Chapter9-2 フォラナーダ式、政略戦争(5)

 手紙が届いてから更に一週間。


 ついに、ハンダールーグ家の者が訪問してきた。名目上は謝罪なので、それほど大所帯ではないし、地味な装いをしている。


 子爵家の者たちが出迎えている間、オレたちフォラナーダの面々は別室で待機していた。不意のトラブルを避けるため、スキアもこちら側にいる。


 ただ、実際に話し合いの場へ向かうのは、当事者たるオレやスキアに加え、シオンとカロンの二人のみ。他はこの部屋で待機して、いざという時の後詰の予定である。今回は謝罪の機会なので、あまり部外者を連れ込むのは避けたいんだ。


 使用人のシオンはともかく、カロンも本来は待機のはずだった。しかし、『光魔法師の師匠として同席したい』と本人が強く希望したゆえに許可した。政治的にはギリギリ問題ないし、スキアも心強いだろうから。


 というか、主な理由は後者だった。何せ、スキアは現在進行形でガチガチに緊張しているんだもの。用意されたティーカップを口につけているのに、先程より一切お茶が減っていない。このまま交渉に向かうのは危ない気がする。失敗自体は構わないけど、それが原因で卒倒しそうだ。


 同じ感想を抱いたようで、ミネルヴァが半眼でスキアに問うた。


「大丈夫なの?」


「……」


「スキア、あなたに訊いているんだけれど? スキア、スキア?」


「へ? あっ、な、ななな何でしょうか? うわちゃっ!?」


「慌てすぎ」


 何度も声をかけた末に、ようやく反応を示すスキア。しかも、驚きすぎてお茶を数滴溢す始末。


 傍にいたニナがフォローしたお陰で、盛大にお茶をかぶる事態だけは避けたが、彼女の緊張状態が限界を迎えているのは一目瞭然だった。


「重症ね」


「仕方なくはあるけどな」


 オレとミネルヴァは顔を見合わせ、どうしたものかと頭を悩ませる。


 この前まで誰からも見向きされなかった少女が、故郷の行末が懸かった話し合いに参加する。たとえ勝利が確定した場だとしても、彼女に降りかかる重圧は凄まじいものだろう。愛する家族の進退にまで影響するのなら余計に。


 とはいえ、放っておくわけにもいかない。スキアはこの問題の中心人物だ。絶対にハンダールーグ側は話を振ってくる。それにキチンと反応できない心理状態はいただけない。


 精神魔法の【平静カーム】を交渉時にかけ続ける、という最終手段はある。だが、これは応急処置にすぎないため、できれば自力で立ち直ってほしかった。


 まだ待機時間は続くので、その間に何とか対処したいところだな。


 こういう時は、コミュ力の高いメンバーが頼りになる。マリナを筆頭に、オルカやカロン辺りに期待したい。無論、オレも自分に可能な範囲で手伝うが。


「スキアちゃん、落ち着いて~」


 お茶を太ももに垂らして些か混乱しているスキアの元へ、マリナが寄り添った。ハンカチを取り出し、手早く濡れた部分を拭う。


 それから、彼女はニッコリと笑いかけた。


「火傷はしてないかなぁ? 痛くない?」


「あっ、はい。い、痛くない、で、です」


「そっかぁ。良かったー」


 さすがはマリナ。目をグルグルとさせていたスキアが、一瞬で元の冷静さを取り戻した。おそらく、あの柔らかい笑みに毒気を抜かれたんだろう。マリナの笑顔って、いつ見てもホッとするからな。


