Chapter3-4 暗躍と対策(2)

「ちょっと。聞いてるの?」


「え?」


 ミネルヴァの声が耳に届き、我に返る。


 オレは今、彼女と共に食卓を囲っていた。事前の予想通り夕食の誘いを受けたため、こうして一緒に食事をしているんだ。


 ただ、今の短いやり取りから分かるように、オレは全然集中できていなかった。というのも、先刻の『魔女の呪い』に関する諸々に、思考を割かれていたためだ。


 捕えたプテプ伯爵らからも情報を搾り取ったんだが、呪物の本については『流れの商人が置いていった』以上は何も分からなかった。さらに、精神汚染も酷かったせいで、通常の会話を交わすことも困難を極めた。結局、ほとんど収穫は得られなかったのである。敵の影さえ掴めない状況が続くのは、非常にもどかしい。


 また、ニナを狙ったのがプテプ伯爵であったのも、オレが焦燥感を覚える原因だった。


 ゲームで彼女を死に至らしめた当人ではなかったが、その身内が立ちはだかったのは、あまりにも作為的なものを感じてしまう。まるで、世界が『プテプがニナを殺す』という図式を成立させようとしている風に思えてしまう。


 前々から、ゲーム通りに事物を進行させる“世界の強制力”の存在は疑っていた。類似した創作において、そういった未知の力が働く展開もあったがゆえに警戒はしていた。


 とはいえ、最近は強制力なんて、ほとんどないだろうとも考えていた。何せ、カロンやオルカの性格、フォラナーダの状況はゲームと乖離しているし、ニナも今のところは無事。強制される様子は微塵も見られなかったがために、自然と油断していたんだ。


 ここに来て発生したニナを取り巻く事態は、間違いなくオレを動揺させていた。


 そのせいで、ミネルヴァの話を聞き逃す失態を犯してしまった。ダメだな、ちゃんと意識を切り替えないと。


「すみません。少し考えごとをしていました」


 オレは笑みを作り、何てことない風にミネルヴァへ返す。


 すると、彼女はスゥと目をすがめた。


「私との食事中に別のことを考えるなんて、いい度胸をしてるじゃない」


「本当に申しわけない。以後気をつけます」


「……そう。なら、いいわ」


 あれ、思ったよりも素直に引いてくれた。ツンデレ風味の強い彼女のことだから、色々と心配の言葉をかけてくると踏んでいたんだけども。


 予想外の対応に、少しだけ訝しく感じる。


 しかし、それを深く考えることはなかった。


「仕方ないわね。もう一度話してあげるから、今度こそ聞きなさいよ」


「はい、もちろんです」


 すぐさまミネルヴァが雑談を続けたため、オレはそちらに集中することにした。二度までも聞き逃しては、さすがに失礼すぎる。


 その後の夕餉ゆうげは滞りなく進んだ。ミネルヴァが得意げに話題を提供し、オレが適度に相づちを打つ。そんな定番の流れで落ち着くのだった。








 夕食を終えてから約一時間。オレは、自室のベッドの上で思考にふけっていた。考えるのは無論、ニナに迫る脅威についてである。


 彼女を領城に匿うのは確定として。もしゲーム展開への強制力が存在するのだとしたら、どのように対処していくべきかを熟考する。


 何やらシオンより視線を感じるが、今は構っている暇はないので放っておいた。申しわけないけど、事態が一段落するまでは我慢してほしい。


 静寂の包む室内だったが、不意にそれは破られた。コンコンと規則正しいノックが響いたんだ。


 オレとシオンは揃って首を傾ぐ。


 こんな夜分に誰が? という疑問ではない。常時探知を展開しているオレたちは、部屋に近づいてくる人物をすべて把握している。


 オレらが抱いた疑問は『こんな時間にミネルヴァは何の用だ?』である。


 そう、訪問者はミネルヴァだった。というか、色なしのオレの部屋へ自発的に足を運ぶのは、彼女くらいしかいない。


 貴族令嬢が夜に男の部屋を訪れるなんて、よっぽどの事態だ。たとえ相手が婚約者だとしても、あまり褒められた行為ではない。公爵家の娘たる彼女が、その辺の常識を弁えていないとは考えられないが、いったい何の思惑があっての行動だろか。


 怪訝に思いつつも、オレはシオンへ応対するよう指示を出す。ノックをされた以上、無視するわけにはいかない。


 シオンは扉を開き、表にいるミネルヴァと問答を始めた。すぐに終わると考えていたんだが、些か会話が長い。何を話しているんだろうか。


 聴覚を強化すれば盗み聞きはできるけど、デリカシーがなさすぎるので実行には移さない。TPOはきちんと考慮するのだ。


 程なくして、シオンがこちらに歩み寄ってくる。後ろからは誰も付いてこないところを見るに、ミネルヴァは彼女と話しただけで帰ってしまった模様。何の用件だったんだ?


 内心で首を傾げていると、傍らまで来たシオンが笑顔で言った。


「ミネルヴァさまから、お茶会のお誘いがありました」


「は? 今から?」


 予想の斜め上の発言に、オレは素っ頓狂な声を上げてしまう。


 時刻はすでに二十時をすぎていた。陽も完全に沈んでいる。決して、お茶会なんて行う時間帯ではなかった。


 瞠目どうもくするオレの反応をまるっと無視して、シオンは立ち上がるよう急かしてくる。


「ほら。ミネルヴァさまがお待ちくださっているのですから、早く準備をしてください」


「えっ、おい。本当にお茶会するのか?」


「しますよ。そう申しているではないですか」


「いや、でも、こんな時間に?」


「こんな時間に、です」


 有無を言わせぬ彼女の態度に、困惑するしかない。


 結局、オレはシオンに押し切られることになった。身支度を整えて、シオンの先導でお茶会の会場へ向かう。


 扉の前で応対した際に結託したんだろうなぁと思いつつも、野暮なことは口にしない。シオンは無論、ミネルヴァのことも信用している。言葉こそ苛烈だが、彼女は気遣いのできる淑女だからな。オレの不利益になるようなマネを二人はしないと断言できた。ゆえに、大人しく従っている。


 どうやら、普段利用している中庭とは異なる目的地らしい。いつもとは違う道順を通って辿り着いたのは、屋敷の裏庭のはずれ。なだらかな丘の頂にある東屋だった。


 東屋には先行していたミネルヴァがおり、すでにお茶会の用意が整っていた。


 他の使用人の気配を感じないけど、もしかして彼女が一人で用意したのか?


