約束の土曜日になるのは早かった。


 僕はその日までに書き終わった小説を見直し加筆などを行い、プリントアウトして約束の場所まで向かう。空はこれ以上ないほどの秋晴れで、乾燥した空気と明るい太陽が何とも心地いい。


 待ち合わせ場所の交差点に行くとすでに橋本は到着していて、建物の物陰に立ち、目立つ頭をこちらに向けて軽く手を振った。僕もそれに応えるように手をあげ、彼の元に到着する。


 橋本の住んでいる家はここから近いらしく、用水路沿いの道を先導して歩く彼に追従した。陽の光に当てられ、彼の銀色の髪が神々しい光を反射するのに思わず目を細める。


 歩いてしばらくすると、人通りの少ない田舎町にやや小さめの洋館が見えた。洋館の外観はある程度年代が経っているように感じられ、多少僕の家から離れているとは言え、こんな建物あったんだなと感心する。こんな洋館があるのなら幽霊屋敷ホーンテッド・ハウスと噂されてもおかしくないと思うのだが、そんな噂は聞いたことがない。


 橋本は「ここだから」と言い、迷うことなくその敷地内に入っていき、僕も多少躊躇しながらもその後に続く。


 案内されて入った玄関からは、喫茶店のような空間が広がっていた。ウッド調の部屋に小さい照明が何個も取り付けられており、右側にはカウンターが置かれ、左側には3台のテーブルが並んでいる。


 普通の玄関とかがあると思っていた僕は予想外の光景に面食らっていたが、橋本は「喫茶店みたいな家に住みたいって言って、改築したんだ。人が住むスペースは2階からだから」と注釈を付け加えた。


 僕らの来訪に気づいたのか、カウンターの奥から藤堂が顔を覗かせニヤリと笑う。
「お、竜二おかえり。んで、彼が例の、未来の大作家様か」
 お調子者と言った感じで持ち上げようとする言葉が何ともこそばゆい。僕は軽く会釈をして「お邪魔します」と言い、藤堂はそれに応えて軽く手を振る。

「おじさん、コーヒーある?」
 橋本がカウンター席に座り、隣の椅子を僕に勧めるので言われるがままに腰を下ろす。藤堂は「おじさんはやめろ」とぶつくさ言いながらもコーヒーを淹れ、カウンター側に周り僕らの前に差し出した。芳醇な香りが広がり、心地よい気分になる。


「ブルーマウンテンだ。砂糖とミルクはここに置いてあるから好きに使ってくれ。で、あるんだろ。見せてみろって」


 僕の右隣の席に座り、藤堂は待ちきれないと言った表情を見せた。馬鹿にしてやろうと言った感じもなく、純粋に興味があると言いたげな表情に多少救われる。


 鞄からプリントを取り出し藤堂に渡した。


「プロに見てもらうので、緊張しますが……」


「まあ、確かに金もらってるが売れっ子ってわけじゃないからな。小説は仕事の合間に書いていたのがたまたま商業化しただけで、本業はテキストライター」


「テキストライター?」


「雑誌に掲載する文章や、フレーバーテキスト、ゲームの文章作ったりが主な仕事。まあ、小説一本で生きていけるのは超人気作家様でしか無理って話だ。夢を壊して悪いな」


 藤堂は手渡されたプリントに目を向けた。微笑んだ表情から真剣な眼差しになり、文章を真摯に読んでいる。時折「なるほど、ヴァンパイアか……」や、「はっはー、すげえや」と言いながら、ものの5分で全部読み終えてしまった。まあ、それほど物語も長くなかったし、妥当な時間だと思う。


「まず改善点。結構説明不足が多いな。前提知識があることが当然ってなっているから、知らない人が見たらちんぷんかんな内容になってる。
 文章も単調かな、もっと色々な本に触れると良い。あと、書きたいシーンが先行して、そこに持っていくまで多少強引なのが目立つ。


 キャラ立ては良いかな。それぞれ個性的で良い。ヴァンパイアの特徴もよく調べてあるな。これ、今流行のライトノベルを参考にしたろ?」


 藤堂の指摘は的を射たものだった。


 数分読んだだけで何を参考にしたのかも分かるのかと感心するが、それは僕が単純なだけなのかも知れない。


 僕が頷くと藤堂は「だと思った」と言ってプリントを僕に返した。


「何にせよ、もう少し多くの作品を読むこったな。たくさん読めばそれだけ知識が増えて、扱える言葉も増えてくる。まだ若いんだから、今は色々と知るべきだな。ってか、その歳でなりたいモノがあるってのが凄えよ。なんかキッカケとかあるのか?」


