森田の家は僕の家から自転車で5分程度のところにあった。先日の会合でまどか母に送ってもらったときに、意外にも近くだったことに驚くいたが、考えれば同じ学区内だから、近くにあって当然だろう。

 道路脇の邪魔にならない場所に自転車を置き、家の呼び鈴を鳴らす。まどかは日中はケーキ屋のバイトがあるとかで予定が立たず、終わったら連絡すると言っていた。それまでの間、僕は一人で彼の家に行き、調査を進めることとなる。

 

 「お待ちしておりました」

 呼び鈴を鳴らして数秒もせずに玄関のドアが開く。こちらも予定時刻通りに来ているため、順調な滑り出しだ。

 お邪魔します。と軽く頭を下げ玄関の扉を潜る。森田は速やかに僕をリビングへと招待した。すでに準備が済んでおり、テーブル上にはいろいろな資料が積み上げられていた。

 興味本位でリビングを見渡す。大きな広間で開放感があり、居心地の良さを感じられる空間となっていた。全体的に綺麗に整頓されていて、点在する小物などにセンスの良さが感じられる。

 壁側に置かれている棚の上には写真立てが何個も飾ってあり、幼い頃の森田と並んですごく美人な女性が写っている。おそらく母親だろう、どことなく今の彼から彼女の片鱗が確認できる。


「とりあえず、出生証明書とか、昔のアルバムとかを用意しました。他にも必要なものがあったら言ってください。今、お茶をお出しします」

 森田はそう言ってリビングの奥にあるキッチンへと向かっていった。キッチンはオープンな作りとなっており、リビングからは薬缶に水を入れる森田の姿が確認できる。とりあえず僕は今日までで調べたことを彼に伝えることにした。


「一応ダメ元で調べてみたけど、人間の体で性別が変わる事例というのは、外科手術などの処置を行わない限りまず無理だ。そもそも哺乳類で男女の決定というのは受精時の性染色体で決まるから、受精後に性別が変わるというのは基本、ありえない。

 一方、哺乳類以外の話をすると逆に性転換というのはメジャな生存戦略の一つらしい。陸上の生物に対してはあまり報告事例はないが、サンゴ礁などを生態域とする魚には割とよくみられる現象の様だ。ただし、サメ、エイなんかの軟骨魚類からは報告の事例は今のところ無い。

 話を戻すと、アオウミガメやフトアゴヒゲトカゲは、産卵後の卵の周辺温度の変動で性別が切り替わる。通常は遺伝子通りの性別が生まれるが、一定気温より暖かくなるとメスに決定されるそうだ。

 ホンソメワケベラやブルーヘッドという魚は、ハーレム型と呼ばれる一夫多妻の群れを持ち、群の中で一番大きな個体がオスとなる。興味深いのは、オスが死亡したり行方不明などでいなくなった場合、群の中で残った《一番体の大きな個体》がオスとなり、ハーレムを引き継ぐと言った点だ。数年前に映画で『ファインディング・ニモ』ってあったが、あれの主人公の種族である《クマノミ》も性転換する魚類で知られていて、こちらも同じハーレム型だがこっちは一妻多夫制で、切り替わるのはオスからメスになる方だ。

 他にも、ネコゼフネガイという貝類の仲間も面白い特性を持っていて、群の中で《海底の岩に最初に固着した個体》が大きなメスとなる。その上に別の個体が次々と重なっていき、一番上の小さい貝がオスとなる。間に挟まれた貝たちはオスやメスにならず中性として存在し、一番下のメスが死んでしまうと、その上にいた貝が雌に成り代わるそうだ。これはダルマ落としなんて呼ばれたりもする」

「へえ、結構色々といるんですね。で、その中で何か役に立ちそうなものはあるんですか?」

 僕の口調からなんとなく分かっているのか、あまり期待を持たない様子で森田は返答する。まさにその通り、調べてみたが、全くなんの役にも立たない話ばかりだ。

「いや、全く。単に面白いなってだけの話」

 森田は「そうですか」とだけ言って、左側にある薬缶の様子を見始めた。僕もほぼ徒労にだけに終わった調査内容を報告し終え、何もやることもなく待っている時間もあれなので、テーブル上に置かれた用紙に目を通す。


子の名前:森田一人 

男女の別:①男

生まれたとき:昭和61年4月8日 午前2時38分

出生したところの種別:①病院

出生したところの施設名称:M病院

体重及び身長:体重:2,480グラム 身長:45.8センチ

単胎・多胎の別:①単胎

母の氏名:森田 椿 妊娠周期:満36周3日

・・・


 出生証明書にはこれと言って特段目立った異常は確認できなかった。取り立てて言うなら、少し平均よりも小さく、妊娠周期もやや早めに出産されていると言う点だが、このくらいならザラだろう。

 もう一度『男女の別』のところに目をやると、宣言通り、男として申告している。


「粗茶ですが」

 森田がトレイに急須と湯飲み茶碗2つを乗せて現れた。テーブルに茶碗を並べ、急須で交互に茶を淹れている。

「特に書類上には異常は見えないし、性別は男として出してるね。他に病院とかの記録はある?」

 当然あるものだと思って聞いてみたが、森田は何も言わずに首を横にふる程度だった。予想外の回答に面食らいはしたが、「お、そうか」と納得し別の方向からのアプローチをする。

「今日は森田くん一人?」

 見たところ現在、この家には彼以外の存在は確認できない。どこかに潜んではいないだろうかと思って聞いてみたが、彼の表情が軽く曇る。

「ええ。兄弟はいません。父は仕事で帰らないことが多いのと、母は……、中学の時に病気で亡くなってしまって」

「そ、そうか。すまない。できればご家族に話でも聞きたかったんだけどね……」

 軽く聞いた質問だったが、トンデモ無い答えを聞き出してしまったことにバツの悪さを覚える。すこし居心地の悪さも感じるが、森田は気にするでもなく言葉を続けた。


「そうだ。家族の意見で聞いて欲しいことがあるんです」

 森田は僕の斜め前、テーブルの角を挟む位置で住まいを正した。僕は続きの促すため、彼の顔を見返す。

 正直、彼の家に来たのは家族の意見を聞くのが目的だった。書類なんか見てもこんな特殊ユニークな現象が分かるはずない。

「正直生まれた時からこんな体質だったんで、それほど重大なことには思わなかったんです。でも漫画やテレビなんかでで僕と同じ症状の子の話は聞いたことがなく、疑問に思ってある時母に尋ねたことがあります」

「相当驚いたんじゃ無い?」

「いや、理論的に考えて赤子の性器なんてオムツ替えとかで毎日何回でも見るじゃないですか。この間久保谷さんが教えてくれた『マチヘンブラ』ならいざ知らず、僕は男児として申請しているんで、出るもん出てるって事です。だからある時、いや、か、にも見ているので僕の現象は認知していました」

「ああ……。それもそうか。でも、だったら病院の記録がないってのも変だよな。普通、我が子のペニスが消えてたら、誰でも焦って小児科か泌尿科に駆け寄りそうだけど……」

「ええ。今更考えるとそうなんですが、特に重要な事項だと思ってなくて。と言うのも、母にこの話をした時、あの人はこう言ったんです。『何も心配いらない、あなたはこのままで大丈夫』と……。なんの根拠もない言葉でしたが、なぜか妙に安心したことは覚えています」

 

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