Chapter10-3 累卵の危うき(3)

 観察した限り問題ないと判断したオレたちは、各々【偽装】を展開した後に酒場へ移動を開始した。何故か、学園長がオレの腕にしがみつく状態で。


 茶髪・・美女が抱き着いてくるのは理性が試されるけど、男として嬉しいとは感じる。ただ、相手があの学園長なだけに、些か複雑な心情だ。


「近すぎない?」


「恋人の振りをするんじゃから、これくらい普通じゃろう」


 オレの抗議を、さらりと受け流してしまう学園長。


 そう。潜入するに当たって、オレたちは恋人同士の設定になってしまったんだ。というか、押し通された。


 誰が悪いのかと問われれば、オレだと答えるしかない。


 事の発端は、『潜入する際、お互いをどう呼び合うか』を話し合った時だった。正確には、学園長の呼び方を決める時だな。


「本名で良かろう。わしの名は、そう珍しいものでもない」


 そう気軽に答える彼女だったんだが、オレは一切口を開けなかった。何故って、学園長の本名を知らなかったから。前世よりずっと『学園長』と呼んでいたため、すっかり彼女の名前を失念していたんだ。


 その事実を知った学園長――ディマはかなり怒ってしまい、その代償として、恋人役をゴリ押されてしまったのである。


 ちなみに、学園長のフルネームはディマ・ヘクサリエ・トリ・ソルシエールだとか。


 どこのバカップルかと呆れんばかりに密着したまま、オレたちは件の酒場へと入る。


 内装は外観と大差ない。場末の酒場らしい、廃れた印象を受けるものだった。安酒のアルコール臭が漂う、物寂しい空間だ。客層も低ランク冒険者を筆頭とした、低収入のヒトばかり。


 オレたちの入店とともに、一斉に視線が集中する。同時に湧き出る嫉妬と蔑みの感情。前者は恋人連れであることに対し、後者はオレが色なしであることに対し、だろう。


 今回、オレは【偽装】で髪色を偽っていない。推定黒幕が色なしをカモにしていることは自明のため、自らを囮にしているんだ。『帝国より流れてきた、剣術に自信のあるランクD冒険者』という設定である。


 しかし、色なし差別が薄い店だと聞いていたんだが……。いや、店側の対応が問題ないのであって、客は別なのかもしれない。


 その辺の機微は、オレには判然としなかった。普段、元の姿のまま外で買い物しないからなぁ。【偽装】するか、商人の方を呼び寄せるかの二択である。


 カウンター席に並んで座り、適当な酒を注文するオレたち。その間も、客たちの視線が途切れることはない。読める感情から察するに、『色なし風情が女を侍らせやがって』といった具合か。


