Chapter4-4 犯人の行方(3)

 一通り王都を駆け足で回った後、オレたちは最後の巡回場所に訪れていた。


 はたして、そこはスラムである。大きく発展した王都にも――いや、発展しているからこそ、スラムは存在する。光が輝けば輝くほど、影は濃くなってしまうんだ。


 その日暮らしの浮浪者の集まるスラムは、当然ながら治安が悪い。普段なら足を踏み入れたくない場所だが、こういうところこそ事件が起こりやすい。


 そも、表で誘拐をしにくくなった犯人が鬱憤を晴らすなら、表沙汰になりにくいスラムで行う可能性は高い。定職や住居を持たない彼らを誘拐しても、たいていは事件にならないからな。


 一応、犯人がスラムに潜んでいないことは確認済みである。諜報部隊に捜索させたが、それらしい人物は発見できなかった。ゆえに、いつもは『スラムも見回っているぞ』と、オレたちの存在をアピールする役割が大きい。


 王都の郊外、路地を深く深く進んだ先にあるスラム。狭く薄暗いそこは、放課後という時間帯も相まって、陰鬱さをいっそう増していた。人気ひとけは感じられるが、決して視界に入ってはこない。誰もが、オレたち二人の様子を遠巻きにジッと窺っている。


「不気味な場所」


 汚れた道を歩く途中、ニナが呟いた。


 気持ちは分かる。道端にゴミ等が転がっているここ・・は衛生的ではないし、ずっと陰より見られているせいで気も滅入ってくる。閉鎖的な空間は、不気味と表現するのが適確だった。


「出遅れたな」


 頃合いを見計らい、オレは結論を下す。


「すでに、スラムは誘拐犯が暴れ回った後だよ」


「同感。獣人がいない」


 ニナも同じ考えに至っていた模様。


 探知術に、まったく獣人が引っかからなかった。そして、こうして目視で確認しても人間しか見当たらない。昨日の巡回までは、それなりの獣人たちがいたというのに。


 つまり、ここにいた獣人すべては、もう犯人に連れ去られてしまったんだ。直近の報告書は昼のモノだったため、まさに紙一重の差で取り逃がしたことになる。


 オレは溜息を吐きながら頭を掻いた。


 本件は後手に回ることが多い。敵の情報がほとんどないから仕方ないんだけど、進展があまりないのは精神的に宜しくない。実際、ニナの焦燥は日に日に増していた。


 スラムの住民より、有益な情報が得られることを願うしかない。タイミング良くお客さんがやってきたし、彼らに問うてみよう。


 こちらへ駆けてくる賊を探知で確認しつつ、オレは呑気に思考を回す。


 そうして、来客は現れた。オレとニナに死角を上手く走り抜け、その手に握る得物をニナの背中に突き立てようとする。


 無論、彼女も襲撃者には気づいている。ギリギリまで引きつけ、カウンター気味に捕縛する算段のようだ。


 しかし、事態はオレたちの予定とは違う場所へ着地する。


「あっ」


「ん?」


 探知術を作動させているオレが最初にそれ・・を捉え、その後にニナも把握した。


 物陰より一人の人物が飛び出し、今まさにニナを刺そうとしていた輩を殴り飛ばしたんだ。


 かなり力を込めた一撃だったらしく、襲撃者は呻き声を漏らす暇なく吹き飛び、地面に叩きつけられて気絶した。かろうじて生きているけど、治療しないと死にそうだ。


「大丈夫か、ニナ殿!?」


 賊を殴った人物――エリックは、慌てた様子でニナの安否を確認する。


 そう、エリックだ。彼は執念深くオレたちを追いかけ続けていたようで、つい数分前に追いついていた。出る機会を見計らっていたのか、大人しく物陰に隠れていたので、特に言及せず放置していたんだ。


