Chapter25-5 聖剣の真意(1)

 雨が降っていた。ポツリポツリとしたたり始めた天の雫は、徐々に勢いを増していき、今やザァァァと大音声をだいおんじょうを響かせるほどに至っていた。


 分厚い雲が陽射しを、雨のカーテンが視界を遮る。鈍色にびいろせたの景色が、目前には広がっていた。


 いや、この場合、閉ざされたと表現した方が的確か? どこを見渡しても雨なんだし。


 そんな益体やくたいもないことを考えつつ、目に入りかけた雨粒を拭うオレ――ゼクス。同時に、短く溜息を吐いた。


 オレの今の気分を表すが如きうっとうしい雨だけど、ちょうど良かったのかもしれない。何故なら、戦場を真っ赤に染めていた血肉や生臭さを、一気に洗い流してくれるから。


 オルカに乞われて赴いた最前線は、報告された通り劣勢を強いられていた。新たに投入された敵の大群に、末端の兵士たちは文字通り吹き飛ばされ、討ち取られた部隊長も幾人か出てしまったらしい。


 聖王国軍が、今回の戦争における一番の被害を受けたのは間違いない。


 まぁ、そこは良いんだ。戦争なんだから当然の事態だし、軍人である以上は彼らも覚悟はしていただろう。悲しくはあっても、割り切れる。


 最大の問題は別にあった。戦線を崩壊させた新手の敵が、あまりにも非常識な存在だったんだよ。


 はたしてそれは、千を超える限界突破者レベルオーバーだった。


 色々と納得がいったよ。オルカ、ニナ、マリナ、ガルナという特級戦力がいて、どうして劣勢になったのか不思議だったけど、千人以上の限界突破者レベルオーバ―が相手なら当然の帰結だった。いくら彼らでも手が回らない。


 しかも、その限界突破者レベルオーバーたちというのが、九令式くれいしきも迎えていない子どもだったんだ。フォラナーダの面々ならともかく、他の連中はその容姿で油断してしまったんだろう。


 推測にはなるが、この戦力があるから、帝国は戦争に踏み出したのかもしれない。オレという特級戦力を神の使徒で封じ、他を限界突破者レベルオーバーの大群で圧し潰す。実に理に適った戦略だった。


 ただ、不可解なのは、いつまで経っても、神の使徒が襲撃しない点だ。子どもたちの討伐で消耗した今こそ、神の使徒がオレを叩くチャンスのはずなんだが……。


 このまま追撃がないようなら、限界突破レベルオーバーした子どもたちが、まだ大量に控えていると考えた方が良いだろう。


 でなければ、こんな無駄打ちみたいな運用はしない。聖王国軍を疲弊させるだけでは、さすがにコスパが見合ってないもの。最低でも、五倍の戦力が残っていると踏むべきだ。


「次があるのか」


 ずぶ濡れのまま、天を仰ぐ。漏れた声には、多分に溜息が混じっていた。


 当然だろう。今回の戦闘は、今まででもっとも気分の悪い戦いだったんだから。


 何が最悪かって、戦線を立て直すため、オレが子どもたちを葬らなくてはいけなかったことだ。子ども好きのオレが、子どもを殺す必要があるなんて何の冗談だよ。


 生け捕りにすれば良かったって?


