第15話 黒の煌めきと別れ


 ビリビリ、と空気が揺れる。

 魔力を含んだドラゴンの咆哮だけで身体が破裂してしまうかと思ったけど、そんなことにはならなかった。


「キミは、……何をしてるんだ」

「……師匠」

「安心するのは早い。まずは、やろうとしていたことをやり遂げるんだ」


 私を守ってくれたのは、師匠の結界だった。

 至近距離のドラゴンの咆哮を防げるなんて、師匠はやっぱりすごい。


「……このドラゴン、キミが助けようとしていることには気づいているようだ」

「え?」

「先ほどの咆哮もどうにかキミを傷つけまいとしていたようだが……まだ幼いドラゴンに、それはうまくいかなかったようだ」


 ――このドラゴン、こんなに大きいのにまだ子供なんだ。


 余計に「助けてあげたい」という気持ちになる。

 一体、誰にこんな傷をつけられたんだろう――本当に、ひどい。

 杖の先に魔力を集中させる。傷ついたドラゴンの核である魔石を覆うように魔力パテを展開させた。


「あ、あれ? ……色が、いつもと違う」


 出し方を変えたつもりはないのに、魔力パテの色がいつもと違っていた。

 見慣れたグレーではなく、澄んだ透明――これは一体。


「ドラゴンの魔力と混ざり合っているようだな。どうなっているのやら」


 師匠にもわからないことが、私にわかるわけがない。

 とにかく今は、この魔石の補修に集中しないと。

 ひび割れた部分を慎重に埋めていく。透明な魔力パテが入り込んだひび割れは、驚くことに、少しずつ修復されていく。

 大きく入っていた亀裂がなかったことになっていく。


「……想像していた以上だ」


 師匠も驚きに目を瞬かせていた。

 私も驚きだ――まさか、自分にこんなことができるなんて。

 ただ、いつもの魔術造形よりもすごい速さで魔力が減っていっているのを感じる。このままじゃ、修復より先に私の魔力が尽きてしまうかもしれない。


「師匠……魔力が」

「わかっているから、安心しろ」


 こつり、と師匠と私の額がぶつかった。

 そこからじわりと熱が移ってくる。魔力だ。

 師匠の夕焼けの色に似た魔力が私の中に入ってくる。すごい……なんだ、これ。


「魔力譲渡だ。ボクの魔力が混ざった分、魔力効率が下がるだろうから、いつも以上に魔力操作に集中しろ」

「……っ、はい!」


 師匠はそう言ったけど、私の感覚としてはいつも以上に魔力操作がしやすかった。

 驚くべき速さで、ドラゴンの魔石の傷がなくなっていく。


「終わった……?」

「ああ。あとはドラゴン自身でなんとかするだろう」


 魔石は完全な状態に戻っていた。

 ゆらり、とドラゴンが身体を動かす。その瞼がゆっくりと開いた。


「ごめんね。痛かったよね」


 話しかけてもドラゴンに反応はなかった。

 言葉が通じていないんだろうか。

 大きな瞳で私と師匠のことを交互に見つめて、くわ、と小さな声で鳴いた。

 そして、ゆっくりと立ち上がる。


「え、まだ動かないほうがいいんじゃ」

「セト。少し離れるぞ」


 師匠が私の腕を引いて、後ろへ下がる。

 数瞬後、突然魔力の気配が膨れ上がったかと思うと、昼間ほどの明るさが森を照らした。


「――わッ」

「すごいな。このドラゴンは……そうか。だから殺されそうに」


 光が収まると、ドラゴンの身体にあった傷はすべて治っていた。

 鱗が淡く発光している。

 その黒い煌めきに私は釘づけになる。


「綺麗ですね。この子」

「ああ。それに――おそらくは彼は、王の器だ」


 ドラゴンが私たちに向かって頭を下げた。

 金色の瞳がもう一度、私たち二人を見つめる。その眼差しから、感謝の気持ちが伝わってきた。たぶん、私の気のせいではないと思う。

 ばさり、とドラゴンが翼を羽ばたかせる。

 そのまま、そのゆっくりと巨体を宙に浮かせた。


「ドラゴンって翼で飛ぶっていうより、魔力で飛んでるんですね」

「そうだ。よくわかったな」

「……あの翼の大きさで、巨体を浮かせるのには無理がある気がして」


 でも、――本当に綺麗だ。

 背後で輝く夜の天体が、よりドラゴンの美しさを際立たせている。

 忘れられない夜になりそうだった。



   ◆◇◆



「しかし……旅立ちの前夜にとんでもないことに巻き込まれたものだ」

「……ほんっとうに、申し訳ありませんでした」


 翌朝、王都を発つ師匠を見送る。第一声に恨み言をいわれてしまったけど。

 確かに、昨日のあれは危なかった。師匠がいなかったら、どうなっていたことか。

 でも、あのドラゴンを助けないという選択肢は私にはなかった。


「まあ、面白くはあったな。こんな体験をしたのは、生まれて初めてだ」

「350年以上も生きてるのにですか?」

「君と過ごしたひと月は、それだけ濃密だったということだな」


 ――なんだろう。これは……なんか複雑な気分になるな。


「そんな顔をするな。楽しかったと言っているのに」

「……じゃあ、喜ぶことにします!」

「そうしてくれ」


 師匠は今日も上機嫌だった。

 さらりと長い黄昏色の髪を揺らして、楽しそうに笑っている。


「さて、じゃあ、餞別を渡しておこうか」

「餞別……?」

「キミのために用意した工房の鍵、それと次元魔法のかかった収納袋だ。ずっとほしいと言っていただろ? 時間停止の魔法もかけてある」

「おお! おおおお!!」


 ――アイテムボックスだー!!


 すごい餞別をもらってしまった。

 ここまでもたくさん助けてもらったのに、まさかそこまでしてもらえるなんて。


「まあ、工房は驚くほどの襤褸小屋だがな」

「一気に台無しにしないでください。それでも、ありがとうございます!!」

「また遊びに行く」

「お待ちしてます! なんなら、仕事をくれてもいいんですよ?」

「考えておこう。では、またな」


 師匠はあっさりとそう言うと、杖を掲げて大きく振る。

 普通に歩いて王都を出て行くんだと思っていたのに――これは、もしかして転移の魔法?

 ぶわぁっと大きな風が巻き起こり、その強さに思わず目を閉じる。


 目を開くとそこに、師匠――ルトゥカリの姿はなかった。

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