Chapter13-1 港町・築島(1)

 太陽がギラギラと照る炎天下。頬を撫でて白髪を揺らす潮風に、オレ――ゼクスは目を細めた。


 塩気や生臭さ、その他いろいろ混じり合った独特の香り。ヒトによっては忌避するんだろうが、オレは嫌いではなかった。感覚的なことだから言葉に表すのは難しいんだけど、こう……『嗚呼、海だな』という実感が得られて嬉しくなるんだよ。


 オレの好みの話はさておき。話の流れから分かる通り、オレたちは海へ訪れていた。聖王国北部の沿岸部ではなく、つい最近に聖王家の直轄領となった港町・築島つきしまである。


 遠姫とおひめが引き起こした事件によって聖王国の飛び地となった築島つきしまは、大陸より南西に飛び出した地形をしている。具体的に言うと、南から西にかけて海と面しており、残る北から東を常立国とこたちのくにと隣接していた。意味は微妙に異なるが、陸の孤島と表現しても良いかもしれない。


 本来なら他国を通過する、または海を渡らなければ辿り着けない。いくら海産の多く取れる素晴らしい土地とはいえ、聖王国にとっては扱いに困る場所のはずだが、実際は違った。オレたちフォラナーダが事業展開した転移の魔道具――『転移門』の存在があり、距離の問題を考えずに済んだんだ。


 お陰で、王宮側は税収や海産物による収入が増え、貴族派はおこぼれの利益を得られ、フォラナーダ陣営は『転移門』の利用料を獲得というウィンウィンの結果となった。


 ある意味、遠姫とおひめたちには感謝しても良いかもしれない。仕事が多少増えたものの、それを上回る得をしたわけだし。


 ……趣味の悪い冗談だったな。犠牲者のことを考えれば、感謝なんてできやしない。以後、気を付けよう。


 閑話休題。


 どうして、オレたちが築島つきしまを訪問したのかと言うと、理由が二つあった。


 一つは視察のため。領地獲得より一ヶ月経った現状を、責任者の一人として確認しにきたんだ。警備に関してはフェイベルンに任せていたので、暴動の類は一切起こっていないけれど、この辺りで蠢動しゅんどうがないか確認した方が良い。


 もう一つは、夏のバカンス兼クラブ合宿のため。


 急に俗物染みた理由になったって? 仕方ないだろう、カロンたちに懇願されたら断れない。


 無論、譲れない一線はあるが、今回はそれを超えてはいなかった。


 割譲したばかりの土地ゆえに不安の種は残っているけど、オレたちフォラナーダを害せるレベルではないし、フェイベルンの連中が巡回している。念を入れて集団行動も徹底させるので、問題はなかった。


 言い方は悪いが、悪意を誘き出す誘蛾灯にもなる。今後を考えると、警備が一番充実している今のうちに対処した方が良い。


 補足しておくと、これらの説明はカロンたちに伝達済みだ。それでも行きたいと答えたので、決行したのである。


 オレとしては『そこまで乗り気になるほどか?』と首を傾いでしまうんだが、彼女たちの生い立ちを考慮すると仕方ない部分がある。何せ、いつものメンバー全員が内陸出身かつ海へ足を運んだことがない。海へ並々ならぬ情熱を抱いているんだろう。


 幸い、北部とは違って、築島つきしまは海水浴も十分楽しめる気候だ。彼女たちの期待には応えられると思う。


 というわけで、フォラナーダ組に加え、モナルカ第三皇子を除く『アルヴム』のメンバーで築島つきしまへやってきた。残念ながら、モナルカは国に戻る予定があって不参加である。


「お兄さま、お兄さま。すごい広いです! これが海なのですねッ」


 黄金の髪を振り乱し、たいそう興奮した様子を見せる美女は、オレの最愛の妹カロラインだ。海と対面したことが余程嬉しかったらしく、最近は鳴りを潜めていたお転婆な一面が表に出ていた。


 大人なレディのカロンも良いけど、子どもっぽい彼女も大変可愛らしい。脳内フォルダに永久保存である。


「本当に大きな水たまりなんだ。すごいなぁ」


 呆然と言葉を溢すのは、オレの義弟であるオルカだった。黄緑の双玉を目いっぱいに開き、狐耳と尾をピコピコと忙しなく揺らしている。


 その姿は愛らしい女の子にしか見えないんだが、れっきとした男の子なんだよね。とはいえ、可愛いものは可愛いので、気にしないことにする。受け入れると決めた時点で、いろいろと手遅れだし。


「あれが全部塩水らしい。不思議」


 オルカのセリフより続くように答えたのは、狼獣人のニナ。


 普段は無表情かつ凛とした雰囲気をまとう彼女だが、今は若干頬を上気させていた。尻尾もゆっくり揺らしている。前の二人同様、海を目にして感激しているらしい。


 もありなん。幼い頃のニナは、本を読むことで世界を冒険していた。未知の場所へ人一倍興味があって当然だった。


 この三人の反応だけでも、築島つきしまの『転移門』を、海を一望できる丘に立てて正解だったと実感する。災害対策が本質なんだけど、こうして観光客が楽しめる方向にも気を遣ったんだ。


