第8話 夜のジョギング

 十月中旬の夜。

 あたしは中間テストも近いので珍しく勉強をしていた。

 丸川がまとめてくれたノートは本当に分かりやすいので助かる。

 これなら赤点なんて余裕で免れそうだ。


「それにしても変な奴だよな、丸川って……」


 ぽそっと独り言を呟く。

 気弱そうだけど優しい丸川の笑顔を思い出しながら、ボーッと窓の外を見た。

 ガラスにあたしの顔が映っている。


「あたしのどこがそんなにいいわけ?」


 確かに子供の頃から周りに可愛いと言われてきた。

 ギャルになればそういうことも言われなくなるかと思っていた。

 それはある意味当たっていて、ある意味間違っていた。


 これまで可愛いと言ってくれた人たちは言わなくなったけど、今度はチャラい人や愛が軽そうな人たちからは可愛いと褒められるようになった。

 まあ丸川みたいな例外もいるけれど。


 ピンポーンというチャイムがなり、思考が途切れる。

 時計を見ると二十時半。来客があるにしては遅い時間だ。

 対応をママに任せ、シャーペンを手にノートに向かう。


「夜分遅くすいません。リラさんのクラスメイトの丸川と申します」

「あー、あなたが丸川くん? いつもリラがお世話になってます」

「はぁああ!?」


 予想外の声が聞こえて慌てて玄関に駆け寄る。


「なんでうちに来るのよ!」

「あ、リラさん。こんばんは」


 見ると丸川は上下ジャージで首にタオルをかけている。

 恐らく中学の時のジャージなのだろう。

 デザインもダサいし、パツパツだ。


「これからジョギングに行きませんか?」

「はぁあ!? なに言ってんの」

「ダイエットには走るのが効果的ですから」

「行くわけないでしょ」

「いいじゃない。行ってきなさいよ」


 予想外にもママが丸川に加勢してきた。


「夜だよ? 危ないでしょ」

「あら? それは大丈夫でしょ。危険があっても丸川くんが守って──」

「あー、はいはい! もう行くからママはあっち行ってて」


 嬉しくてつい丸川が助けてくれた話をしてしまったのが仇となった。

 これ以上ママに話をさせるとろくでもないことになりそうだから、慌ててスニーカーを履いて外に出る。


「川沿いを走りましょうかか? それとも住宅街にします?」

「こんな夜中にわざわざ走るためにきたわけ? てか丸川の家ってどこなわけ?」

「僕の家はこの川の向こう岸ですよ」

「へ? 近所じゃん」


 言われてみれば丸川のジャージは隣の中学のものだ。

 そんなに家が近いとは知らなかった。

 というかあたしは丸川のことをほとんどなにも知らない。


「さあ行きましょう」

「あ、ちょっと待てって」


 準備体操をしてから川沿いの道を走り出す。

 走るのは久し振りだから脚が重い。

 でも息を整えながら夜風を切るのは気持ちよかった。

 走るといっても丸川はドタドタと遅いので早歩きより少し早い程度だ。


 五分も走っていると、段々と勘を取り戻して足取りも軽くなってきた。


「走るって気持ちいいですね」

「それ、苦しそうな顔して言う台詞じゃないから」

「この苦しさがいいんです」

「丸川ってドMまで併発してるわけ?」


 勉強でも料理でも敵わないが、走るのはあたしの方が上のようだ。

 ちょっと気持ちいい。


 川沿いの道が終わり、住宅街に入っていく。

 山の手のこの辺りは大きな家が多い。

 洋館のような家、庭というより庭園がある立派な日本家屋、デザイナーズマンションなとハイソな建物が並ぶ。

 でも緩やかな上り坂なので少しキツかった。

 懐かしいな……

 この辺りは中学の頃よく走っていたコースだった。


 順調に走っていたが、不意に足首に痛みを感じた。

 その瞬間、丸川が走るのをやめた。


「待ってくださいリラさん。お腹が痛くなってきた」

「しゃーないなぁ」


 丸川にあわせて走るのをやめた。

 正直走るのは辛かったので助かる。


「大丈夫?」

「情けなくてすいません。歩いていたら大丈夫です」

「無理しないでよ? 歩くだけでもいいんだし」

「リラさんはきれいなフォームですね」

「そう? 全然だし」

「野生の鹿みたいに軽やかなでした」

「なにそれ?」


 フォームがきれいなのは陸上部だった中学時代の名残だ。

 あの頃は毎日走っていた。

 足の怪我がなければ、今でもきっと走っていただろう。


「まあ初日から無理しない方がいいですもんね」

「は? なに初日って」

「明日からも毎日走るんですから徐々に慣らしていくんです」

「はあ? あたしは嫌だからね」

「こういうのは毎日しないと意味がないんですよ」

「勝手にやればいいじゃない。あたしは走らないから」

「痩せませんよ?」

「うっ……」


 確かに最近は少し太ってきた気がする。

 まあ夜中走るなら丸川がいたほうが安心だし、ペースもゆっくりだから無理しなくていい。



 汗もかいていたので家に帰ってたらお風呂に直行した。

 久し振りに走ったからふくらはぎや太ももの筋肉が張っている。

 バスタブに浸かりながらゆっくりと揉みほぐす。


 無駄のない筋肉質だった脚も、今はモチモチと柔らかくなっている。

 その割に胸にはあまり皮下脂肪が増えていない。


「なんだかなぁ」

「いい感じの子じゃない」

「うわっ!?」


 脱衣場からママの声が聞こえて焦った。


「丸川くんだっけ? 優しそうだしそのうえ賢そうで。ママは好きだな」

「へぇ。変わってるね」

「見た目だってまるまるっとしてて可愛いわ」

「見た目とかの問題じゃないの。スッゴい変な奴なんだから。雑に相手にしてても付きまとってくるし、お弁当は作ってくるし」

「素敵じゃない。ママも再婚するならあんな人がいいな」

「うげー。趣味悪い。絶対やめてよね」


 笑いながら拒否っておく。

 なんだか今日のお風呂はいつもより身体の芯から温まるような気がしていた。



 ────────────────────



 リラさんの隠された過去がチラ見えした今回。

 そして意外と近所に住んでいた丸川。

 夜のジョギングで二人の仲も次第に近付いていくことでしょう!







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