第三話②


 ****

 おじさん、私が呼びかけた人は、自分に話しかけられているとは思わなかったようで、あたりをキョロキョロと見回し、というより、それどころか、一体どこから声が聞こえているのだろうかと首をかしげていました。


「おじさん?」と私が再び声をかけると、ようやく私の存在を認識したようでした。しゃがみこんでいる私をぎょっとしたように見下ろして、目をぱちくりとさせています。

 まるで、ミカちゃんちのハニーみたい、と思いました。ハニーは、ミカちゃんが生まれた時からいたというチワワのことです。


「おじさん…って、もしかして俺のこと?」


 こくん、とうなずいた私に、おじさんは「俺、まだそんな年じゃないんだけどな」などとやはり老犬ハニーに似た悲しそうな顔で何やらぷつぷつと呟いたような気もしますが、幼い頃の私にとってはどうだっていいことでした。

 おじさんの文句をまるでさわやかな春風のように聞き流し、好奇心旺盛おうせいな私は自分勝手に尋ねました。


「おじさんは、こんなところで何をしているの?」


「うーん。何をしているの、かと聞かれても…」


 おじさんの言葉をさえぎるように、私はポンと手を打ちました。小学校低学年の女の子が、そのようなおじさんくさい真似はしませんが、敢えて言うのでしたら、このような表現が正しいのでしょう。


 けれども、おじさんの返答を聞くより先に、私は、おじさんが入ったと見られる入り口を見つけてしまったのでした。おじさんの背後のフェンスは、とても古くいていて、おまけに子どもどころか、小柄な男性ですら通そうな大きさの穴が空いていました。どうやら、その破れた穴から侵入したようです。


 えーっと、その、昔を懐かしみにというか…、と続けるおじさんの言葉を聞かずに、幼いころの私は1つの結論にたどり着きました。


 そうです。


 不審者です!


 だって、校庭の破けたフェンスから、キョロキョロと辺りを見回しながら、フェンスから入ってくるのは不審者以外の何者でもないでしょう。

 お父さんがお酒を飲みながら見ていた、あの刑事ドラマに出てくる悪いやつ、その人です!


「おじさん、さては、ふしんしゃさん、ですね?」


「えっ!?い、いや、ち、ちがう、そんなつもりは…!」


 そのときの慌てふためくおじさんの顔ったら、もう、かわいそうなくらいでした。

 そんな様子のおじさんをよそに、私は確信かくしんを持って結論を導き出せたことに大変満足していました。


 こうして、私は、ようやく事件が起きていたならばとうに遅かった頃合いに、グラウンドの片隅で出会ったおじさんを不審者認定したのでした。


 *** 

 私が急に怪しみ出したからでしょうか。不審者、もといおじさん、つまりは小学校のグラウンドに不法侵入した男の人はあわあわと慌てふためいています。けれど…


 どうも、おかしな人でした。


 当時のまじめにかしこく避難訓練に参加していた私にとって、目の前に現れた不審者は、不審者というにはあまりにも不自然でした。

 包丁を持った人が学校に忍び込んでくる、という想定をして訓練をしていた私にとって、まるで危害を加える気のない不審者は拍子抜けするほどおかしな人物に見えたのです。


 しばらくの間、怪しむそぶりをしていたものの、おかしな不審者(不審者という時点で十分におかしな人ですが)に興味が湧いたのでしょう。今から思えば、「さっさとにげろ!」と書かれた黄色と黒のボーダーでチカチカする横断幕を振り回したいところですが、注意喚起をしてグラウンドを走り回りたいところですが、あどけなかった頃の私は不審者であることを忘れて男の人をじっくりとじっくりと見ました。 


 幼き少女にまじまじと見つめられる男の人は、明らかに困っていました。

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