Chapter24-1 卒業と進路(6)

 夜。夕餉ゆうげを済ませて満ち足りた気分のオレは、カロンとともに過ごしていた。【刻外】を展開しているため、完全に二人きりである。デートというほど大仰ではないが、それに近しい時間だった。


 逢瀬を楽しむこと幾許か。テーブルにあるお茶がほんのり冷めてきた頃合い。オレは、膝の上に座るカロンに尋ねる。


「一つ、気になってたことがあるんだ」


「何でしょうか? お兄さまのご質問でしたら、何でもお答えいたします!」


「嬉しい意気込みだけど、答えにくかったら、無理に答えなくていいからな?」


 気合十分といった様子のカロンに苦笑しつつ、オレは問う。


「朝、ダンがみんなの進路を訊いてきただろう? カロンだけ話してなかったから、少し気になったんだよ」


 ミネルヴァとの口論やダンとミリアのフォラナーダ落選が衝撃的だった影響で、彼女が語っていないこと自体、みんなの意識から外れていた。


 意図して作った状況ではないんだろう。ミネルヴァとのケンカは恒例行事で、ダンたちの事情もカロンは知らなかった。


 だが、あえて流れに乗ったのは否定できない。あの後、いくらでも明かすタイミングはあったんだし。


 一応、補足しておくと、カロンの進路はしっかり把握している。教会の手伝いに加えて、フォラナーダが自主的に開いている治療院や孤児院の経営に携わってもらう予定だ。要するに、今まで担っていた部門に、より専念するという形だな。


 この内容なら、特段口を噤む必要性はないように思う。ということは、彼女の想定している“進路の話”は、また別の何かなんだろう。


「別に責めてるわけじゃないんだ。将来を語るって、割と勇気がいることだからな。率先して話すのを躊躇ちゅうちょするのは、何もおかしくないさ」


 回答を強制するつもりは全然なかったので、フォローも忘れない。目の前にある金髪を優しく撫でながら、努めて柔らかい声で言った。


 それを受け、カロンは感心と苦味を混ぜたような、何とも複雑そうな感情を抱く。今の角度では見づらいが、表情も、感情に似たものを浮かべているに違いない。


「お兄さまには敵いませんね。ですが、良い機会です。お兄さまだけには、わたくしの夢をお教えいたします」


「再三にはなるが、無理しなくてもいいんだぞ?」


「大丈夫です。あの場で話さなかったのは、単純に気恥ずかしかっただけですから」


 こちらに振り向き、にっこりと頬笑んでみせるカロン。その表情からも、抱いている感情からも、気負っている様子はなかった。本心から、オレにだけなら明かしても良いと考えているらしい。


 兄として、恋人として、彼女の意思をとても嬉しく感じる。この子は、オレを愛で溺死させるつもりなんだろうか?


 そんな冗談を内心で思いながら、カロンの言葉に耳を傾けた。


 彼女は顔を正面に戻してから、おもむろに語る。


「先程も少し口にしましたが、わたくしが今からお話しするのは夢です。卒業後の進路というよりは、『いつか叶えたいと思う展望』と言い表した方が良いでしょう」


 夢、か。


 そのニュアンスから理解する。それは、ミネルヴァの『研究所の所長になる』という進路ではなく、オレが掲げていた『カロンの死の運命を覆すこと』やオルカの目指す『差別のない世界』といった宿願でもないと。


 おそらく、胸いっぱいの希望と細やかな願いが込められた、優しくて温かいものだろう。それこそ、眠った時に見るような、幸せに溢れた憧れだ。


 前置きの段階なのに、ほんのりと甘酸っぱい雰囲気が漂ってきている。確かに、この調子なら、人前では語れないな。「気恥ずかしかった」というカロンの気持ちも分かる。


 とはいえ、カロンが勇気を出してくれたんだ。オレは、黙ってカロンの話を聞くだけである。


わたくしは、子どもたちが伸び伸びと遊べる施設を、いつか立ち上げたいと考えているのです。遊ぶだけではありません。望めば、自由に学びを得られる。そんな場所を提供したいのです」


