10
橋本の部屋は予想以上に整理整頓されていて、特に無駄なものもなく綺麗な部屋という感じだった。取り立てて目立ったもの——ぬいぐるみやフィギアなど——が置かれている様子もなく、整然としている。
部屋にスーファミやらのゲーム機の類もなく、来たからと言って特に目的もないまま、僕は引越し前の状況や、引越してから今までの状況など、他愛もない話をした。後見人というのがどういうことなのか分からなかったので、不躾とも知らずに聞いたりした。
「実際の親、というか家族はちゃんと生きてるんだ。ただ、俺自体は特別な体質を持ってて、あ、アルビノってこととは別な。で、その体質に理解ある人と暮らすのが互いのためってことで、山本さん主導の元、藤堂に引き取られた。今でも電話で話したりはするよ」
橋本は引き出しの上に置かれている写真立てを手に取り、それを僕に手渡した。写真には自然豊かな森や滝を背景に、仲睦まじい両親と、5歳くらいの男の子が写っていて、楽しそうにピースサインをカメラに向けている。男の子はアルビノではなく、普通に黒髪の子供だった。
「俺が生まれる前の家族の写真。一番写りが良いやつ選んで持ってきた。写ってるのは俺の両親と兄貴だ」
「ハッシーが写ってる写真はないの?」
「俺は……、写真とか苦手で、撮られるの嫌なんだよ」
そう言っている橋本の口調には、諦めにも似た何かが含まれているように感じた。
…………やっぱり。いろいろと思うところがあったが、いの一番に出てきた感想はそれだった。
ここまで来たら、聞いてみよう。
橋本の家に行くとなった時、小説を読んでもらうという目的よりもこちらの理由の方が優っていた。もしも逆上されても一対一だ、何とかなる。多分……。
「それは、本当は、写真に映らないとかじゃなくて?」
僕は慎重に、ゆっくりと問いかける。橋本は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに何事もなかったのような顔に戻った。
「写真に映らないなんて、そんな人間いるわけないだろ。何言ってるんだお前?」
「そう言うかもと思って、家から持ってきた。試しに撮って良い?」
僕は持っていた鞄からポラロイドカメラ を取り出し、机に置いた。ミーハーな父親に少し感謝だな。
橋本は冷たくカメラを見下ろす。その表情は、どのような心情なのか伺えない様相を呈していた。僕は構わず話を進める。
「不思議と思えたのは似顔絵の件から。何で人が書いた似顔絵を欲しがるのか、僕には少し分かんなかった。その後も鏡を避けるような行動を取っていて、ちょうど読んでいた本にタイミングよくその描写があって、もしかして。と思った」
橋本は黙って動かない、僕の話を聞いているのか聞いていないのか、分からない状態だった。
「そのあと、体育の時間の貧血事件。首元に湿疹が出来ていたり、君を夢で見たって言う倉持も倒れたりした。おそらくそれは、夢じゃなくて現実で起きたことなのかも知れないって思ったんだ。それから、藤沼が見た赤い光っていうのは、飛行体なんかじゃなくて、君のその目の色かも知れない……。そう考えると、君が来てから一連の騒動が発生していることも頷ける」
なおも彼は動かない。もうここまで来たら、一気に言ってしまおう。
「ハッシー。君はもしかして、ヴァンパイア……なんじゃないのか?」
核心をついた言葉に、彼は「馬鹿馬鹿しい」と言わんばかりに微笑を浮かべる。しかし、その一瞬前に少し表情を曇らせたのを僕は見逃さなかった。
彼は笑いながら言う。
「お前、小説の読みすぎで頭イカれちまったんじゃないか? ヴァンパイアとか、本当にいると信じてんのか?」
「僕だって現実的じゃないとは分かってる。でも、状況的に疑わしいのも事実だ。で、疑問を解消するのに手っ取り早く済ませる方法がある」
僕は机に置いてあったポラロイドカメラを素早く手に取り、適当に橋本の方に向けてシャッターを切った。
ストロボの光が一瞬光り、そのあとにジーと音を立てて黒塗りの写真が一枚排出されたのを手に取る。現像を急かすように、僕はその写真をパタパタと仰いだ。
「この写真に君が写っていればただの人間。だけど、写っていなかったら、ヴァ……」
ヴァンパイアだ。と言いかけたところで僕の体は床に叩きつけられた。橋本は目にも止まらぬ勢いで僕を押し倒したのだ。
