Interlude-Eric 聖女

「はぁ」


 王都の外。平らな地が広がる草原にて、俺――エリックは腰を下ろしていた。延々と続く地平線をボーっと眺めては、溜息を吐いている。


 理由は至極単純、俺の初恋は破れたんだ。ニナ殿に、きっぱりと振られてしまった。彼女の慈悲で与えられた最後のチャンスを、俺は活かせなかった。いや、違うか。最初からチャンスなんてなかったんだ、きっと。俺が俺である限り、ニナ殿は振り向いてはくれなかっただろう。


 彼女は言っていた。外敵すべてから自分を守る騎士はいらない、自分は守られるだけのお姫さまにはならないと。


 騎士を目指す俺を否定する発言だった。だからこそショックを受け、最近は上手く彼女に接することができなかった。


 まぁ、それでも、この初恋は諦められなかったんだが……中間試験で折れた。彼女の戦い振りを見て、生徒会長たちとの模擬戦やオレとの一騎打ちでは、相当手加減していたのだと理解した。


 剣技には自信があったんだ。新歓で見たニナ殿の技量は確かに凄まじかったけど、俺なら追いすがれると信じていた。俺の実力を目の当たりにしてくれれば、考えを改めてくれると妄信していた。


 愚の骨頂だ。本気のニナ殿が振るう剣技は、どれ一つ取っても俺の遥か上をいく。どの口で『彼女を守る』なんて言っていたのやら。過去の俺に会えるのなら、全力でブン殴っていると思う。


 情けない己を愛する人に勧めるなんて出来やしないし、自分が強者であるなんて考えが幻想にすぎなかったと知った今、恋にうつつを抜かしてはいられない。俺の目標は皆を守れる騎士なんだ。それだけは譲れない一線だった。


 でも……今だけは黄昏るのを許してほしい。一目見た瞬間より十年以上も続いた恋の終焉は、納得できる結果だったとしてもツライ。


「はぁ」


 何度目かも分からない溜息。


 騎士を目指す者としては情けない姿だが、どうしようもなかった。どうせ、誰の目もないんだから――


「溜息なんて吐いて、困りごとですか?」


「ッ!?」


 不意に声をかけられ、俺は驚愕しながら振り返る。


 そこには金の髪とうぐいす色の瞳を宿した女性が立っていた。華やかさはないが、どこか素朴な愛らしさを感じる人だった。


「あんたは確か……聖女だったか?」


 入学式で見た覚えがある。今代の聖女に選ばれた女性だろう。


 対して、聖女は朗らかな笑みを浮かべた。


「はい。未熟者ながら聖女を拝命しています、セイラ・イセンテ・ホーライトと申します。以後、お見知りおきを」


「あ、嗚呼。よろしく」


 何故かは分からないが、彼女より圧のようなものを感じた。聖女の威光とでも言えば良いのか、思わず拝みたくなってしまう。


 俺の内心の動揺なんて知らない聖女――セイラ殿は会話を続ける。


「それで、お困りごとでしょうか?」


「い、いや。何も困ってないさ」


 表情からして純粋に心配してくれているんだろうが、『失恋のショックで落ち込んでいた』なんて暴露できるはずがない。俺も男の端くれ、プライドは存在した。


 すると、キョトンとセイラ殿は首を傾ぐ。


「でも、あんなに何度も溜息を吐いていましたよ?」


「ぐっ、いつから見てたんだ……」


 手痛いところを突かれ、言葉に詰まる俺。


 彼女の言うように、繰り返し溜息を吐いていて、何も困っていないと返すのは無理がある。


 しかし、だからといって、話すかどうかは別問題だ。


「キミには話せない」


「何故でしょう?」


「キミには関係ないことだ」


 たとえプライドを考慮しなかったとしても、失恋事情は初対面の人物に語る内容ではない。心配してくれた彼女には悪いが、全力で拒絶してもらおう。


 ところが、セイラ殿は予想外の行動に出た。


「あなたのお名前を教えていただけませんか?」


「はい?」


「だから、お名前を教えてください」


「……何故だ?」


「私は名乗りましたよ」


「むっ」


 彼女の言う通りだった。淑女に名乗らせておいて自らが名を告げないのは、騎士道に反するだろう。


 これ以上は放っておいてほしかったが、そう言われては致し方あるまい。


 俺は立ち上がり、貴族の一礼をする。


「これは失礼しました。私はエリック・エンデリル・ユ・サン・クシポスと申します。クシポス伯爵家の次期当主であり、騎士の道を邁進する者です」


「エリックさまですね。よろしくお願いします!」


 俺の名乗りを受け、セイラ殿は満面の笑みを浮かべた。心より喜んでいる態度を見て、俺は思わず見とれてしまう。


 ……待つんだ。失恋した直後に、他の異性を意識してしまうなんて不誠実すぎる。そうだ、これは気の迷い。心が弱っているせいで、他人の優しさが余計に染み込んでいるだけだ。


 ふぅと小さく呼吸をして、何とか冷静さを保つ。大丈夫、俺は大丈夫。


 感情を落ち着かせた俺は、改めてセイラ殿に物申す。


「名前は伝えた。今日のところは放っておいてくれないか」


「お断りします」


「なに!?」


 またもや予想外の返しに、俺は瞠目どうもくする。


 伯爵子息に、普通はここまで強気には出られないぞ。聖女に選ばれるほどだからか、相当肝が据わっている女性のようだ。


 彼女はニコニコと笑顔のまま言う。


「袖振り合うも他生の縁と言いますし、お話でもしませんか?」


「いや、俺は……」


「お願いします、エリックさま」


「むぐっ」


 若干涙目かつ上目遣いで乞われては、断りづらいではないか。女性の頼みを無下にするのは、俺の騎士道にも反するような気がする。


 はぁ。今代の聖女は、かなり強引な性格のようだ。


「分かった。話をしよう」


 俺は根負けし、セイラ殿の戯れに付き合うことにした。












 セイラ殿との会話を始めて数分後。


「なるほど、失恋ですか。それはさぞ辛かったでしょう」


「嗚呼。十年以上も想っていたんだけどな……」


 何故か、俺は彼女にすべてを打ち明けてしまっていた。


 弁明させてほしい。セイラ殿はとても聞き上手なんだ。こちらの欲しいタイミングで相づちをしてくれて、こちらの欲しい感想を言ってくれて、こちらの考えに共感してくれる。それが続けば、ついつい興が乗ってしまうのも仕方ないと思う。


「……全然違うじゃない」


「何か言ったか?」


「いえ、何も。エリックさまに十年も一途に想っていただけるなんて、私なら喜ぶんですけどね」


「そう言ってもらえると気が楽になるよ。まぁ、彼女にとっては違ったんだろう。世の中には、どうしようもない価値観の違いがあると知った」


 俺が騎士を目指す道は絶対に変わらないが、騎士道を掲げるだけではダメな場合もあると知った。


「きっと、この経験が活きる日が巡ってくる。そう信じたい」


「エリックさまはお強いんですね」


「いや、俺なんて、まだまださ」


 初恋の人に、完膚なきまでに振られないと気づかなかったんだ。今までの俺は、どうしようもない子供だったんだろう。




 その後、俺とセイラ殿は日が暮れるまで雑談を続けた。彼女との会話は楽しく、実に有意義な時間だった。


 彼女は、些か押しが強いところは難点だが、それ以外はステキな女性だと思う。グレイ第二王子が気に入るのも納得できた。


 今後も友人として仲良くしていきたい。

 

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