「初等学舎じゃダメなのか?」


「あれは平民限定の上、九歳以下は通えません。また、用途が勉学に限定されているのも、わたくしの理想とは少しズレます」


「つまり、学園就学前の子こどもなら誰でも利用でき、遊ぶも学ぶも当人の自由に過ごせる施設。それをカロンは望んでいるわけか」


「はい」


 オレが考えをまとめたところ、カロンは小気味好く返事をした。


 なるほどねぇ。大雑把に例えると、幼稚園と学童保育を合わせたような施設を、彼女は開きたいんだろう。


 確かに、その目標は夢だ。少なくとも、この封建社会においては。


 何故なら、貴族たちが渋るから。きっと『そのような施設を平民に開放するなど、言語道断だ』みたいな意見が寄せられるだろう。


 既得権益を得ている側というのは、それを脅かしかねない要素を広めたくないからな。平民には、ある程度不自由でいてほしいんだ。


 また、人材という点でも難しい。


 子どもたちが伸び伸び過ごすには、当然ながら監督役の大人が必要となる。しかし、現状において、それに対応できる者は少ない。未知の施設を運営できる知識人が、圧倒的に不足しているんだ。


 分かりやすくたとえると、保育園を開業したは良いが、保育士資格を持つ者がいないといった感じかな。


 現場が落ち着くまでは、不測の事態に備えて、多くの人員を投入する必要があるだろう。だいたい十年くらいは見積もった方が良いか。


 周りの反対を押し切りながら、たくさんの人員――賛同者を得なくてはいけない。何とも険しい道に夢を抱いたものだと、オレは内心で苦笑を溢す。


 ただ、否定はしない。カロンが本気で目指すというなら、オレはしっかり応援する。


 ゆえに、問うた。


「その夢を目指そうと思った理由を、訊いてもいいかい?」


 どこまで本気なのか、それを確かめるために尋ねる。


 オレが見定めようとしているのを、カロンも察したよう。一瞬真剣な表情を浮かべ、その後に少し頬を緩めた。


「ご存じかと思いますが、わたくしは子どもが好きです」


「そうだな。昔から、率先して孤児院の手伝いをしてたし、読み聞かせの本も楽しそうに選んでた」


わたくし、他人に何かを教えるのも、実は好きです」


「うん、知ってる。ダンたちに魔法を教えるようになって以来、希望する孤児院の子たちにも勉強を教えてるもんな」


「……本当に、よくご覧になっていますね、お兄さまは」


 問答を続けていると、カロンは若干嬉しそうに呟いた。


 オレは肩を竦める。


「当然だ」


 兄としても、恋人としても、カロンのことを把握していないなんてあり得ない。


 もちろん、ストーカーにならない程度には加減している。オレの能力的に、やろうと思ったら一から十まで詳らかにできてしまうからね。あくまでも彼女が公にしている、ないし表面上からも察知できる範囲に留めている。


 気持ち悪がられないか些か不安だったが、杞憂だったよう。カロンからは喜びの感情が窺えた。嬉しさを抑え切れないのか、体が僅かに揺れている。


「お兄さまの愛が感じられて、とても嬉しいです」


 いや、抑えるどころか、ストレートに伝えてきたな。何ともカロンらしい。


 彼女は、そのままの流れで言葉を紡ぐ。


「話を戻しますが、わたくしは子どもが好きです。ですから、もっと彼らに可能性を与えたいのです」


「現状維持はダメか?」


「はい。幼い頃は近所の子どもたちと空き地で遊び、初等学舎で基礎を学ぶ。それでも十分国は回っていますし、それはそれで利点もあるでしょう。ですが、今以上を求めます」


 わたくしは欲深いので、とウィンクしてみせるカロン。


 小悪魔風のカロンも可愛い――ではなく、その声音や眼差しから、その本気度合いが窺えた。


 彼女はどんな苦労が待ち構えていようと、夢に向かって突き進むつもりなんだ。自分が愛おしく想う子どもたちのため。……いや、次代へ続くバトンを、より良いものに変えていきたいのかもしれない。


 ならば、オレの返す言葉は一つ。


「カロンの意気込みは理解した。オレも協力しよう」


「本当ですか!」


 驚いて振り返るカロン。


 オレは「ただし」と補足する。


「全面的な支援はしない。できて、フォラナーダ領内での施設開業許可と土地の斡旋、あとは相談に乗るくらいかな? 他は自力で何とかするように。それはキミの夢なんだから」


「十分すぎます。ありがとうございます、お兄さま!」


 こちらの返しを、ある程度予想していたようだ。彼女に動揺はなかった。もしかしたら、支援ゼロも考慮していたのかもしれない。


 夢を語ったことで気分が高揚したのか、「まずは教員資格を取らないと」なんてブツブツ呟き始めた彼女。おそらく、直近のToDoリストを脳内で作成しているんだろう。


 すっかりデートの雰囲気は散逸してしまったが、これはこれで良いか。カロンが楽しそうにしているんだし。


 その後、オレは彼女の頭を静かに撫で続けた。彼女の気分が削がれないよう、細心の注意を払いながら。

 

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