眼前に迫る橋本の額には細い角が2本生え、アルビノで赤い目は淡い輝きを放ち、薄く開いた口から牙が伸びているのが目に入った。容姿の変化にも驚いたがそんなことよりも、叩きつけられた衝撃で肺から空気が抜け出している感覚に僕は恐怖を覚える。
「気を付けてはいたんだがな……。正解だよ。俺はヴァンパイアだ。どれだけ抑えても吸血衝動というものが、望む望まないに関わらず迫ってくる。普通の生活をしたいのに、それすらままならない……。ずっと我慢していた反動か、この間は一気に3人に手を出したのが悪かったのか」
普段の声と太い声が二重に重なる音が聞こえ、その声に僕は恐怖する。橋本は苦虫を噛み潰したような表情をしていたが、やがて口の端を歪めて微笑を浮かべた。
「お前一人分の血を全て吸ったら、多分1ヶ月は保つだろうな……。お前の死体は藤堂に山に運んでもらう。俺の家からの帰りに行方不明になったとして、数日後に遠く離れた山中で遺体として発見されるんだ。全身の血が抜かれた死体なんて、異常すぎて誰も俺のことを疑うなんてしないだろう」
そう宣言したあと、橋本は鋭い牙を僕の首元に突き立てた。皮膚を貫通させることに特化した牙がブチブチと皮を突き破る感覚が襲う。不思議なことに痛みはなかったが、それが逆に不気味だった。
傷口から溢れ出た血潮の存在を熱で感知し、それを吸い出すように唇が当てがわれる。ぬめぬめとした舌が傷口を這いずり、経験したこともない奇妙な感覚に襲われ、それがまた恐ろしかった。
そうか、僕はこのまま死ぬのか。と、なぜか他人事のように思うのと同時に、僕の背後からずっと暗い闇が迫ってくるイメージが広がる。それに飲みここまれた時、多分最期の時間を迎えるのだろう。
ボウっとした頭で抵抗する術もなく、急に来た眠気と寒気に襲われて意識が飛びそうになった時、橋本はバッと僕の身体から飛び跳ねた。
急にどうしたと橋本を視線で追っかけると、彼は近くに置いてあったゴミ箱に顔を突っ込み、そして
「……ッン! うおえええぇええッ!」
吐いた。それも盛大に。
カサカサ、ビチャビチャと吐瀉物が底にたまる音と、ビニル袋を揺らす音が聞こえ、普段真っ白な顔が輪をかけて青白く変化し、憎しみをともなった視線を僕に向ける。
「おま……、お前、一体何なんだ……!? ……ッ!」
橋本は肩を跳ね上がらせ、もう一度ゴミ箱に顔を突っ込み嘔吐した。いや、確かに血を吸われて死ぬのは嫌だが、この反応はすごいショックだ。そんなに不味いのか、僕の血は?
「お、おい! 大丈夫!?」
さっきまで襲われていたと言うのに奇妙な話だが、流石に心配になり橋本の背中をさする。彼は弱々しくも体をよじり、僕の手から逃れようと距離を置いた。
数回息を整え、落ち着いたのか、息も絶え絶えな様子で橋本はポツリと言葉を溢す。
「なんか、表現に迷うけど。雨の日とかで排水路に溜まったヘドロを煮詰めた様な感じの味」
「流石にそれを本人の目の前で言うのは酷すぎやしませんか橋本さん!?」
「いや、結構マジ。今まで何人もの血を吸ってきたけど、こんなに苦味とえぐみが濃い血は初めてだ。味もだけど匂いもひどい、台所の三角コーナーに置かれている野菜を三週間放置した後って感じで……。う、思い出しただけで吐き気が……ッ!」
三度、吐き気に備えてゴミ箱に顔を向けるが何とか耐えたようだ。肩で息をし、深呼吸を繰り返す。が、ついに限界を感じたのだろう、橋本はフッと目を細くさせ、その場に昏倒した。
倒れた向きが悪かったせいか、倒れた頭はしたたかに本棚に激突し、反動で中に入っている本がバサバサと大きな音を立てて橋本の上に倒れた。
数秒後、部屋のドア外からドンドンと大きな足音が近づいてくるのが聞こえ、そのまま勢いよくドアが開け放たれる。
「おいうるせーぞ! ワセリンでも塗っておかないと上手く入ら……って、おい、竜二!」
部屋の奥で本に埋れながら倒れている橋本を見つけ、藤堂はぎょっと目を硬らせた。正直、言葉の前半が何を言っているか分からなかったが、大変な事態が起きたのは理解した様子だった。
藤堂はそのまま僕の方を見返す。首元から流れている血を見て何か確信したのだろう、「ちょっと待ってろ!」と言って部屋を飛び出してから、数秒して戻ってきて消毒液とガーゼを傷口に当てる。