 そして、はしゃぐのは、何も彼女たちだけではない。


「すげー! 水がいっぱいだ」


「ホントに海に来ちゃったよ! すごいすごいッ」


「ふわああああ、これが海かぁ。大きな湖くらいなら見たことあるけど、想像以上のスケールだ」


 幼馴染み組のダンやミリア、新入生のアルトゥーロも身振り手振りをしながら驚いていた。いつものリアクションも大仰な面々なので、ことさら反応が大きい。周囲の注目を一身に浴びるほどには大きい。


 まだまだ一般開放は先だが、行政側のヒトは何人もいるんだよね。騒ぐ三人に怪訝な視線を向けた後、オレの存在に気づいて、ギョッとして頭を下げるまでがテンプレ。


 当然ながら、妙な注目に不快感を覚える面子もいる。


「お兄ちゃんもミリアも、恥ずかしいから止めてよ!」


「この馬鹿アル!」


 幼馴染み組最後の一人であるターラがダンとミリアを抑え込み、アルトゥーロの幼馴染みの新入生モーガンが彼の頭を思い切り叩いた。


 うん、さすがに対応が手慣れているな。あっちは二人に任せよう。


 これ以上騒ぐならオレが止めようと考えていたけど、その必要はなさそうで安心する。


 すると、いつの間にか隣に立っていたミネルヴァが溜息を吐いた。


「海を見ただけで騒ぎすぎなのよ。はしたない」


 漆黒のツインテールを揺らしながら、彼女はヤレヤレと肩を竦めた。


 呆れた様子を見せる彼女だが、内心では割と興奮気味だった。ツンデレ節は健在らしい。


「初めての海なんだ。多少は許してあげよう。ミネルヴァも我慢しなくて良いんだぞ?」


「我慢なんかしてないわ」


 フンと顔を逸らすミネルヴァの頬は、若干赤く染まっていた。


 嗚呼、オレにはバレバレだって気が付いちゃったか。照れている姿も可愛いな。


 追及はしない。こういった状況をからかうと、彼女は本気で嫌がるし、意地を張っちゃうから。


 自身の気持ちをそっと胸のうちに留めておきつつ、オレは残る面々に視線を巡らせる。


 側近たるシオンは、同行した部下たちに指示を出していた。シワなく着こなしているメイド服や一切解れていない青紫の髪より、彼女の生真面目な性格が表れている。


 ただ、


「あーあー」


 別の部下へ指示を出そうときびすを返した彼女が、その場で盛大に転んでいた。どうやら足首を捻ったらしい。顔面強打だよ、痛そう。


 駆け寄るつもりだったけど、カロンが先行して治療に当たったので大丈夫だろう。


 続いて、別方向へ視線を移す。


 残る三人は、一塊になっていた。スキアがうずくまり、彼女の背中をマリナとユリィカがさすっている。


 深紫こきむらさきの長髪のせいで顔は見えないが、スキアは体調を崩している模様。心配のため、オレも様子を伺いにいく。


「大丈夫か、スキア?」


「だ、だだだ、だい、じょう、ぶ、で、です」


「全然大丈夫そうに見えないよ……」


 顔を上げたスキアの顔色は、とても青かった。言葉もいつも以上に発音できていないところも、余計に心配をあおっている。


 すると、彼女の介抱していたマリナとユリィカが口を開く。


「スキアちゃん、酔っちゃったみたいですー」


「し、潮風の匂いが苦手だったようで」


「なるほどね」


 磯の香りは、スキアには受け付けられなかったよう。好き嫌いの分かれる匂いなのは理解していたので、事情は納得できた。


 オレは膝を突いてスキアと目線を合わせ、彼女の両手を優しく握った。


「口で深呼吸してから、できるなら【リフレッシュ】か【状態回復キュア】を使ってみるといい」


 彼女はコクリと力なく頷き、大きな呼吸を二、三度繰り返した。その後、オレが提案した魔法二つを自らへ施す。


 魔法の効果はテキメンだったみたいだ。青ざめていた顔は程良い血色を取り戻し、スキアは申しわけなさそうに頭を下げる。


「ご、ご迷惑おかけしました」


「気にするな。スキアがツライめに合っている方が、オレとしては心苦しい。軽いアドバイスで治って良かったよ」


「あ、ありがとうございます。さ、さっきまでは、まま、魔法を使う余力も、な、なかったので」


 笑顔を向けると、スキアも小さく頬笑んだ。


 この様子なら、無理しているわけでもなさそうだ。本当に良かった。


 でも、今のは応急処置にすぎない。匂いに慣れない限り、症状は再発するだろう。


 オレは握っていた手を優しく解き、立ち上がる。それから、変わらず部下たちに指示を出していたシオンへ声を掛けた。


「シオン、少しいいか?」


「問題ございません、ゼクスさま。如何いかがいたしましたか?」


