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見ず知らずの相手に言う話でもないとは理解していたのだが、田村さんには何故か伝えても大丈夫と思う確信があった。
別段優しそうだと感じる容姿では無いのだが、意思が強く頼り甲斐のある目をしており、話を聞く時も理性的かつ寛容で、僕らの話に口を挟まず、疑わずに黙って聞いてくれる。
「今後、状況説明は私が全部するので、久保谷さんは黙っててください」と、森田は僕にそう冷たく言い放つことも忘れてはいなかった。
ひとしきりの話を聞き終わった後、田村さんは「なるほど」と小さく言って手元に置いてある珈琲に手をつけた。(一応、何も頼まないのもアレなのでドリンクバー単体を頼むことにした)
「そこで、私が見た”なでなでシーン”に繋がるわけね……。森田くん、私もちょっと触って良いかしら?」
「はあ、大丈夫です」
多少不満気になりながらも、渋々と森田は頭を低くて田村さんに向けて差し出す。右手を伸ばして森田の頭に触れ、例の突起がある部分を軽くなぞりながら、田村さんは「なるほど」と感嘆した様な声を漏らす。
「
「き……、なんですか?」
聞き慣れない言葉に疑問符を浮かべ、僕はその言葉の意味を彼女に聞き直した。
「生成。生きるに、成長の成と書いて生成。女性が鬼に変貌する段階の一つよ。般若って知ってるでしょ?」
「あ、それはよく聞きますね。漫画にも怒った表情としてコミカルに描かれるシーンとかにも出てくるし、『るろうに剣心』でも、般若面を付けているキャラクタが出てきますね」
「ええ、それが『能面』の一種ってのは、流石に知っているわよね。般若というのは女性が鬼になった姿を現しているわ。で、それには段階があるの」
田村さんは右手をグーにして上げ、一つ一つ指折りで説明を開始する。始めに親指を起こして数えるドイツ式スタイルだった。
「まずは『
「なるほど、じゃあ、森田はこのままだと鬼になるってことですか?」
「それだけで済めば良いんだけどね……」
田村さんは意味深に言葉を切った。般若面というのは前からよく知ってはいるが、成長段階の一つだとは知らなかった。と言うかあれ、女だったのか……。ただの恐ろしい面だとは思っていたが、そもそも性別が割り振られているなんて思いもしなかった。
「般若はまだ成長段階で、最終形態があるの。それが『
「なるほど……。あの、田村さんはさっき、『女性になるのも頷ける』って言っていましたけど、どういうことですか?」
田村さんはキョトンとした表情をして僕を見返した。次いで呆れたように息を吐く。
「もしかしてとは思ってはいたけど……。貴方、こういう相談事受ける立場にいながら、『能』を知らないの?」
「すみません。日本の伝統芸能とか、そういうのには詳しくないんですよ……。僕の情報源っていうのは、大体がインターネットからの情報か、菊地秀行先生や京極夏彦先生の小説や、アニメの『ゲゲゲの鬼太郎』位のもので」
「……そう。まあ、あまり興味を持たれないジャンルであるのは確かだけど、怪談や怪異を扱うのなら学んでおいて損はないわよ。ほとんど、一般人である『ワキ』が、超常的な存在である『シテ』に振り回されるお話で構成されているし、そもそも『能』自体が神聖、神秘的なものとしての性質も持っている。
単純に超常的なお話だけに収まらず、室町時代から続いているのもあって、天皇即位を描いた『
「今度、勉強します。で、鬼と女体化に関しては一体……?」
脱線してしまった話を戻すため再度聞き直し、田村さんは「そうだったわね」と言って珈琲を一口飲むと、話を再開した。
「日本で『鬼の特徴』と言って大概の人が思い浮かべるのは、『頭から生えた角』でしょう? でも、角を生やすのは女性しかいないって言うのはあまり知られていないわ。
能面では角が生えている鬼は女型しかないし、般若面を使った演目も『
「なんだか、今の時代に高らかにそれを言うと色んなところで火が上がりそうな思想ですね……」
「そうね。でも古来から言い続けられてきた縦の伝承や、多くの人々に広まる横の伝承も、伝え残される位の謂れがある。それは、ある種の呪縛と言い換えても良いのかもしれない。
『嘘も言い続ければ真実』と言う感じで、広まり、話が残る。と言うことは、真実であれなんであれそれなりの力を持つことになるわ。
まあ何が言いたいかと言うと、本来女性が嫉妬深い生き物かどうかは別として、言葉として残っている以上、それが真実として定着してしまうくらいには伝承には力があるってこと。で、ここからが本題」
田村さんは一度言葉を切り、気を取り直すためなのか、一度腰を上げて居直した。
「通常なら、経過があってから、その結果へと結びつくわよね。食べすぎたから太ったとか、高所から落ちたから骨を折ったとか。それが世界の原理原則。
でも超常的現象、怪異である場合は『結果』と『経過』が反転することは間々あるの。骨が折れた、その整合性を持つために高いところから落ちた。とか、能にも『
森田くん、貴方は本来男性よ、それは断言できるわ」
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