 一応、ディマの容貌は地味めに【偽装】してもらっているんだが、効果は薄かった様子。この調子だと、何人か突っかかってきそうだ。


 ハァと溜息を吐いたタイミングで、注文した酒を店主が出してきた。


 無愛想ながら、彼だけは蔑視してこない。やはり、店側の対応が良いのか。


「とりあえず、乾杯しよう。飲まんと怪しまれるぞ」


「分かってるよ」


 オレとディマはグラスを軽く小突き合い、注がれた酒を口に含んだ。安酒特有の粗い味と中途半端な酒精が口内に広がる。飲めなくはないが、お代わりは遠慮したいところ。


「マズイな」


「ハッキリ言うなよ……」


 せっかく黙っていたのに、ディマがストレートに感想を言ってしまった。ほら、店主が睨んできている。


 オレは溜息を吐く。


「店側の機嫌を損ねて、追い出されるのだけは嫌だぞ」


「と言われてものぅ。こんな酒を飲めば、悪酔いしてしまうぞ」


「飲んでる振りでもしておけ。律儀に飲み切らなくていい」


「出されたものを残すのは信条に反する」


 学生のことを語る時みたいに真剣な面持ちで答えたディマは、「仕方ないのぅ」と呟いてから、自身のグラスの上でチョイチョイと人差し指を振った。


 魔力の流れ的に、水魔法を使ったのか? 安酒に何かしたようだけど。


 訝しみながら彼女の様子を窺っていると、今度はオレの酒の方にも魔法を施した。あまりに自然体でやられたため、止める暇もなかった。


「せめて、許可を取ってくれ」


 オレが軽い抗議を行うと、ディマは肩を竦める。


「絶対に感謝する。賭けても良い。ほれ、飲んでみろ」


「……」


 半眼を向けるが、彼女はどこ吹く風。


 これ以上は無駄だと判断したオレは、ディマの言う通り酒を飲むことにした。グラスを傾ける。


 はたして結果は、


「……美味しくなってる」


 オレは瞠目どうもくした。先程まであんなに酷い味だった安酒が、今や最高級品と大差ない代物へと変化していた。スッポンが月に化けたんだ。


 間違いなく、ディマが行使した魔法の影響だろう。


「どんな魔法を使ったんだよ」


 オレがすぐさま問うと、彼女はイタズラに成功した子どものように笑う。


「そう難しい話ではない。水魔法で、この安酒の成分を調整したんじゃよ」


「いや、十分難しいと思うが」


 何てことない風に語るけど、最低ランクの酒を最高ランクまで引き上げるのは、並大抵の技ではないと思う。そも、酒に精通していないと、そういった調整さえできないし。


 こちらの呆れた様子を受け、ディマはさらに笑う。


「ふふっ。お主に魔法で驚かせられる日が来るとは、長生きするもんじゃ」


「あんたとオレが出会って、まだ二年も経ってないだろうに」


「おっと、そうじゃったか?」


「ボケ老人の振りすんな」


 今は若い容姿であるせいで、発言とのギャップがものすごい。事実を知っていても、一瞬脳が混乱するよ。


 ハァと一つ溜息を吐いてから、オレは問い直した。


「酒に詳しかったんだな」


「知っての通り、わしは長生きじゃからな。様々な趣味を極める余裕があっただけのことよ」


「その一つが酒だったってことか」


「うむ。大好物じゃからな」


「好きこそ物の上手なれ、か。少し意味が違うけど」


 感心したと溢すと、ディマはその豊満な胸を張って得意げな表情を見せた。


 それが何とも小憎たらしい顔だったため、オレは彼女の額にデコピンを放つ。瞬間的に神化することで相手のガードを貫通する、とてつもなく技術を無駄遣いした技だ。無論、痛みはあれど、ケガは負わせないように調整している。


