Chapter7-1 事前準備(5)

 放課後、オレは学園長室を訪れていた。理由は言うまでもない、この部屋の主に招かれたためだった。オレの座るソファの対面に、学園長は腰をかけている。


 濡羽ぬれば色の長髪と瞳によって色白の肌は映え、目鼻立ちも素晴らしく整っている。美幼女と評せる齢十前後の少女こそ、この学園の長だった。


 その実態は『生命の魔女』と呼ばれる者で、遥か長い時を生きているロリババア。禁忌を犯しているものの、『若者を育て上げたい』という確固たる信念を持つ、真の教育者だったりする。……まぁ、救いようのないヘンタイでもあるんだけどさ。


 その辺は置いておこう。


 色々と問題を抱える学園長ではあるが、前述したように強者ではあり、教育者としても立派な態度を示す者だ。そんな彼女が真剣な面持ちを浮かべているのなら、こちらもわざわざ茶化す気はない。きっと、真面目な話をしたいんだろう。


 オレと学園長は、用意されていた紅茶を無言ですする。カップの鳴らす陶器の音のみが、この広い学園長室に響く。


 ――カチャリ。


 学園長がティーカップをソーサーに置いたと同時、オレを真っすぐ見つめてきた。そのオニキスの如き瞳に怜悧れいりなモノを宿し、ジッとこちらを窺ってくる。


 彼女は言う。


「お主は何を知っておる? どこまで見えておる?」


 あまりに抽象的な質問だった。その面持ちにより、実に真剣な内容なのは理解できるが、具体的に何を指しているのかは判然としない。……通常であれば。


 そう。オレは学園長が何を訊きたいのか、何となくではあるものの、直感できていた。


 とはいえ、それは素直に答えられるものではなかった。ゆえに、何も気づいていないていを装う。


「何を言いたいのか、さっぱり分からないんだが」


「惚けるでない。先日の悪魔騒動、お主は事前に察知しておったじゃろう?」


「何のことやら」


「二度も言わせるな」


 しかし、彼女はまったく騙されなかった。こちらにかぶせるよう言葉を発し、微塵も意思は揺らがなかった。


 まぁ、この流れは予想できていたことだ。何せ、オレは悪魔の群団への戦力として、大量の部下を投入したんだ。いくら【位相連結ゲート】があったとしても、通常業務を行っている使用人たちを、突発的な事件に当てるなんて難しすぎる。


 大半は悪魔の印象が強すぎて気にしていなかったが、学園長はしっかり現実を見据えていたらしい。さすがに長生きしているだけはある。こういった事態への対処には、一日の長を感じさせた。


「もう一度問おう。お主は、あの日に悪魔たちが襲来することを事前に知っておったな? そして、これから先に発生する事件についても、いくらか見えておるんじゃろう?」


 嗚呼、これは確信をもって尋ねているな。学園長の声音には、まったく迷いがない。確たる証拠はないんだろうけど――そも、証拠なんてあるはずがないが――、一連の流れやオレの特異性から推論を立てたんだと思われる。


「答えないってのは?」


「……肯定と見なす」


 うーむ、かなり強気だ。身をもってオレの実力を知っている学園長は、普段ならここまでしない。だのに、こうして一歩も引かないとなると、あちらも本気なんだと理解できる。先日の悪魔騒動は、彼女の教育者としての矜持に傷をつけてしまったみたいだ。


 つまりは、学園長がそれだけ生徒を大事に想っている証左。子どもを導く姿は尊敬に値するものだけど、それがオレの秘密に対して発揮されるのは勘弁してほしかった。


 どう答えたもんかねぇ。


 洗いざらい教えようとは一切思わない。前世の記憶があり、この世界を舞台にしたゲームをたしなんだ経験があるなんて、正気を疑われる内容だ。学園長ならば、もしかしたら信じてくれるかもしれない。でも、だとしても、正直に伝える気にはならなかった。


