Chapter12-2 忍び寄る(5)

 スタンピードの収束より数時間後。夜もすっかり更けた頃合いにも関わらず、オレは書類仕事を行っていた。それも私室で、である。


 といっても、いつも通りの光景だったりする。


 オレは【身体強化】や【刻外】のお陰で二十四時間働けるが、それに部下を付き合わせる道理はない。当主がいつまでも執務室に詰めていたら休みにくいだろうと考え、こうして私室まで仕事を持ち帰っているんだ。極論、【異相世界バウレ・デ・テゾロ】を展開すれば、野外でも仕事は進められる。


 それに、現在処理しているのは、元帥の方の仕事だからな。スタンピード関係で騎士に被害が生じたため、僅かばかり後始末が回ってきたんだ。フォラナーダのものとは区別しなくてはいけない。


 ちなみに、今は【刻外】を解いている。さすがのオレでも、ずっと時間を止められるほどの魔力はない。時折インターバルを挟んで、魔力回復に努めていた。仕事しながらでも、だいたい十分もあれば全快できるし。精神魔法さまさまである。


 コンコン。


 出入り口の扉がノックされた。


「どうぞ」


 シオンが訪れたことは探知術で把握できていたので、誰何すいかせずに入室の許可を出す。身内相手に形式通りのやり取りは無駄だろう。


「失礼いたします」


 一礼とともに、十枚程度の紙束を抱えたシオンが入室してきた。使用人の鑑とも言うべき整然とした所作で歩み寄ってくる。


 ――が、


「ひゃあ!?」


 扉を潜って早々に、彼女は盛大に足を滑らせた。言うまでもないと思うが、足元には何も障害物はない。


 そのまま床に倒れ込むと思われたが、今日のシオンは一味違うらしい。完全に倒れる寸前、彼女はとっさに複数のワイヤーを天井へ放った。それらは照明等に絡みつき、見事に支えとなる。