「痛っ。何するんじゃ!」


 額を押え、涙目で抗議してくるディマ。


 彼女の言葉で、オレは我に返った。


「あ、すまん。つい」


「ついって」


「何て言うか……ディマが調子乗ってるのを見ると、その鼻を折りたくなる衝動に駆られるんだよなぁ」


「酷い奴じゃ」


 不貞腐れた風に唇を尖らせるディマだけど、本気で怒っているわけではなさそうだ。感情が喜びに満ちている。……そういえば、こいつドM宣言していたっけ。ヘンタイだぁ。


 内心で引いていると、それを察したディマは、さらに頬を赤く染めた。ドン引きである。


 そうやってターゲットが現れるまで時間を潰していたところ、不意に声をかけられた。正確にはディマが。


「なぁ、そこの嬢ちゃん。そんな色なし野郎じゃなく、俺らと遊ばねぇか?」


「いい夢、見せてやるぜ?」


 背後に立っていたのは、筋肉の厚い大男とヒョロヒョロした狐顔の男だった。見るからにチンピラといった風貌で、先の発言からしても好ましくは思えない。


 というか、カッコつけたセリフを吐きたいなら、もっと見た目にも気遣った方が良い。容姿の良し悪しではなく、清潔感の問題だ。二人とも些か汚い。


 二人の接近には前もって気づいていたので、特に慌てることはなかった。無駄だと考えつつも、一応理性的な対応を試みる。


「何の用だよ。見て分かる通り、彼女はオレの連れなんだが?」


「お前には訊いてねぇ!」


「そうだぜ。俺たちが声かけたのは、そっちの嬢ちゃんだ」


 案の定、大男の方は怒鳴り声を上げ、狐顔もそれに追随した。色なしのオレなんて眼中にないんだろう。


 ディマは、ヤレヤレといった様子で首を横に振る。


「悪いが、わしは彼の連れじゃ。お主たちはお呼びではない」


「あん? 俺たちより、色なしを取るってのか?」


「俺たちはランクC間近の、有望な冒険者だぜ?」


「知らんよ。わしは彼と共におる。その意見を翻すつもりはない」


 しつこく食い下がる男たちに、彼女はつっけんどんに返す。相手を調子に乗らせないよう、終始塩対応だった。


 だが、その程度で折れるなら、最初から声をかけては来なかっただろう。


「クソアマがッ。大した容姿でもないくせに、つけあがりやがって!」


「優しいうちに言うこと聞けば良かったって、後悔させてやる!」


 予定調和とも言うべきか、男たちは激高した。


 沸点の低い連中だ。まぁ、ランクC間近なのに、こんな場末の酒場に訪れている時点でお察しである。実力はそれくらいありそうだけど、揉め事を起こしまくって、依頼制限をかけられた口に違いない。


 拳を振り上げようとする二人だったが、それは完遂されなかった。ディマへ一歩近づこうとした瞬間、彼らは泡を食って倒れる。完全に気絶していた。


 すると、ディマが呟く。


「容赦ないのぅ」


 こちらへ視線を向けているため、オレが対処したのはバレているよう。そこまで隠してもいなかったけどさ。


 複雑なことはしていない。単純に【威圧】を放っただけ。格下相手なら、これであっという間に鎮圧できた。


 オレは肩を竦める。


「カノジョに手を出されそうになったんだ。この程度は当然だろう」


「か、カノジョ」


「何、照れてんだよ。そっちから提案したことだろう?」


 長生きを豪語するくせに、妙な部分で初心さを見せるんだよな。生々しい話題を振られても平気なのに。


 今までの反応を鑑みて、恋愛経験が皆無に等しいのは察している。おそらく、人伝に体験談を聞くことはあっても、実体験はゼロなんじゃないかな。


 魔女になった後は仕方ないとしても、その前に経験できなかったんだろうか? 彼女の容姿なら、引く手あまたのように思うが。


 そこまで思考して、ふと気づく。ディマの経歴をほとんど知らないことに。


 オレが知るディマは、師匠に裏切られた経験を持ち、その影響で聖王国と派手に争った。そして、長い時を空けて今の職に就いた。その程度である。あとは、準伯爵という唯一無二の身分を所持していることくらいか。


 良い機会かもしれないな。


「せっかくだし、ディマの思い出を聞かせてくれないか?」


「なんじゃ、藪から棒に」


「オレって、キミのことを何も知らないと思ってね。まだ時間はあるし、それを有効活用したい」


 今日中に推定黒幕が訪れるかは不明だが、酒場の閉店時間まで粘るつもりだ。夜は始まったばかりのため、まだまだ時間は残されている。思い出話を語るのには適していた。


 対し、渋面を浮かべるディマ。


「気が進まんな」


「無理強いはしないさ。気まぐれみたいなものだし」


「……そこで退くとは、慣れとるのぅ」


 ボソリと悪態を吐く彼女だったが、程なくして大きな溜息を吐いた。


「楽しい話とはいかんぞ?」


「覚悟の上だよ」


「分かった。語るとしよう」


「ありがとう」


 それから、ディマは滔々とうとうと自らの過去を溢し始めた。

 

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