから、おじさんじゃないんだってば…」と複雑な顔をしておじさんはうなずいたのでした。

 そのあと、おじさんは不思議なことを言いました。


「それと、もしそのやり方で勝てたなら、そいつにも教えてあげてほしいな。」


「え?」


「…そいつ、たぶん、ものすごく悔しがるだろうから」


「わかった!ハナミ、うんどうかい、かつよ!かけっこ、かつよ!そしたらイマミヤくんにも、おしえてあげなくもない!」

 私の偉そうな言葉におじさんは、あははと苦笑いをしました。


 そうして笑ったあと、おじさんははっとしたような表情をして左手を見ました。私からは見えませんでしたが、きっと時計でも見たのでしょう。


「ちょっと他にもいかなくちゃいけないところがあるんだ」


 助けたい人がいて…と続けたおじさんがテレビに出てくるようなヒーローでしたら、きっとフェンスを軽やかに飛び越えて学校を出ていくのでしょうが、残念なことにそのようなことは出来ないようでした。それじゃあ、と片手を上げたおじさんはまた破れた校庭のフェンスからのそのそと出て行くのでした。

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