 ギリギリで倒れなかったシオンは、そそくさと直立状態へと戻った。ワイヤーも手早く片づけ、『何もありませんでしたよ?』とでも言うように、すまし顔をしてみせる。


 ……うん。あの状態から復帰できたのはスゴイし、自分のドジをなかったことにしたいのも分かる。でも、最後の詰めが甘いんだよなぁ。


 オレは苦笑いを浮かべながら、左手を軽く振る。そこから、糸状に形成された魔力が十本放たれた。


 魔力糸はシオンの頭上を飛び越え、ヒラヒラと宙を舞う十枚の紙・・・・に衝突する。粘着性を帯びた糸は紙を捕獲し、オレが手を返すと同時にこちらへと戻ってきた。


 結果、オレの手元には十枚の紙束・・・・・が完成する。


 察しはつくだろうが、これはシオンが持ってきた資料だった。彼女が転んだ際、盛大に宙へ放り投げていたのである。


「申しわけございませんッ」


 自身の失態に気づいたシオンは、慌てて頭を下げる。


 対し、オレは手を左右に振った。


「気にするな。それよりも、ケガはしてないか? オレにとっては、シオンが無事である方が重要だよ」


「は、はい。私は傷一つ負っておりませんので、ご安心ください」


 心配してもらったことが嬉しかったようで、仄かに頬を染める彼女。


 相変わらず初々しい反応をありがとう。とっても可愛いよ。


 オレはニコニコと笑顔を浮かべつつ、【位相隠しカバーテクスチャ】より椅子を取り出した。それを隣に置き、シオンに着席するよう促す。


 「隣は……」と渋る彼女だったが、最終的にはゴリ押した。仕事の最中とはいえ、プライベート空間なんだ。婚約者とイチャイチャして何が悪い。


 さて、お遊びは一旦止めて、きちんと仕事をこなそうか。


「これが森の調査結果の資料か?」


 シオンが運んできた紙束を掲げて問う。


 こちらが雰囲気を改めたのを感じ取ってくれたようで、彼女も真面目な面持ちに切り替わった。


「はい。ウィームレイ陛下のご協力もあり、スムーズに調査は完了いたしました。また、報告は、それだけには留まりません」


「何かあったのか?」


 シオンの補足に、何となく不穏なものを感じる。


「つい先刻、行方不明だった騎士たちを発見しました」


「……発見場所と、彼らの状態は?」


 一見、朗報のように聞こえる内容だが、裏があるのは確実だった。何せ、シオンの表情が陰っている。


「発見されたのは、件の森より南東に進んだ地点です。そして、彼らは酷い惑乱状態でした。思考能力が著しく低下しており、自分たち以外を敵だと認識していたそうです」


「対処は?」


「穏便に確保することは困難と判断し、現場の裁量で処断されたようです」


「そうか」


 オレは短く頷く。


 処理された騎士たちには悪いが、おおむね想定通りの結果だった。森に部外者の痕跡が見当たらなかった以上、彼らが自ら持ち場を離れたのは明白。自主的か否かは分からなかったけど、こういった結末は覚悟していた。


「遺体の検分は?」


「現在、優先して進めております。ただ、彼らが惑乱状態だった原因は、予想が立てられています。あくまでも仮説ですが、お聞きになりますか?」


「聞かせてくれ」


「承知いたしました」


 一拍、間を置いたシオンは語り出す。


「森でのスタンピードと騎士たちの異常行動は、繋がった事件だと想定されます。それを前提にすると、おのずと騎士たちが何をされたのか察しがつくでしょう」


 資料にも記載されていますが、と彼女は説いた。


 今回のスタンピードの原因は、森林内に散逸していた匂い袋だったそう。中身はいくつもの薬草を組み合わせたもので、魔獣を誘惑する効果が確認されたそう。


 件の匂い袋は、唯一の犠牲者だった騎士の巡回ルートに落ちていたらしい。おそらく、彼が設置したのだと推測できる。自主的に裏切ったのか、操られていたのかは不明だが。


 そこまで説明されれば、オレも合点がいった。


「なるほど。魔獣のスタンピードを引き起こせるほど熟達した薬師なら、騎士たちを操るのも訳ないか」


「はい。検分結果次第ですが、おそらく薬物の成分が検出されると思われます」


 かなり的を射た予想だと、オレも感じる。


 とはいえ、まだ証拠は出ていないので、決め打ちは止めておこう。調査が終わるまでは、事後処理だな。


「とりあえず、被害者家族には見舞金だな。たしか、予算に余裕はあったはず」


「資金繰りは、元帥の職務から外れるのでは?」


 オレの呟きにシオンが反応した。


 彼女の言う通り、今回は下の者が大半を処理する案件であり、オレの出番はあまりない。


 しかし、そうも言っていられない事情があった。


「国家という組織において、オレは新参者だ。甘くはないぞって示しておかないと、好き勝手される可能性がある」


「……恐れを知らないので?」


 信じられない、と目を丸くするシオン。


 オレは肩を竦めた。


「可能性の話さ。世の中には、『自分の悪事は気づかれない』なんて、根拠のない自信を持つ者もいるんだよ」


 ゆえに、保険の意味合いが強い。最初にオレという絶対者を印象付けられれば、徐々に楽になると考えていた。


 シオンは心配そうに告げる。


「ご自愛くださいね?」


「大丈夫だよ。しっかり休息は取ってるから」


 睡眠はバッチリ八時間確保しているし、合間合間に休憩も入れている。過労死なんて未来は訪れやしないだろう。


 それでも、彼女の不安げな表情が晴れなかったので、頭や頬を優しく撫で回した。お陰さまで、彼女はほんわかと緩む。


 誤魔化した風にも見えるけど、ちゃんと休んでいるのは嘘ではない。問題ないだろう。


 シオンを愛でている最中、不意に思い出す。


「あっ、そうだ」


「どうかしましたか?」


「ガルナをリーダーに、諜報部隊を編成してほしい」


「ガルナを、ですか?」


「嗚呼。詳細は後で伝えるけど、期間は一、二ヶ月くらいを見たい」


「はぁ。承知いたしました」


 やや戸惑いながらも、シオンは承諾してくれる。


 彼女の手際なら、明日にもチームは組み終わっていると思う。一週間以内には調査を開始させられるな。


 布石の前準備はこれでOK。あとは、今後の動きに合わせて、臨機応変に対応しよう。



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