「と、藤堂さん。そんなことより橋本が!」
「あいつは頑丈に出来てるから多少放っておいても大丈夫だ。それよりもお前の方が危ない。血はどれだけ吸われた?」
その言葉で確信する。藤堂の言った言葉は、橋本がヴァンパイアだと知っていないと出てこないフレーズだ。後見人と言うことで少し気になってはいたが、やはり橋本の事情を知っていて引き取ったと言うことか。なぜそんなことをしているのか率直に疑問に思ったが、とにかく今は質問に正直に答えないと……。
「い、いや。ちょっと舐められた程度です。そしたら急に気持ち悪いとかで吐いて……」
「ってことは、ああなったのはお前の血が原因か?」
「……多分。ごめんなさい」
「……いや、謝ることじゃねえよ。まあ良い。とりあえず傷口は治療した。ちょっと後で痒くなるかもしれないが我慢しろ。で、問題はコイツだよな」
傷口の手当てを終えた後、藤堂は倒れ込んでいる橋本の方を見下ろした。
「びょ、病院とか連れてった方が良いんですかね……?」
「普通の医者に見せて分かるようなら良いんだが、何しろ普通の人間じゃないからな。……そうか、餅は餅屋か」
そう言うや否や、藤堂は部屋を飛び出した。僕もドアから顔を出し、藤堂を視線で追いかけると、何やら固定電話でどこかに電話をかけていた。相手が電話に出ないのか、しばらくしてから舌打ちして受話器を置く。
「ダメか……。ロクのヤツ、ツーリングでもしてるのか電話に出やしねえ。っても他に連絡先知ってる同族も知らねえし。あー、どうっすっかな。こんな状況山本さんに見られたらドヤされる」
「……私がどうかしたか?」
「うおおぉ!」
藤堂の影になっててよく見えなかったが、突然黒服に包まれた男が藤堂の傍からヌッと現れた。突然訪れた声に驚き、藤堂は大声を上げて体を跳ね上げる。その様子を、笑うでもなく男はジーっと見つめていた。
「噂をすれば影っていうのがアンタの特性とは言え、これはちょっと心臓に悪い」
「たまのコーヒーでも馳走になろうと思って入っても誰もいなくてな、竜二の様子も気になって二階に上がったまでのこと。で、竜二はどうした?」
藤堂はその場でしどろもどろになりながら、最終的には観念して山本さんという男性を部屋の中に入れた。入る際、山本はちらりとこちらを見つめたので、軽く会釈をしたが、興味が無いようで、何の反応も無くプイと視線をそらされてしまった。通常は失礼に思うところだが、なぜかこの人に関しては関心を抱かれなくて妙に安心してしまった。
そのまま本に埋まっている橋本を見下ろし、一度僕の顔をちらりと見て、もう一度橋本の方を見つめた。
「なるほど……。まあ食当たりみたいなものか」
食当たり……。その直結する原因は明らかに僕なわけで、ちょっとだけムッとした感情が湧いた。まるで僕の血が腐っているようじゃないか!
「山本さん、すみません。ってかこれ、なんとか何ないですかね?」
「そうだな。いっそのこと落ちるところまで落ちた方が楽かも知れん。これを飲ませて見ればどうだ?」
山本は一粒のカプセルを藤堂に渡した。藤堂はハッとした表情を浮かべ「助かる!」と言って早速、カプセルを橋本の口にねじ込んだ。
数秒後、橋本は数回の咳と共に意識を取り戻し、ゆっくりと体を起き上がらせ部屋の様子をグルリと見回した。藤堂はその様子に安心したのか「やっぱり青酸カリは効くな」とトンデモなく物騒なことを言う。山本も安堵したのか、表情を表には出さなかったが、一つ大きく息を吐いたのは目で見えた。一応、心配すると言う感情も持ち合わせていたことに驚く。
「とりあえず、当面の問題はこれで片付いたな。で、後は……」
そう言って、山本は冷たい視線を僕に向けた。睨むでもなく、微笑むでもなく、何の感情も抱いていないその表情はただただ薄寒かった。
気がつけば藤堂と橋本も僕の方を向いている。揃いも揃ってジッと見られていることに恐怖を感じるが、出入り口のドアの前には藤堂がおり、逃げようと走ってもすぐに捕まってしまうだろう。
どうしようかと思案している中、藤堂は僕を見つめながらポツリと言葉を吐いた。
「こいつを、どうするかだな」
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