 その質問に僕が口籠る。当然、女の気を惹きたいからだと素直に言えるわけもなく、僕が軽く視線を背けると、藤堂は何かを察したかのように「はっは〜ん」と言って悪戯っぽく笑い、右手を小指だけ立てて「これか!?」と迫ってきた。


「えっと、えー、はい、たぶん、そう」


「なんだよハッキリしねーな! 良いじゃねえか、惚れた女振り向かせるためってのも、充分良い理由だと思うぞ!」


 嬉しそうに僕の背中を藤堂はバンバンと叩く。後押ししてくれるのはありがたいが、後ろのクラスメイトにそれを聞かれ続けるのは恥ずかしいので、やめていただきたい。


 気になってちらりと橋本を見るが、別段特別な感情を抱くわけでもなく、「へえ」とでも言いたげな顔で僕を見返していた。


「いや良いなぁ。うぶだねえ。で、いつ告白するつもりなんだ?」


「こ、告白!? い、いや僕は特にそこまで考えてなくて、ただ、いまより少し仲良くなれたらなって……」


「おい冗談だろ!? お前がウジウジしている間に、その子に彼氏ができちまっても、お前後悔しないのかよ? 目の前でイチャつかれてチューしてるの見ても、耐えられるってんなら大丈夫かも知れないがよ」


「それはちょっと、嫌ですけど。今の関係を崩したくないというか……」


「告白して壊れるくらいの関係性なら、その程度で終わっちまう関係性だったってだけの話だろ。そもそも男女間の友情なんてもんは、どっちか片方でも恋心抱いている時点で破綻しかけてるようなもんだ。特に若い頃は色々と経験しとくもんだ。とにかく当たれ! 当たって砕けろ!」


 焚き付けてくる藤堂に僕はたじろいでいた。そもそも今の段階で告白しても玉砕するのは目に見えているので、無理に火の中に突っ込むようなことはしたくない。告白するにしても、もう少し段階を経てというか、成功率を上げてからでも良いと思っているのだが……。



 返答に困っている中、部屋の奥の方からトコトコと小さな影がこちらに近づいているのを視界の隅に感じ、僕はそちらに視線を向けた。


 小さな影は3、4歳くらいの女の子だった。
 細く長い髪はやや濃い灰色で、ビー玉を思わせる大きな目も髪と同じ灰色をしている。ピンク色のフリルのついたワンピースが何とも可愛らしかったが、その中でも一番目を引いたのは、精巧に作られた犬耳を頭に付けて歩いている点だった。一応見ると、人間の耳も付いている。


 女の子は藤堂を見ると「とうさまー」と言い足元に擦り寄った。藤堂も女の子を見てニンマリと笑い、「おー、紅葉。どうしたー?」と言いながら彼女を抱き上げて膝上に乗せる。腰の部分から犬の尾っぽのようなものが垂れ下がっているのもこの時分かり、どういう原理かブンブンと楽しそうに振っている。


「お子さんですか?」


「そ。俺の子。今年で3つになる。ほら、紅葉。お兄ちゃんに挨拶しなさい」


 紅葉ちゃんは大きな目をこちらに向け、「こんにちは」と言うと、ぷいとすぐ藤堂の胸に顔を埋めた。


「何だ紅葉。照れてんのか? すまんな。こいつ人見知りするタイプでな」
「あ、いえ大丈夫です。可愛いですね」


「手ぇ出したらぶっ殺す」


「いや、出さないですよ。こんな若い子」


 藤堂は笑ってたが、目の奥は笑って居なかった。この人、本気だ。


「よし紅葉。お父さんと遊ぼう。俺は自室に戻るから。あとは好きにしな。また新作できたら見せてくれ。じゃな」


 カウンター席から飛ぶように離れ、藤堂は腕に紅葉ちゃんを抱えたまま部屋の奥にある階段を駆け上がっていった。


 一連の流れに呆気にとられ、僕は橋本の方を見返す。彼は、もう慣れたもんだとでも言いたげに肩をすくめた。


「とりあえず、俺の部屋いくか」

 
橋本の提案に僕は賛成する。藤堂が淹れてくれたコーヒーを飲み干し、コップを流しに入れ、僕は先導する橋本の後を追った。

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