Chapter9-2 フォラナーダ式、政略戦争(7)
その後の話し合いにより、ハンダールーグ公爵の孫娘イルネの治療は、来月に実施される予定となった。こちらとしては即日でも構わなかったが、公爵側で色々と準備を整える必要があるとのこと。
問題解決と相なったため、広めていた噂の鎮静化にも乗り出した。元々、ある程度のコントロール下に置いていたので、そう時間をかけずに落ち着きを取り戻すだろう。
さて。チェーニ子爵家の問題が片づいたとなれば、この後にやることは一つしかあるまい。
――そう、バカンスである。
元より、オレたちがこの地へ訪れたのは、休暇を楽しむのが目的だった。仕事の合間に遊んだりはしていたが、ようやく完全な休みを取れる。
残された夏休みは約二週間。新学期の準備等の期間を考慮すると、だいたい十日くらいは丸々休めるかな。例年よりは短いけど、バカンスを満喫する余裕は十二分にあると思う。
明日は山間にあるコテージへ向かおう、そんな計画を立てた日の夜。皆が宿の各個室で就寝した深更。リビングの方より、一つの気配が感じられた。
それは紛うことなくカロンであり、最初は『喉でも乾いたのかな?』と気楽に考えていた。併設された簡易キッチンなら、手軽に飲み物を用意できる。
しかし、いくら経ってもカロンはリビングに居座っていた。自室に戻るどころか、キッチンへ寄る様子も見られない。ずっとリビングで固まったままだ。
何かあったのか? これといって、襲撃の類は感知していないけども。
考えられる可能性としては、彼女自身の心の問題か。ハンダールーグ公爵との交渉の途中から、何やら複雑な心境を抱いている様子だった。
「行くか」
ようやくオレは身を起こす。着衣の乱れを手早く直し、リビングへと足を向けた。
頼られるまでは見守っておこうと思っていたが、状況が変わった。眠れないほどの悩みであれば、協力して解決を目指すべきだろう。寝不足は体に悪いし、せっかくのバカンスを彼女が楽しめないのも酷というもの。
「お兄さま」
リビングに顔を出すと、カロンはこちらへ向き直っていた。索敵不可能なくらい悩んでいるわけではないらしい。その点は安心した。
オレはソファの一つに腰かけ、右隣の空いたスペースをポンポンと叩く。
意図は伝わったよう。彼女はクスッと笑みを浮かべ、軽やかな足取りでオレの右隣へ座った。
それを見届けたオレは、【
「こんな夜遅くにどうしたんだ?」
カロン相手に、今さら回りくどい尋ね方は不要だろう。ド真ん中へ直球を投げた。
対する彼女は、迷いと呆れを混ぜた苦笑を溢す。
「少々、考えごとをしていました」
「眠れないほどの悩みなのか?」
さらなる質問に、「うーん」と首を捻るカロン。
「どうなのでしょう……。
その答えに、次いで首を傾ぐのはオレの方だった。
「眠れてないのに、大したことがない?」
「あはは。
カロンの浮かべる苦笑いは、そこまで淀んだものではなかった。今悩んでいるものは、本当に『大した代物ではない』と考えている様子。
今一つ、要領を得ない話だな。当たり障りない話をしていないで、さっさと核心を突いた方が早そうだ。
「何を悩んでたんだ? ……嗚呼、話したくないのなら、無理強いはしないぞ。でも、できれば力になりたいと思ってる」
まぁ、オレが無理でも、シオンやマリナ辺りなら相談相手として適格だろう。内容によってはミネルヴァやオルカでも良いかな。
カロンは、そう間を置かずに答えた。
「いえ、お兄さまにお話しいたします。
「オレだからこそ、ねぇ」
意味深な言い回しを怪訝に感じつつも、オレは彼女の語りに耳を傾けた。
一つの呼吸を挟んで、カロンは口を開く。
「親とは何なのでしょうか、お兄さま」
そこに込められた感情は、未知と相対した不安だった。
カロンは己の心情を語った。
アーヴァスやハンダールーグ公爵という、子どものために必死になる親の姿――後者は祖父と孫だが――を見て、親とは何なのかと疑念を抱いたらしい。
