Chapter9-2 フォラナーダ式、政略戦争(6)
入室とともに、部屋にいた全員の視線が集中した。オレたち四人が最後だったようで、すでに関係者は顔を揃えている。
まず、チェーニ子爵家より、当主アーヴァスと次期当主オスクロ。並んでソファに座っている。
その対面の席に、話し合いの相手である二人の男性が着いていた。
一人は、着席した状態でも分かるくらい背が高い中年男性。アロガンと似た風貌なので、間違いなくチェーニ伯爵だろう。事前情報とも特徴が一致する。
資料によると『上の方針には右へ
もう一人は、顔に刻まれたシワと枝のように細い体躯を備えた初老の男。この人物がハンダールーグ公爵で間違いないと思われる。
かの家の当主自らが出向いてくることは知らされていた。オレたちの仕掛けた策謀の効力を考慮すれば、それ以外の選択もなかっただろう。
だが、ハンダールーグ公爵に関しては、チェーニ伯爵と正反対の評価を下すしかない。この御仁を、ただの枯れかけの男と見くびったら、痛いしっぺ返しを食らいそうだった。
何せ、彼の瞳に宿る意思が尋常ではない。ギラギラと煌めき、名刀の如く鋭い。少しでも隙を見せれば、こちらを斬り裂きかねない気迫があった。
それに、一見小枝みたいな肉体も、限界まで虐め絞り込んだ証拠。自身も極限まで鍛えているから理解できる。このヒトは武人の類だ。しかも、肉弾戦においては、結構上位に食い込めるレベル。【鑑定】にもレベル52と映っているので、確定事項だった。
これは気合を入れて臨まないといけないな。
そう心を引き締め、オレは部屋へと足を踏み入れる。
同時に、公爵以外の者たちが起立した。彼を除く面々はオレと爵位が同じか下なので、立って迎え入れる必要があるんだ。
立ち上がったまま、アーヴァスはオレたちの紹介へ移る。
「こちらがフォラナーダ伯爵殿とその妹君であるカロライン殿。そして、我が娘であるスキアです」
「ご紹介に与りました、ゼクス・レヴィト・サン・フォラナーダです。以後、よろしくお願いします」
「カロライン・フラメール・ガ・サリ・フォラナーダと申します」
「す、スキア・ソーンブル・ユ・ガ・タリ・チェーニ、で、です」
場面が場面のため、簡略式で挨拶を行った。
アーヴァスはあちら側の紹介を続ける。
「こちらはハンダールーグ公爵閣下とチェーニ伯爵殿です」
「ザンファン・エンゴノイ・カン・ハンダールーグだ」
「クロース・ルイツーデン・サン・チェーニと申します。こちらこそ、よろしくお願いします」
公爵は眼光を鋭くさせ、伯爵はどこか肩身が狭そうな様子で礼をした。
あらかじめ予想はできていたけど、やはり注意すべきはハンダールーグ公爵の方だな。
言っちゃ悪いが、チェーニ伯爵は権力に従うタイプ。今の国内で一番影響力を持つフォラナーダに盾突く可能性は皆無に等しい。油断を誘うブラフは考えつつも、とりあえずは思考の片隅に置いておく。
「それでは、話を進めましょうか」
アーヴァスの進行により、各々の思惑が渦巻く会談が開始された。
会談の最初に、ハンダールーグ公爵とチェーニ伯爵の連名で謝罪がなされた。これについて、特筆すべき点は少ない。従来通り、形式に則ったものだった。
具体的には、子爵家への慰謝料の支払いと無体を働いたアロガンの処分である。前者は良いとして、後者は『すべての役職を
あの歳で残りの生涯を幽閉生活か。少し重すぎる罰の気はするけど、事態の悪化を避けるなら当然の判断だな。
また、この一件が片づき次第、チェーニ伯爵も息子――アロガンとは別――に席を譲るとか。使者選びの責任を負う形だ。
様々な確認を経て、公的な謝罪は終わった。残るは実際の物資を受け取るだけで、この場で行える作業はない。
しかし、未だに“話し合いの空気”は途切れていなかった。ピリピリとした緊張感を孕んだ雰囲気が
「……」
カロンの隣に座るスキアが感情を揺るがせた。これから始まる本番に、再び不安を湧き上がらせてしまったよう。
ところが、それも長くは続かない。カロンが彼女の手を握ってあげたんだ。
優しく繋がれたそれは、確かな勇気を与えたらしい。徐々にスキアの強張りは解けていく。
二人が友情を育んでいる間に、とうとう口火は切られた。
「本来なら、もう我々は立ち去るべきだが……折り入って頼みたいことがある」
そう声を上げたのは、ハンダールーグ公爵だった。ややハスキー気味の
これまでの話し合いでは、チェーニ伯爵が主体で対応していた。こういった場では、身分の低い者が率先して動くという暗黙の了解に従って。
だのに、公爵自らが動いた。それは彼らにとって、今からが本題だという証左だった。
「……公爵閣下ほどのお方が子爵風情にご依頼とは、どういったご用命なのでしょうか?」
公爵の行動は、謝罪を軽視しているも同然。それに対し、アーヴァスは色々と複雑な心境を抱えていた。
しかし、そのすべてを呑み込んで、計画通りに会話を継続させる。その方がお家のためになると信じて。
ただ、オレは別の感情を抱いていた。
ハンダールーグ公爵の様子が、些かおかしいんだ。ほんの些細な変化だ。大半のヒトは気づけないだろう。感情が見えるオレだからこそ、その僅かな違いを認められた。
焦っている? 感情の推移からして、大切な何かの危機か?
