Chapter3-5 始動(4)
内側を駆け巡っていた熱が、一気に冷めていくのを実感した。鈍っていた思考は回りはじめ、狭まっていた視野も広がっていく。
「追ってきてくれたんですか?」
「ええ。パートナーを置いて走り去ってしまう婚約者を叱るためにね」
フンと小さく鼻を鳴らすミネルヴァ。そこに含められた意味は、怒りというよりも忠言が近かった。
「何があったのかと思えば、あれが原因か。何というか……私の将来の義妹は、とことん殿下に嫌われているようね」
ミネルヴァの視線の先には、未だ言い合いを続けるカロンたちの姿があった。あれを見て、事の経緯を察したらしい。理解が早くて助かる。
「はい。だから、早く介入しな――」
「ダメよ」
言葉の途中にも関わらず、ミネルヴァは一刀両断した。
「何回も言ってるでしょう。あなたは自分の立場を弁えるべきよ。色なし風情が首を突っ込んだって、事態は収まらないわ」
「どうしてでしょう?」
オレはミネルヴァに向き直って問う。
本当はすぐにでもカロンの元へ駆け寄りたいが、グッと堪えた。
冷静になった今なら分かる。オレが焦らずとも、カロンたちは傷つかない。グレイらには結界を破れないし、その先には護衛の部下たちが構えているからだ。また、よくよく考えると、この状況は利用できる可能性を秘めている。ゆえに、なりゆきに身を任せよう。どうせ、ミネルヴァの目があるうちは、強硬手段に訴えるのは難しいんだ。
オレの質問に対し、彼女は「簡単なことよ」と返す。
「私はこれでも王族の縁戚なの。当然、殿下とは何度か顔を合わせたことがあるし、ある程度の性格も把握してるわ。あの方は尊大な性格とは裏腹に、かなりの卑屈屋なのよ。コンプレックスの塊と言ってもいい。自分の実力を信じ切れてない。だから、自分よりも能力が高い者は嫌い、能力が低い者は徹底して見下すわ」
「……つまり、オレが間に入っても、聞く耳を持たないと?」
傲慢なグレイが、見下す相手の意見を聞き入れるとは考えられない。頑なに無視するだろう。
その推測は正しかったようで、ミネルヴァは首肯した。
「なら、どうすればいいんですか?」
「私が仲裁するわ」
「ミネルヴァさんが?」
思ってもみなかった申し出に、オレは首を傾げた。
いくら王宮派と対する貴族派とはいえ、いくらフォラナーダに嫁ぐとはいえ、彼女自身がこの諍いに混ざる利点は存在しない。
すると、ミネルヴァは盛大に溜息を吐いた。
「あなた、私を何だと思ってるのよ。将来の義妹のピンチに何もしないほど、薄情な人間になったつもりはないわ」
そう言って、彼女はオレを真っすぐ見据えた。信念と誇りを宿した瞳だった。
すっかり忘れていた。ミネルヴァは表に出す態度こそ捻くれているけど、心根は優しく思いやりの溢れた女の子なんだ。そんな彼女が、現状を放っておくわけがなかった。
「大船に乗ったつもりでいなさい」
ミネルヴァは軽い足取りで渦中へ向かっていく。オレも彼女の後に続いた。
オレたちの接近は、すぐに気づかれる。
「お兄さま!」
「「「「「ゼクスさま!」」」」」
まず、カロンや部下たちが声を上げる。こちらに向けられる眼差しは、信頼に満ちたものだった。先程まで怒りに囚われていた自分が恥ずかしい。
次に、グレイ陣営の者たちが反応を示す。オレではなくミネルヴァの方に、だが。
「ミネルヴァ・オールレーニ・ユ・カリ・ロラムベルッ」
グレイが苦々しい面持ちで彼女の名を呼んだ。
あの反応を見るに、彼はミネルヴァのことも嫌っているみたいだ。嗚呼、自分より優れている者は嫌うと言っていたっけ。あれは自分の経験談だったんだな。
ミネルヴァは涼しげに返す。
「お久しぶりです、グレイ殿下。何やら揉めごとを起こされているようで?」
「お前には関係のないことだ」
「そうでもありません。カロライン嬢は、私の婚約者の妹。要するに、将来の義妹ですから」
「婚約者? ……嗚呼、その後ろの虫けらか」
おおぅ、虫けら呼びとはご大層だな。
想像以上の見下しっぷりに、思わず苦笑いが浮かんでしまう。
一方、オレを
「慕われてるのね」
「お陰さまで」
ミネルヴァにまで呆れられてしまったが、覆しようのない事実のため、甘んじて受け入れるしかない。嫌というわけでもないし。
殺気が飛び交う中、そういったものに鈍感らしいベッカ伯爵が声を上げる。
「ミネルヴァさま。殿下は被害者でございます。加害者側の助太刀をなさると、ロラムベルの家名が傷つきますぞ!」
どうやら、ミネルヴァにも先程と同様の主張を貫くつもりのようだった。
それを認めた彼女は、フンと鼻を鳴らす。
「どこが被害者だというの? 周囲に散ってる炎は殿下側から撃たれている風に見えるけど?」
彼女の言う通りだった。炎の散り具合をよく観察すれば、グレイより射線が引かれているものもある。彼が魔法を放った際の余波だろう。
それに、とミネルヴァは続ける。
「カロライン嬢の展開してる魔法は結界よ。それでどうやって攻撃するの」
「結界とは限りません」
「結界よ」
「何故、断言できるのですか!」
「私の家名をもう忘れたのかしら?」
「ぐっ」
ベッカは声を詰まらせた。
当然だ。ミネルヴァの父は魔法
「チッ。もういい、帰るぞ」
「お、お待ちください、殿下!」
「ちょっと!」
旗色が悪くなったのを察してか、グレイは痺れを切らした。身を翻してこの場を去っていく。その後を追うように、ベッカや護衛たちも駆けていった。
ミネルヴァや部下たちが彼らを追おうとするが、オレはそれを手で制する。
「追わなくていいの? あの調子だと王都まで帰るわよ、殿下たち」
「今のところは大丈夫です。こちらにも考えがありますから」
「そう。情けをかけないのなら、私は構わないわ」
「意外と怒ってます?」
「当然でしょう? あなたたちをバカにされたんだもの……って、今のはナシよ。別にあなたたちの心配をしたわけじゃないんだからねッ。って、ニヤニヤするんじゃないわよ!」
最後の最後で、殺伐した気持ちに一滴の清涼剤が投下された。
必死に主張してくるミネルヴァを尻目に、オレは今後の展開に思考を回す。
グレイたちの態度は万死に値するが、単純にやり返すだけでは阿呆でもできる。
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