彼女にとっての親とは、実の両親のイメージが大半だった。身内ではあるけど、大して思い入れのない相手。ニナの事情を知ってからは、なおさら両親という存在へのイメージは低くなったらしい。
一応、ミネルヴァやオルカ、マリナの話で、すべての親がロクデナシではないとは理解していたが、それでも、一度培われた印象は拭えなかったようだ。
ゆえに、今回の一件は衝撃的だった。取るに足らないと考えていた存在が、まるで自分たちの如く身内を助けようと動いていた。その事実は、カロンの価値観を崩すには十分の破壊力だったんだ。
両親とは、どういった存在なのか。改めてそれについて思考を巡らせた結果、こんな時間まで悩みこんでしまったという。
どう説明すれば良いだろうか。
カロンに断りを入れてから、オレは熟思する。
子を大切にする親は、一般的に普通の親だ。オレたちやニナの両親が特殊な部類に入る。
そう教えるのは簡単なんだけど、それでは説明不足の気がする。何故なら、今回のカロンの反応から察するに、彼女より見た“普通の親”はUMAレベルの代物だと思われるため。真に理解してもらいたいなら、もっと工夫した説明が必要だろう。
難しい問題だった。“普通”とは概念みたいなもの。言葉を尽くして説くには限界がある。
たっぷり十分ほど思考を回し、オレは口を開いた。
「オレたちの両親が、特殊な部類に入るのは分かるよな?」
「はい」
「宜しい。で、普通の親っていうのは家族なんだよ。オレやカロンと同じ。だから、同じように大切に想うんだ」
何かを解説する場合、やはり前例を持ち出すのが一番だ。だから、実の家族たるオレとカロンの関係を例に出したんだが――
「
あっ、これはダメだ。
キョトンとするカロンの反応を受け、オレは即座に失敗を悟った。
彼女のオレへ向ける感情は、家族愛を通り越している。今回の
慌てて訂正する。
「すまん、前言撤回だ。カロンがシオンやオルカへ向ける感情と同種のものを、親は子へ抱いてる」
「嗚呼」
上手く言い直すことに成功し、カロンは得心の声を上げた。
それから少しだけ目を泳がせると、自分の考えを口にする。
「つまり、親も他の家族と変わらないということでしょうか? “家族でも例外”という認識は間違っていたと」
「そうだな。親も家族で間違いない。というか、家族の在り方なんて千差万別だ。オレたちと両親の仲が冷え切ってるように、仲の悪い兄妹だって世の中には五万と存在するし」
「それは聞き覚えがあります。家督争い等で揉める者もいらっしゃると」
「そんなの関係なく、単純に仲の悪い兄妹もいるんだよ」
「そうなのですか……。にわかには信じ難い話ですね」
「ははは、カロンはそうだろうね」
目を丸くして息を呑むカロンに、オレは苦笑を溢す。
何だかんだ、彼女もまだ子どもなんだと思う。己の価値観を押し付ける愚は犯さないけど、些か視野が狭い部分がある。
それも仕方ない。現在のカロンは未成年の学生。彼女が世界を知り、視野を広げていくのは、もう少し先の話なんだから。今は、少しずつ成長していけば良い。
そのためにも、カロンに迫る死の運命は絶対に覆す。彼女を大人として羽ばたかせる未来を、必ず実現させたい。
オレは難しい表情を浮かべるカロンへ言う。
「大事なのは親とか兄妹って肩書きじゃなくて、そのヒトを大切に想っているかどうかだよ。カロンは、自分が信じる“大切”を守っていけばいいさ」
「『自分が信じる“大切”』ですか」
彼女は僅かに熟慮し、大きく頷いた。
「はい。お兄さまのお言葉、しかと胸に刻みたいと思います!」
彼女はとびきりの笑顔を浮かべた。そこには、先程までの憂いは微塵も感じられない。
ちょっと大げさすぎる気はするけど、カロンの悩みが解決したようで良かった。やはり、最愛の妹には、陽光の温かみ溢れる満天の笑顔が似合う。
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