脳裏に浮かぶのは、ハンダールーグ家が暴挙に出た理由の考察。孫娘が先天性の病を抱えているかもしれないと、オレたちは以前に推測した。
まさか、本当に当たっていた?
いや、落ち着け。公爵はそれを語ろうとしているんだ。オレが焦る必要はまったくない。下手に共感できる心情だったせいか、こちらの感情まで引っ張られた模様。気をつけないと。
僅かに乱れた心を律し、彼が溢すセリフへ耳を傾ける。
「チェーニ子爵家の令嬢、スキア殿にお頼み申し上げたい。どうか、私の孫娘を癒してはいただけないだろうか」
そこには、先程までの公爵然とした重圧はなかった。
公爵に見つめられたスキアは、再び緊張で体を強張らせてしまうが、今度は即座に復帰した。カロン、オレ、アーヴァスの順に視線を巡らせる。
オレたちは『大丈夫』だと頷き返した。素直に助力を求められるパターンも、きっちり予想済みである。事前に打ち合わせ通りに返答すれば良い。
オレら三人の反応を認めた彼女は小さく息を吐き、震える唇で言葉を紡いだ。
「ひ、光魔法師の責務として、病人の救援は拒みません。か、患者を直接見なければ判断はできませんが、治療に当たると約束しましょう」
「本当か!?」
彼の素直すぎる反応に、オレたち一同は些か目を丸くする。
とはいえ、謀りごとの気配はなさそうだった。純粋に孫娘を心配しての行動なんだろう。その辺りは、他の面々も実感している様子。
スキアは首肯しつつも、「ですが」と接続詞を続けた。
「ひ、一つお伺いいたしたいのです。何故、私の故郷を苦しめたのでしょうか? さ、最初から
ハンダールーグ家の暴挙の真相が知りたい。それは、スキアを含めたチェーニ子爵家の総意だった。
対する公爵は一瞬眉を曇らせたものの、すぐに表情を改めた。
「これほど大事に発展してしまったのだ。当事者として、伝えないわけにはいかぬか」
彼は若干の羞恥と哀愁を漂わせ、語り始める。
「情けない話だが、経緯は単純だ。孫娘を守りたかった、ただそれだけの理由だった。イルネ……孫の病気はとても重く、光魔法師を常に侍らせておきたかったのだ。言うなれば、私の安心のため、だろうか」
「そ、それは……」
家族のためと言われ、言葉を詰まらせてしまうスキア。見れば、アーヴァスとオスクロも似た感じだった。
まぁ、家族仲の良い子爵家は、この反応も無理はないか。同じ立場だったら、変わらぬ所業を仕出かしたかもしれない。彼らはそう考えたに違いない。
となれば、ここはオレが問うしかあるまい。
「周囲の者たちは、誰もあなたを止めなかったのですか?」
貴族とは、情だけで何とかなるものではないんだ。行動を起こすには、何らかの利益が必要になる。
たとえ当主の権威が強かろうと、道を共にする部下たちの制止は容易に振り払えるものではない。一つの領を封鎖する規模なら尚更だった。
公爵は苦味に強い笑みを浮かべる。
「嗚呼、誰も止めなかった。今回の行動は、普通の貴族相手なら成功しておったからな。『光魔法師を得られるのであれば』と、皆が納得したよ」
「真相が広まらないための手も考えていたと?」
「その通りだ、フォラナーダ伯。チェーニ伯に任せた交渉を終え次第、そちらの根回しも進める予定だった」
……なるほど。言われてみれば、ハンダールーグ家の状況をひっくり返せたのは、オレたちのツテと【
そも、領地を封鎖していたんだから、他の貴族家では、どんな問題が発生していたかも把握できないな。
こうして理由を並べてみると、ハンダールーグ公爵の強引な作戦を止めなかったのも得心できた。利益を得られるのならば、多少の非道にも目をつむる。実に特権階級らしい動機だ。
「となると、フォラナーダの動きを受けて、ようやく部下より忠言があったのですね」
「そうだ。大勢の配下たちに
すると、唐突に公爵は頭を下げた。
「イルネを、孫娘を助けては頂けないだろうか。今回の一件の責任を取り、私は当主の座を降りる。それ以上の責任を求めるのであれば、私個人に出来る範囲で応じるつもりだ。どうか、どうかお願い申し上げる」
「公爵閣下、頭をお上げください!」
「閣下!?」
「公爵さま!?」
「えっ、あ、あの、ああ、あのその」
ハンダールーグ公爵の行動は、ほとんどの者にとって予想外だった。アーヴァスとオスクロ、同行者たるチェーニ伯爵は
ただ、オレや背後に控えるシオンは平然としていた。
何故なら、この展開は予想できたものだったからだ。孫娘のために暴走していた彼が、頭一つ下げられないはずがない。
しかし、孫一人の誕生で、ここまで人格が変容するとは驚きだった。
以前より耳にしていたハンダールーグ公爵の人物像は、厳格かつ慎重というもの。決して、身内のために暴走するようなヒトではなかった。
それくらい、イルネという孫娘が大切なんだろう。貴族としては
心のうちで感心と呆れを半々で抱いている間に、一同の混乱は一旦落ち着きを見せた。
やや浮ついた空気の中、スキアは語る。
「ち、治療はしっかり行わせていただきます。そ、その点はご心配なく」
「ありがとう……」
ポツリと呟かれた公爵の謝意は、とても大きな感情が込められていた。
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