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目的のファミレスに到着すると、店員がにこやかな笑顔で出迎えた。「お一人ですか?」の質問に対し、「いや、中にツレがいますので」と言って店内を物色する。
見回した限り森田の存在は確認できなかったが、遠くで小さく僕の名を呼ぶ声が聞こえ、そちらに目を向けると目深にパーカーのフードを被った女性らしき人物が窓際に座っていた。
僕が席に近づくとその人物はフードを外す。確かに昨日見た通りの森田ではあるが、全体的な印象に違和感を覚えた。怪訝そうな表情で彼を見つめる僕に対し、森田は小さく嘆息つくと、「今日は女の子の日なんです」と小さく説明する。
「その言葉を、本当に”その言葉の意味”のまま聞いたのは初めてだ」
素直な感想とともに対面の席に座り、森田を観察する。
言われてみたら、昨日より全体的に丸みを帯びたフォルムとなっており、顔も多少化粧っ気と言うか艶がある。胸部も……、心なしか少し膨らんでいるように見えるのは気のせいだろうか。
「…………どこ見てるんですか?」
「あ、いや。男の時には正直どっちかわかんないけど、女の時だと”女の子”ってわかるくらい変わるんだなって思っいてっ……!」
森田の爪先が僕のすねを蹴り上げたのが分かった。
「女性の容姿を言及するのは善かれ悪しかれ失礼です。その性の根を叩き、もとい蹴り直しました」
「そうか、確かに失礼だった。悪かったけど、蹴ることないだろ?」
「そうですか、すみません。ところで、女性らしく見えたってことですよね。私、どう見えますか?」
つい数秒前まで「容姿に言及するな」と言っておきながら、今度はそれに対して聞いてくるのか……。
「さっき”女性の容姿を言及云々”とかって言ってなかったっけ?」
「女性の容姿を”無断で”言及するのは失礼です。が、聞かれたからには答えるのが礼儀です」
そういうものかね……。下手に返答を誤魔化しても事態が悪化するような気もする。と言うか、コイツってこんな性格だったっけ? とりあえず質問に答えないと不味そうなので答えておくか。
「まあ。か、かわいい。と、思うけど……」
言い慣れない褒め言葉についつい口がどもってしまう。これで満足してくれれば良いんだが。
森田は少し考える様子で僕の言葉を反芻しているようで、ひとしきりウンウンと唸った後、軽く微笑む。
「…………許す」
とりあえず回答に満足したようで安心した。
ファミレスに来て何も注文しないのも店側に失礼なので、メニュー表に手を伸ばす横で、森田はそそくさとまたフードを被り始めた。
「おい、何でまたフード被るんだよ。屋内だぞ」
森田がフードに手をかけたまま硬直し、一度嘆息をついてフードを外した。森田は軽く頭を整えると、数秒考えた後、自身の頭頂部と右側の側頭部の境目あたりに指を差す。
「久保谷さん、ちょっとここらへん、触ってもらえますか?」
「え? 良いの?」
「まあ、やむなし」
森田の言い方に引っかかるものを感じつつ、僕は言われた通り彼女の頭に手を伸ばす。艶やかでさらさらとした髪の毛を分け入り、頭部の皮膚へ指が到着すると、物凄い違和感に襲われた。
何か、ある。
いや、人間なのだから頭皮の下に頭蓋骨があるのが当然なんだろうが、その形はすごく特徴的だった。柔らかい皮膚の下には硬く隆起した何かがあるのが分かる。周辺を指でなぞると、どうやら頭蓋骨から生えているらしく、全く微動だにしない。
「これ、……痛みは?」
「ありません。それに右側だけじゃなくて、左側にもあるんです」
空いている右手も伸ばしてもう片方の頭部にも触れる。確かに言う通り、ほぼ同じ大きさの”何か”がそこにはあった。
「これ、生まれつき……な、訳ないよな」
「今日目覚めたら出来ていました。こんなことは初めてです」
と言うことは、性別転換に続く新たなる症状と言うことか……。問題の原因が分からない以上断言できないが、変化していると言うことは悪い兆候と捉えた方が良いだろう……。
「あの、そろそろ……」「あら、何しているのかしら?」
調査に
スラリと伸びた長身に、腰まである長い黒髪を後ろで一つに束ねている。年齢は僕よりも少し上くらいか、20代後半くらいに見える。妖艶な美しさもありながら、何か力強い、絶対的強者を思わせる雰囲気が女性からは感じられた。
「久保谷さん、誰ですか、この女?」
「”この女”とは、とんだ言い草ね」
明らかに敵意の混じった森田の声を一蹴するように、女性は鼻で笑いながら森田の言葉を返した。
そうだ、思い出した。さっき大学で、松崎助教授と一緒にいた女性だ。名前は確か……。
「始めまして。私は田村美奈小。美しいと、奈良の奈に、子供の子じゃなくて、小さいと書いて、美奈小ね。よろしく」
女性が自己紹介を始めたので、それに続いて僕らも返答する。森田も敵愾心はある様子ではあったが、それを無視するほど無礼を働くほどでも無いようだ。
「森田一人……。なんと言うか、珍しい名前ね」
「まあ、よく言われます」
森田の雑な返答を気にするようでもなく、田村さんは何か考える様子で僕ら二人の顔を交互に見つめた。まだ何か用があるのかと訝しんでいると、彼女は薄くニヤけた表情を見せた。
「ところで、何してたのかしら?」
「ええと……。どう、見えました?」
くそ、忘れちゃいなかったか。どう言い訳をするべきか考える時間を稼ぐため、とりあえずで変な質問をしてしまった。
「そうね。彼女の頭をいやらしい手つきでこねくり回す彼氏と、それを満更でもなく恍惚とした表情で受け入れている彼女……。と言ったところかしら?」
「なッ!?」
確かに第三者から見て異様な光景だったろうが、そう見られていると知り顔が熱くなる。焦る僕とは対照的に、森田は淡々と反論を返した。
「前半は合っていますが後半は違います。恋人でも無いし」
「いや、前半も合っていない! そもそもコイツは男かもだし!」
「ちょ!」
ワンアウト。森田の静止する声もこの時は耳に入っていなかった。
言ってすぐに後悔の念が押し寄せた。森田の症状のことは公言しないほうが良いとは思っていたが、焦りで口が滑ってしまった。一瞬にして背筋が氷が這うように冷たくなり、僕の焦りに拍車がかかる。これが不味かった。
「……どう見ても女の子じゃない」
「いや、今日はたまたまそうなだけで、男の時もあると言うか……」
「ストップ、ストーップ!」
ツーアウト。焦っている時の言い訳は、だいたい更なる墓穴を掘ることになる。
「そういえば、”森田”って……。森田教授のお子さんよね? 松崎さんの言葉では、”御子息”と言っていたわよね? ”御息女”ではなく。…………なるほど」
スリーアウト。最後のダメ押しは意外なところから出てきた。その話も聞いていたのかと思っていると、田村さんは僕を押し除けて隣に座った。え? なんで?
「あの……」
「面白そうだから私も話を聞くわ。さ、続きをして頂戴」
完全にペースを掴まれ、彼女は新しいおもちゃを与えられた子供のような表情で僕らを見つめた。森田からはジト目で睨まれるも、諦めがついたようで小さな嘆息を吐くと、今までの事の経緯を田村さんに伝えた。
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