 おそらく、ニナが襲われるのを見て、居ても立ってもいられずに飛び出したんだろう。


「……大丈夫」


 生け捕りの邪魔をされたニナはやや不機嫌そうだが、純粋に心配されているのを無下にはできない模様。溜息交じりに返事をした。


 それを聞き、エリックはホッと胸を撫で下ろす。


 その後、彼は表情を百八十度変えて、オレを凄まじい形相で睨みつけてきた。久方振りに敵意全開である。


「お前ッ、ニナ殿が襲われそうだったことに気づいてただろう!」


「嗚呼、そういうことか」


 判然としなかった敵意を向けられる理由が得心できた。


 エリックはこう言いたいんだ。襲われるのを分かっていながら、何で助けに入らなかったのかと。


 回答は決まっていた。


「オレが手を出さなくても、ニナは一人で対処できてたさ」


「つまり、油断してたってことだなッ」


「何故にそうなる……」


「万が一を考えれば、助力するべきだった! お前は、横着してニナ殿を危機にさらしたんだ」


「ふむ」


 一理あるな。横着したつもりはないけど、万が一をまったく考慮していなかったのは、確かに油断していると断じられても反論できない。


 とはいえ、この程度の難事なら、余裕で跳ねのけられるよう訓練したのも事実だ。すべての危険をオレが排除していては、ニナは一向に強くなれない。


 まぁ、この辺りは信念の違いだろう。オレは“大切”の安全を念頭に置きつつも、彼女ら自身が成長できる余地を残す。一方のエリックは自らの身を挺してでも守り抜く。同じ守る意味合いでも、方向性が全然違うんだ。


 これに関して、いくら言葉を募ろうと彼は納得しない気がする。異なる価値観を受け入れるというのは、並大抵の精神力では不可能だから。それこそ、多様性の認められていた前世の世界でも難しい問題だった。


「ニナ殿が慕っているからと堪えていたが、もう我慢ならない! ニナ殿を守れないお前に、彼女なんて任せられるかッ」


 怒髪天を衝くエリックは延々とオレに説教し、最終的にはそんな啖呵を切った。


 続けて、


「ニナ殿、今からでも遅くない。俺のところに来ないか? もちろん、結婚を強要するわけじゃない。交友関係に口を出すわけでもない。ただ、彼とは距離を置いてほしいんだ。彼と一緒にいたら、あなたはいつか大ケガを負うかもしれない。そんな未来を、俺は見過ごせないよ」


 自分の求婚を受ける必要はない。カロンたちとも仲良くして良い。ただ、ゼクスオレとだけは縁を切ってほしい。そう願いを乞う。


 さながら、オレがロクにヒロインを守らない悪徳貴族で、エリックがヒロインを真に守り通す正義の騎士か。


 先も言った通り、これは信念の違いだ。カッコイイ騎士にずっと守ってほしいと願う女性は、エリックの方が魅力的に映るだろう。


 というより、オレの『かわいい子には旅をさせよ』的な理念は、恋人というよりも親に当てはまる思考回路かもしれないな。女性ウケは彼の方が良いまである。この世界なら特に。


 しかし、ニナの心には、エリックの言葉は響かなかったみたいだ。彼の熱意溢れるセリフを聞いても、彼女の表情も感情もまったく揺れていない。


「アタシは守られるだけのお姫さまじゃない」


 ニナはおもむろに、そしてハッキリと口を動かす。


「たぶん、あなたと出会った頃のアタシは、おりに繋がれた弱々しい子犬のアタシだったんだと思う。両親や使用人たちには冷たくあしらわれ、唯一の拠りどころだった妹さえアタシに依存してるだけだった。貴族時代のアタシは、本当にボロボロだったと思う。その姿を見て『守ってあげたい』と思ってくれたのは素直に嬉しい。当時のアタシにも、支えてくれようと考えてくれた人がいたわけだから」


 そこで言葉を区切り、彼女は真っすぐエリックを見据えた。それから「でも」と力強く続ける。


「今のアタシはもうおりの中にはいない。今のアタシは、広い世界を自由に駆ける狼。守られるだけを良しとする弱者じゃない。アタシが求めるのは指導者ないし背中を預けられる仲間であって、全面的に身を守ってくれる騎士じゃない。守られるだけじゃ、いつか破綻する」


 奴隷まで落ちた経験を有するがゆえの説得力が、そのセリフの端々に込められていた。一切の反論は許さないという威圧が放たれていた。


「ぐっ」


 エリックは呻き声とともに歯を食いしばった。自分の芯である『騎士であろうとすること』を否定されたんだ。もはや、ニナを振り向かせる術なんて存在しないと悟ったんだと思う。