 千を超える限界突破者レベルオーバーを生きたまま捕え続けるのは、あまりにも非現実的だ。本人たちの意思で戦場に立っているなら余計に。


 やろうと思えばやれるが、その分のリソースが削られる。それでは、今後予想される対神の使徒の際、本気を出せない。


 ゆえに、オレは断腸の思いで手を下すしかなかった。


 ただ、それらの要素を差し引いても、殺すしかなかったかもしれないが。


 というのも、魔眼で彼らを確認したところ、子どもたちの生命力や霊力が、かなり枯渇していたんだ。言い方を変えるなら、寿命が相当短くなっていた。


 おそらく、あのまま放置したら、一年も生きられなかっただろう。


 強くなればなるほど、それに応じた魔力が手に入る。当然、限界突破レベルオーバーした者の魔力は膨大。肉体の老いを抑制でき、寿命を増やせるわけだ。


 にもかかわらず、彼らの寿命は削れたままだった。


 つまり、もはや魔力では補填できないほど、子どもたちの内側はボロボロだということ。


 さすがのオレでも、朽ち果ててしまったものは元に戻せない。少なくとも、現時点で何とかできるすべは持っていなかった。


 だから、せめてもの情けに、自らの手で介錯した。ものすごく胸糞悪かったけどな。


「クソッ」


 舌打ちとともに、悪態が口からこぼれる。握り締められたこぶしは、雨とは別のもので濡れた。


 嗚呼、最悪だ。最悪以外の言葉が浮かばないくらい、最悪だ。帝国の狙いがオレへの精神的ダメージだったなら、見事に成功しているよ、クソ野郎。


「はぁ」


 水分を多く吸い込んだ白い前髪をすくい、何度目か分からない溜息を吐く。雨に打たれたお陰か、多少はクールダウンできた気がした。


 そろそろ、気持ちを切り替えよう。いつまでもウダウダしているわけにはいかない。


 【天変】を発動し、周囲一帯の雨雲を掻き消す。それによって視界は晴れ、泥に塗れた凄惨な戦場があらわになった。


 跡形もなく消し飛ばしたので、子どもたちの亡骸はないが、味方側のそれらは弔うために残していた。だから、後始末しなくてはいけなかった。


 まずは、無事な隊長格の確認。それから、各種命令系統の整備と負傷者の治療を行い、最後に遺体の回収だな。


 基本的には、参謀のアリアノートに任せれば良いだろう。というか、彼女のことだから、すでにある程度進めていると思う。


「ゼクス」


「どうした?」


 近づいてきたニナに応じると、彼女は告げてくる。


「アリアノート殿下の伝言。諸々の後始末はこっちでやるから、王都に戻っていいって」


 予想は的中していたらしい。ついでに、オレの精神的ダメージを考慮して、気を遣ってくれてもいる。


 お互いさまではあるが、こちらの行動が筒抜けなのは気持ち悪いな。


 内心で苦笑しつつ、オレは会話を続ける。


「何でニナが?」


 アリアノートが直接【念話】で告げれば良かったように思うが。


「これも伝言。『わたくしよりも、奥方と言葉を交わした方が心安らぐでしょう?』って」


「……さいですか」


 “奥方”という言葉が琴線に触れたのか、満更でもない様子のニナ。


 それに対し、オレは複雑な気持ちを抱いた。ニナの可愛さに癒されれば良いのか、アリアノートの良すぎる手際にドン引きすれば良いのか、反応に困ったんだ。


 とはいえ、ニナと話したお陰で肩の力が抜けたのは事実。本当に筒抜けだな。


「分かった。帰って休むよ」


「うん、あとは任せて」


 自身の大きな胸を叩くニナを認めた後、オレは手を振りながら【位相連結ゲート】を潜る。


 行き先は……王都で良いか。


 カロンたちの助太刀に向かおうかとも考えたけど、あのくらいの障害なら、助力しなくても乗り越えられるはずだ。


 オレと同じ苦しみを味合わせるのは忍びないが、ここはグッと我慢する。非常な現実から目を背けさせるだけでは、何も成長しない。それに、彼女たちはもう大人なんだ。つらい現実にも、しっかり向かうべきだろう。


 それはそれとして、この下衆な作戦を考案した奴は地獄へ叩き落すが。絶対に。


 今後やるべきことを心のメモに記し、オレは王都へ帰還する。


 そして、王都の別邸に帰還早々、外からけたたましい爆発音が聞こえてきた。おまけに、聖剣粒子の気配まで感じる始末。


 何が起こったのかは察してあまりある。だからこそ、無視するわけにはいかなかった。


 まぁ、“やるべきこと”と“やりたいこと”が一致するとも限らないわけだけど。


 泣きっ面に蜂とまでは言わないが、立て続けの厄介ごとに気が滅入るのは確かだった。


「休むはずだったんだけどなぁ」


 オレは肩を落としながら、再び【位相連結ゲート】を開いた。

 

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