「スキアの体調が思わしくなくてな。潮の匂いが苦手らしい。安静にできる屋内へ運んであげてほしいんだ」


「承知いたしました。先行して、宿泊予定の屋敷へご案内いたしますね」


「よろしく頼む」


「え、え?」


 オレとシオンはトントン拍子で話を進め、ついには【位相連結ゲート】を展開する。その向こう側へとスキアはシオンたち使用人らに運ばれていった。


 急展開すぎて、当人は金眼を丸くしていたけど、さして問題はないだろう。何かあれば使用人が対応するし、そこまで時間を置かず、オレたちも追いつく。


「ありがとうございます、ゼクスさま。わたしたちじゃ、背中を撫でるくらいしかできなかったので~」


「助かりました。魔法が使えないって聞いて、少し焦ってたんです」


 一連の流れを見守っていた二人は、安堵の息を漏らす。マリナはほわほわと柔らかい笑みを浮かべ、ユリィカは白い兎耳をパタパタと羽ばたかせた。


 オレは肩を竦める。


「スキアにも言ったけど、気にする必要はないよ。魔法行使は精神状態に左右されるから、ああいった状態の時、まずは気を落ち着かせるんだ」


「酔った場合も使えるんですねぇ。知らなかった」


「そうか。鍛錬だと、心を乱した際の対応方法としか教えてなかったか」


 マリナの言葉によって、彼女たちが対処できなかった原因に、ようやく理解が及んだ。体調不良にも通用するとは思わなかったらしい。


「精神の乱れ全般に当てはまるから、体調不良のみならず、ケガした時も有効なんだよ」


「ほえぇぇ。勉強になりますー」


「今後に活かしたいと思いますッ」


 マリナは感嘆の声を上げ、ユリィカは生真面目に返事をした。


 そんな二人の態度を受け、思わず笑声を溢すオレ。


「ふふっ」


「どうかしましたか?」


「な、何か粗相でもッ?」


「すまない。悪い意味で笑ったわけじゃないんだ」


 笑うタイミングが悪かったと反省しつつ、オレは語る。


「出会った頃と比べて、マリナは自然体で接してくれるようになったなと思って」


 二年前は、推しのアイドルを前にしたファンの如く舞い上がっていた。あれはあれで味があったな、と懐かしい情景を思い返す。


 こちらの回答を聞いたマリナは、「あ~」と目を泳がせた。


「まぁ、いろいろ整理がついたと言いますか~」


 彼女にとっても、あの頃の自分は黒歴史だった模様。結んで肩に流している水色の髪を、所在なげに撫でた。


 黒歴史を突きすぎるのも可愛そうか。


 そう感じたオレは、話題の方向を若干修正する。


「ユリィカも、もっとフランクな態度で大丈夫だぞ。公私は分けてほしいが、現時点では学友でもあるんだし」


「えっ、ゆ、ユリィですか!?」


 ここで水の先を向けられるとは考えていなかったらしい。驚いてピョンと跳ねる。


「い、いえ。ユリィはこのままで問題ありません。さすがに、心臓が持ちませんから」


「そうか? まぁ、好きにしてくれ」


 この返答は想定内だ。


 そも、オレに対して砕けた態度を取るのって、王族や恋人たちを除けば、ダンとミリアくらいだ。恐れ多いという感性は正しい。無理強いはしない。


 ――で、ここまでは普段のメンバー……というか『アルヴム』の部員なんだが、実は一人だけゲストが存在した。


 スキアを治療しようとしていたんだろう。練った魔力を手のひらに溜めたまま棒立ちになっている女性、聖女のセイラが近くに立っていた。


 不服そうな感情をこちらへ向けてきているが、絶対にオレと目を合わせようとしない。どこからどう見ても怖がられていた。以前の面談で脅しすぎたかな?


 何故、部外者の彼女がいるのかと言うと、カロンの思惑だった。


 何でも、少しの間だけ王都を離れたいとセイラが彼女に相談していたよう。セイラ単独で旅行なんて、襲ってくださいと宣伝しているのと同義だからな。突っ走らなかったのは良い判断だ。


 セイラに関しては、完全にノータッチである。カロンの客である以上、もてなすのは彼女の仕事だ。部下を使う程度は構わないが、貴族として自分でエスコートをこなしてほしい。


「さて」


 一通り状況を確認したオレは、その場で拍手を鳴らす。魔力を軽く込めたそれのお陰で、各々好きに動いていたみんなの注目を集める。


「とりあえず、宿泊する屋敷に移動するぞ。遊びはその後だ」


 こちらの指示に異論は出ない。全員が異口同音に了承の言葉を返し、歩き始めるオレの後に続いた。


 といっても、【位相連結ゲート】があるので、移動時間は一秒もかからないけどね。本当に便利な魔法だよ。

 

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