 家族の命を守るために――または、たまの遊びで――前世の知識を使うことはあるが、そもそもオレは、転生者であることを好ましく思っていない。前世のオレは、すでに人生を終えたんだ。今生はゼクスとして過ごしたい。ゆえに、転生者の情報を吹聴するつもりはなかった。


 まぁ、『何を今さら』と言われるだろうことは自覚している。お構いなしに前世知識を活用しているからな。ただ、個人的には不本意に感じているのは確かなんだ。だから、学園長にその辺の話は絶対にしない。


 というか、カロンたちにも教えていない事実を告げるなんて、あり得ないだろう。もしも転生者だと暴露するなら、彼女たち家族が先だった。


 しかし、ここで学園長をまるっと無視するのも宜しくない。悪魔騒動では、何の相談もナシに計画を進めていたからなぁ。多少は悪かったと感じているんだ。


 学園長に黙っていたのは単純な理由。悪魔の襲来を教えれば、彼女は間違いなく学年別個人戦を中止していた。いくら必要性を説こうとも、多くの学生の安全を優先するのが彼女という教育者だ。それはとても困る対応のため、まったく情報を伝えなかったのである。


 とはいえ、だ。こうして正面切って問われてしまったら、誤魔化すのも難しい。学園長の本気度合いを考慮すると、今後の障害になる可能性がある。


 排除するのは簡単だが、それも良い策ではない。この学園は、彼女という実力者が治めているお陰で維持されているんだ。下手に取り除くと、学園長の椅子を懸けた派閥争いに発展したり、外部勢力からの侵攻を防げなくなったりする公算は高い。学園長は彼女――『生命の魔女』である方が、オレにとって都合が良かった。


 ……昔、ニナに語った内容で押し通すか。


 要するに、“神のお告げによって、いくつかの未来を予知した”という内容を、学園長へ説明した。最上の未来を得るために、ある程度は予知通りに進めて、聖女を成長させなくてはいけないとも補足しておく。


「……」


 それらを聞き終えた学園長は、ムッツリ不機嫌そうな表情で黙り込んだ。オレの話を自分なりに噛み砕いて理解しようと試みているんだと思われる。


 学園長室は沈黙に支配される。この場に一切の音はなく、ただただ時間のみが経過していった。


 五分後。思ったよりも早く学園長は納得できたらしく、その口を動かした。


「未来予知……荒唐無稽な話じゃが、嘘偽りはないんじゃな?」


「我らが神と我が家名に誓って」


「ふむ。あい分かった」


 聖王国貴族にとって最上級の宣誓を受けたら、もはや否定のしようもない。学園長は脱力気味に息を吐いた。それから、オレをキッと睨みつける。


「事情は理解した――が、事前説明くらいはしてほしかったのぅ」


 嫌味たっぷりのセリフに、オレは肩を竦める。


「教えたら止めただろう」


「無論。無関係の生徒たちを、巻き込めるわけがなかろう」


「それじゃあ、困るんだよ」


「聖女を成長させたい、じゃったか。お主たちが姿を偽り、酷似した状況を演出すれば良かったのでは?」


 いけしゃあしゃあとマッチポンプを勧めてくる学園長。普通の感性なら躊躇ためらいを覚えるだろうに、こういうところは年季の違いを感じるよ。


 オレは首を横に振る。


「ダメだ。どういった要素が成長を促しているか、正確に判別できているわけじゃない。悪魔騒動の場合、悪魔や魔族を相手にすることが重要だった可能性もあった。オレたちが代理を務めるのは、好ましい手段とは言い難い」


 たとえば、魔に属する者が発する力を取り込んでいるとか、オレの想像だにしない部分があるかもしれない。


 これまでの経験で、いい加減悟ったんだ。前世の原作は、伏線を回収し切れていなかったんだと。この世界はあまりにも謎が多すぎる。


 考えてみれば、当たりまえすぎる話。転生者とはいえ、一介の学生にすぎない主人公たち勇者や聖女が、世界の謎を解き明かせるわけがないんだ。せいぜい、目に映る個人の問題を解決できる程度。