 スキアが落ち着いたのを見計らい、今度はオルカが声をかける。


「そんなに気負わなくても大丈夫だよ……って言っても、なかなか難しいよね。こういうのって、理屈じゃなくて感情だもん。昔は、ボクも大事な会議の前に緊張してたなぁ」


「お、おお、オルカさま、も?」


 彼の言葉は予想外だったらしく、スキアは目をパチクリさせて驚いていた。


 それを受け、オルカはカラカラと笑う。


「そりゃそうだよ。誰だって、慣れないうちは緊張するものさ。それが大事なことなら尚更。ねぇ、みんな?」


「そうだな。領地運営を始めたばかりの頃は、何かと胃が痛かったよ」


わたくしは治療現場ですね。誰かの命が懸かっている場所なので、最初の頃は、赴くまでに気合を入れる必要がありました」


「私も、初めての社交場は緊張したわね。下手すると、公爵家の顔に泥を塗ってしまうし」


「人命の関わる依頼は、いつも緊張する。失敗は許されないから」


「わたしは、みんなほど責任の重い仕事はしたことないけど、人前に立つのは緊張するなぁ。間違ったらどうしよう、失望されないかなって不安になっちゃう」


「私の場合、常に緊張しております。何と申しましょうか……えっと、私は失態を犯すことが度々ありますので……」


 オルカの問いに、各々が自身の体験談を話す。それは過去形であったり、現在の話であったりと内容は異なるけど、全員が共通して『緊張していた』と語った。


 オレたちの答えを聞いて、さらにスキアの緊張が和らいだように感じる。共感を覚えたことで、『自分だけじゃない』という安心を得られたんだと思う。


 ただ、まだ固さが抜け切れていない。あと一押しといったところか。


 すると、スキアはオドオドとした様子で口を開いた。


「み、皆さんは、ど、どど、どうやって、き、緊張を乗り越えたんですか?」


 当然の疑問。彼女も、今の自分がマズイ状態だと理解しており、それを治したいと考えていたようだ。


 オレたちは一度顔を見合わせる。そして、その表情より、全員がおおむね同意見だと認識した。


 オレが代表して答える。


「身も蓋もない話だけど、緊張云々は慣れるしかない。場数を踏めば、そのうち緊張も弱くなってく」


「そ、それじゃあ……」


「嗚呼。今すぐ効果を発揮できるもんじゃない。でも、不安がることはない」


「えっと、ど、どういうこと、でしょう?」


 スキアは首を傾いだ。こちらの文脈が、前後で繋がっていないとでも思ったんだろう。


 まぁ、慌てるな。そう諭してから告げる。


「別に、失敗してもいいんだよ」


「へ?」


 やはり、このセリフは想定外だったらしい。キョトンと呆けてしまうスキア。


 そんな彼女には気を留めず、話を続ける。


「失敗してもいいんだ。個人のミスで破算するような計画は立ててない。何より、周りの人間がフォローしてくれる。……今、キミの周りには誰がいる?」


「あっ」


 オレの問いかけに、スキアは言葉を呑んだ。反射的に周囲へ視線を巡らし、優しく頬笑みかけている面々を認める。


「キミは一人じゃない。不安なら仲間を頼れ。失敗は……しない方が嬉しいけど、恐れる必要はない。オレたちが手を貸す」


「そうですよ、スキア。あなたにはわたくしたちがついています。何たって、わたくしは師匠ですからね。弟子の不始末くらい、片づけて上げますよ!」


 オレのセリフに追随し、カロンがスキアの両手を握り締めた。紅の煌きと黄金の豊かさが演出する笑顔は、ヒトの心を明るく温かく照らす太陽のようだった。


 それを受けたスキアからは、先程までの顔色の悪さが消え失せる。次いで、その金色の瞳を潤ませ、僅かに頬を緩ませた。


「あ、ありがとうございます」


「良い笑顔です!」


 頬笑み合う美女二人。美しい師弟愛といった感じかな。


 オレが満足げに頷いていると、不意にミネルヴァが溢した。


「でも、弟子が失敗するのを前提にするって、師匠としてどうなのかしら?」


「「「「「「……」」」」」」


 この場にいる大半が硬直する。


 いや、確かに同じ考えは過ったけど、何で口にするんだよ、ミネルヴァ。キレイにまとまったじゃん!?


 チラリと彼女を窺う。


 嗚呼。これ、わざとだ。昂った場の空気を緩めるために、あえて実行したんだろう。その方法が『カロンへケンカを売る』という辺りが、実にミネルヴァらしいけども。


 案の定、当人たるカロンはクルリとミネルヴァの方へ振り向いた。


「何か仰いましたか、ミネルヴァ?」


 先程までと変わらないのに、どこか恐怖を誘う笑顔。


 対するミネルヴァは、飄々とした調子で答える。


「あら、難聴? その歳で、もう肉体が衰え始めているのかしら」


「そんなわけがないでしょう。嗚呼。お子さま体型のあなたには、大人の女性が一括りに見えてしまうのですね。失礼しました」


「私は、立派な大人の女性よ」


わたくしだって、老衰するほどの歳ではありません」


「「……」」


 無言で睨み合い、ついには魔力を高めていく二人。


 ある一定ラインを超えた時点で、オレは溜息混じりに動いた。


 ゴチンと彼女たちの頭に拳を落とす。


「「いったぁ」」


 頭を押えてうずくまるカロンとミネルヴァ。その瞳の端には涙が浮かんでいた。


 一応言っておくと、物理的なケガはさせていない。精神魔法と『透過』を応用して、痛みのみ直接伝えたんだ。……技術の無駄遣いだな。


「いくら何でもやりすぎ。時と場所を考えなさい」


 カロンも、ミネルヴァの考えを見抜いて乗っていた節はあったが、最後の方は二人とも我を忘れていた。


 この二人は、どうしてケンカをせざるを得ないのか。お互いに嫌悪している様子もないのに。まったくもって不思議でならない。


 コンコン。


 オレの鉄拳制裁で場が収まったところ、ノックの音が響いた。入室の許可を伺う声も聞こえてくる。


「失礼いたします。会談の準備が整いましたので、お呼びに参りまし……如何いかがなさいましたか?」


 入室してきた使用人が、室内の妙な空気を感じて首を傾げる。


 オレは何でもないと返し、他の面々へ顔を向けた。


「ほら、お仕事の時間だ。きちんと切り替えてくれよ」


「「「「「「「はい」」」」」」」


 異口同音に響く返事。問題はなさそうだった。


 いよいよハンダールーグ家とのご対面だ。

 

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