「俺はニナ殿を愛しているんだ。真剣に、妻に迎え入れたいと考えているッ」


 それでも、改めて想いを口にしたのは、十年以上も抱え続けたそれを守りたいからなんだろう。無駄な足掻きだと知りながらも、感情を吐くことを止められなかったよう。


 唇を噛み締め、両拳も強く握り締め、全身を悔しげに震わせるエリック。


 そんな彼を見て、ニナは一つ溜息を吐いた。


「ゼクス。剣、出して」


「……嗚呼、なるほど」


 唐突な申し出だったが、すぐに理解した。


 オレは『いつでも訓練できるように』としまい込んでいた木剣二つを【位相隠しカバーテクスチャ】より取り出し、ニナに手渡す。


 剣を受け取った彼女は一本を握り締め、もう一本をエリックの方へと放り投げた。カランと乾いた音が響き、彼は呆けた表情で転がった木剣を見つめた。


 呆然と立ち尽くすエリックへ、ニナは淡々と告げる。


「最後のチャンス。アタシがあなたを地に伏させる前に、あなたがアタシに一太刀でも浴びせられたら、婚約者になってあげる」


「ほ、本当か!?」


「二言はない」


 オレは『容赦ないな』と思ったんだが、エリックは正反対の感想を抱いた模様。目を輝かせて木剣を拾う。


 うーん。もしかして、彼はニナの実力を誤認しているのか? 騎士として守るというのは心意気の問題かと考えていたんだけど、本気で守るつもりだった?


 どこで勘違いが生まれたかは知らないが、今のオレに出来ることは一つ。これから行われる一騎打ちに、イレギュラーが発生しないよう見張るだけだ。


 二人は剣を構え、約十メートルの間隔を空けて相対する。


 オレはその中間辺りに立ち、軽く片手を挙げた。


「合図はオレが出そう。時間も惜しいし、前口上はしない。それでは――はじめ!」


「うおおおおおおお!!!」


 開始の合図の直後、エリックは裂帛れっぱくの声とともにニナへ向かって駆け出した。


 走力はなかなかだな。日頃より鍛錬をしているのが分かる。でも、所詮は素の筋力のみ。【身体強化】を習得しているオレやニナにとってはノロマすぎた。


 一拍遅れて、ニナも行動に出る。


 一歩。たった一歩踏み込んだだけで、彼女はエリックの懐に潜り込んでいた。


「なっ――」


「遅い」


 目をみはってしまうエリック。その硬直は致命的だった。


 次の瞬間にはニナの剣は振り放たれており、彼は地に沈んだ。


 手加減は忘れていなかったようで、向こうに大きなケガは見られない。さすがだな。打撲程度は負わせそうな威力に見えたけど、無傷で済ませてしまうのか。


 何が起きたのか理解できていないのか、エリックは地面に寝転がったまま動かない。呆然と土を眺めている。


 ニナは言う。


「今のあなたにアタシは守れない。もし、あなたが強くなったとしても、アタシは守ってほしいとは思ってない。…………ハッキリ言う。アタシがあなたを好きになることはない。諦めて」


 明確な拒絶だった。普段は凪のように静かなニナの声も、この時ばかりは熱がこもっていた。それが尚更、本音を語っているんだと実感させる。


 エリックも感じ取ったんだろう。何か言い返すことはなかった。


 そのまま硬直していた彼だが、不意に立ち上がり、


「ニナ殿の気持ちは理解した。今まで迷惑をかけてすまない。今後、付きまとうようなマネは控えると約束する」


 と口にして、きびすを返して走り去ってしまった。足取りは確かなので、変な場所へ迷い込む心配はいらないと思う。長年の恋路が終わった後だし、そっとしておくべきだな。


「ふぅ」


 些か疲れ気味に息を吐くニナ。


 告白を断るのに多大な精神負担がかかるのは、オレもよく理解しているところ。今の彼女の心情は、察してあまりあった。


「お疲れさま」


 余計な口は出さず、オレは肩を叩いて労いの言葉をかける。


 対し、ニナは小さく頷いた。


「うん」


 その後、オレたちはもう少しだけスラムを回り、住人たちにも聞き込みをしてみたけど、大した情報を得られはしなかった。


 いったい、誘拐犯はどこに雲隠れしたのやら。


 まだ、事件解決までは時間がかかりそうである。

 

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