第四話②

 しかし、私が眉をしかめる一方で、おじさんはキョトンとした顔をしました。

「え?……それだけ?」


 確かに、子どものなんてことのないケンカでした。けれども、私にとっては、いつもなら何杯もお代わりしてしまう大好きなシチューを一度もお代わりしなかったくらい、重大なことでした。


 このおかしな不審者のおじさんなら、私のしようもない怒りをわかってくれると思っていたのでしょうか。予想外の反応に、私は慌てました。


「でっ、でも!ハナミはおこってるもんっ!おこっているんだもん…」


 勢いよく、私がいかに怒っているのかを伝えようとしましたが、それもむなしく、だんだんと声は小さくなっていくばかりでした。


「そうか、きみは、えーっとハナミちゃんは悔しかったんだね?…え?ハ、ナミ…ちゃん…?」


 嘘だろ…とおじさんは呟きました。おじさんは、おどろいたためか、もうそれは目玉が転げ落ちてしまうのではないかと思うくらい、見開いています。 


「もしかして、カンザキ…ハナミちゃん?」


 それは、私に質問をしたと言うよりも、自分自身で確かめているように聞こえました。

 おじさんの時間ときが止まったように感じられました。

 怪訝けげんそうに首を捻る私も、おどろいた表情のおじさんも、ただ秋の風に吹かれてお互いを見ていました。


 校庭の中央で遊ぶ子供たちの歓声だけが遠くからよく聞こえました。

 私は沈黙が苦手な子どもでした。

 会話の最中に突如として現れるあの謎めいた沈黙に、恐ろしいほどの不安を感じることは今も変わりません。


 いつまでもおどろいたまま口を開かない(驚いた表紙にアングリとはさせていましたけれど)おじさんとの間の沈黙に耐えきれなくなり、私はその沈黙を破りました。


「どうしてハナミの名前を知ってるの?」


 ええ、幼い頃の私、よくぞ気づいた。

 その通りです。私とは今日が初対面であるはずのおじさんは、いったい、どうやって私の名前を知ったのでしょう。

(どこかで会ったことがあったのかしらん?)

 この時はそう思いましたが、でも、このおじさんとは今日が初対面でした。よく知らない初めて会った人が自分の名前を知っているなんて恐ろしい事です。

 私の疑問に、おじさんはいかにも「失言だ!」とでもいうように口元を女の子のように抑えてモゴモゴと慌てました。


「えっと、そっ、そのっ!…名札!付いているだろ?」


 それを見たんだよ、とおじさんはやっぱり慌てたように私の胸についている名札を指差します。

 確かに、私の胸元には小学生低学年専用の大きめの名札がついていました。


「それに、きみ、自分のことを名前で言っているから…」

 おじさんの段々と小さくなる言い訳がましい口調は、明らかに怪しく、もありなんといった調子でしたが、「おじさん、かしこいねー!」と上から目線な感想を述べた私は、それはもう深く納得していたのでした。


 不審者のレッテルをやすやすとがした私には、もうどうしようもないことでした。

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