 だからこそ、聖女の成長に関わるイベントは潰せない。何が彼女を強くするのか分からないから。


 こちらの回答に対し、学園長はただでさえ曇らせていた表情を、いっそう暗くさせる。シワの寄った眉間を指で解し、むむむと唸った。


 もう一押し必要か。オレは告げる。


「何も、無辜むこの民を犠牲にしたいわけじゃない。誰も死なないように万全の体制は整えるさ。悪魔騒動も死者はゼロだったし、避難民にケガ人はいなかっただろう?」


 本来の未来では死傷者多数だったんだぞ、と付け加えるのも忘れない。


 すると、学園長は盛大に溜息を吐いた。


「分かった。お主の計画を認めよう」


 無念だと言わんばかりに、彼女は折れた。


「ただし、条件がある」


「何だ?」


「一つは無関係の生徒に死傷者を出さないこと。無論、精神方面も含める。もう一つは、学園に関わる事件が起こる場合、事前に説明してくれ。悪魔騒動の二の舞はごめんじゃ」


「承知した。オレが予知した内容に限っては、生徒に被害を出さないと誓おう」


 原作における学生を巻き込む事件は、そう多くない。一つは確定として、あとは一つか二つ程度だな。その辺りは主人公たちの動向次第となる。


 どちらもフォラナーダを動員すれば対処できるので、学園長の条件は容易に達成できると確信していた。


「一つ訊きたいんだが……」


「なんじゃ?」


「どうして、そこまで良き教育者であろうとするんだ?」


 以前より気にはなっていたんだ。魔女とは禁忌を犯した魔法師。禁忌とはヒトの道理から外れる行為を指す場合が多い。つまり、魔女は人道に反する人格破綻者が大半だった。決して、教育者なんて立場に収まる人材ではない。


 加えて、彼女は学生へ寄り添おうと心がけている。どこまでも生徒たちを第一に行動している。その姿勢は好ましく思うけど、こんなにも厄介ごとを抱え込んでまで貫く信念となれば、その根本に興味が湧くのは当然だった。


 真っすぐ学園長を見据えると、彼女はフッと自嘲気味の笑みを浮かべた。


「なに、大した経緯ではない。昔、わしは師に裏切られたことがあってのぅ。一時期は荒れに荒れまくったが、落ち着いた今では、後進に同じ目に遭ってほしくないと思っておる」


「自分の受けた辛さを、生徒たちには経験してほしくないわけか」


「そうじゃな」


「ありきたりだな」


「だから、最初からそう言っておろう!?」


 肩透かしだという風に返したら、激高気味に学園長は声を上げた。自分でも安直だと思っている模様。


 ――でも、


「素晴らしい考えだと思うぞ。そうやって反面教師にできるヒトは、なかなかいない」


 “自分はつらい経験をしたんだから、他の者も同じ目に遭うべき”と思考する者は、この世の中に溢れている。よしんば反面教師にできたとしても、大きな行動に出られる者はもっと少数だろう。


 学園長の地位にまで上り詰め、自分の理想を貫こうとするのは、並大抵の努力や精神力では不可能だ。その点において、彼女は誇って良いとオレは思う。


「……ありがとう」


 小さく礼を口にする学園長。珍しく照れているようで、幼い頬は微かに赤く染まっていた。


 いつもこういう態度でいてくれたら可愛らしいんだけど、実際はヘンタイなんだよなぁ。残念で仕方がない。




「ハァ、胃が痛い」


 話に一段落ついたところ、学園長がボソリと弱音を吐いた。


 よっぽど心労を溜めていたらしい。見た目こそ幼い少女だけど、中身はおばあちゃんだからな。この後・・・を考えて、ひっそりとストレス軽減の精神魔法をかけておこう。


 ――さて。


「早速で悪いけど、約束を守らせてもらおう。今度の校外学習、スタンピードが発生するぞ」


 直後、学園長はテーブルに突っ伏した。

 

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