 器具等を運ぶのには人手を使っただろうが、少なくともお茶を淹れたのはミネルヴァ本人で間違いない。ポットより立つ湯気より、オレたちが到着する直前に淹れたと推測できるから。


 正直、意外だった。典型的なお嬢さまのミネルヴァは、お茶汲みなんて一切できないと考えていた。


 婚約者の新たな一面に感心しながら、オレは彼女へ一礼する。


「この度はお茶会にご招待いただき、ありがとうございます」


 もっと格式ばった挨拶もあったけど、ミネルヴァの雰囲気からして、フランクな方が適切だと判断した。


 それは正しかったようで、彼女は腰に両手を当てて胸を張る。


「今日はこの私が直々にお茶を淹れたのよ。感謝して味わいなさい!」


「それは素晴らしいですね。楽しみです」


 オレはミネルヴァの案内で席に着き、シオンは背後に控える。


 それから、彼女はカップを三人分・・・用意し、ポットからお茶を注ぎ始めた。


「シオンの分も用意していただけるのですか?」


 使用人は貴族と同席して飲食はできない。その常識を破る行動を取るミネルヴァに、オレは驚いた。これについては聞いていなかったのか、シオンも目を見開いている。


 対し、ミネルヴァはフンと鼻を鳴らす。


「これは私が初めて淹れたお茶なの。だから、本職の意見も聞きたいのよ。問題ある?」


「いえ、オレは構わないですよ。むしろ、嬉しいくらいです」


 家族であるシオンが認められたようで、何となく喜ばしく思う。


「ふうん。で、あなた――シオンは飲んでくれるのかしら?」


「は、はい。ミネルヴァさまが仰るのでしたら、私に否はございません」


「じゃあ、席に着きなさい。彼の隣よ」


「し、承知いたしました」


 オレと共にお茶を飲むのは初めてではないはずだけど、ミネルヴァという第三者がいるからか、シオンはかなり困惑していた。おそるおそる椅子に座る。


「それでは、お茶会を始めましょう。どうぞ、遠慮なく飲んでみてちょうだい」


 初めて淹れたと言っていたから、早く感想が欲しいのかもしれない。前置きの一切を省き、早速とばかりにお茶を勧めてくる。


 拒絶する理由もないので、オレとシオンはカップを手に取った。


 漂ってくる香りは良い感じ。さてはて、味の方はどうかな。


 十分に香りを楽しんだ後、一口含む。


 ほぅ、これは。


 オレとシオンは顔を見合わせる。彼女も同じ感想を抱いたらしい。


「ど、どう?」


 期待と不安をい交ぜにした表情で問うてくるミネルヴァ。


 オレたちは笑顔で答える。


「とても美味しいですよ。初めて淹れたとは思えないデキです」


「ゼクスさまと同意見です。お店に出されるものと遜色ありませんよ」


 まぁ、細かい指摘箇所はあるけど、それは今言うセリフではない。美味しいのは確かで、プロに匹敵する腕を見せてくれたのは事実なんだから。


「そう。良かったわ」


 よほど緊張していたらしい。彼女には珍しく、素直な感情を吐露していた。


 いつもの強気な顔とは異なる部分を見られて、オレもシオンも頬が緩んでしまう。


 そんなオレたちに気づいたようで、ミネルヴァは頬を朱に染めた。


「な、何よ。初めてだったんだから、仕方ないでしょう?」


 唇を尖らせて文句を言う彼女は、本当に可愛らしいと思う。


 それはシオンも感じていたみたいで、「か、可愛い」と呟いていた。


 和やかな空気が流れる中、オレは気になっていた点を問うてみることにした。


「一つお聞きしたいのですが」


「何?」


「どうして、お茶の淹れ方を学んだのでしょう?」


 先も言ったが、公爵令嬢である彼女に、お茶汲みの技術は必要ない。その辺りの作業は使用人に任せれば良いのだから。


 以前より趣味だったならまだしも、今回が初めてとなると、つい最近覚えたんだと察しがつく。その心境の変化が不思議だった。


 すると、ミネルヴァは落ち着かない様子で目を泳がせ始めた。どことなく、先程よりも顔が赤くなっている風に見える。


 マズイ質問だっただろうかと心配になった頃合い。彼女は囁くように答える。


「あなたの趣味だと聞いたから……」


「はい?」


「紅茶を淹れるのがあなたの趣味だと聞いたから、私も覚えてみたのよ。フフン。これで、すべてにおいて私はあなたを上回ってると証明されたわね!」


 最初は恥ずかしそうに、最後は尊大にミネルヴァは言った。


 後半のセリフがタダの照れ隠しであることは、感情を読むまでもなく理解できた。


 オレと趣味を共有したいがために、わざわざ新しい技術を覚えてくれたらしい。何とも意地らしい婚約者の姿に、オレの表情は綻ぶ。


 見れば、隣のシオンも柔らかい眼差しでミネルヴァを見ていた。


「な、何よ、その顔! か、勘違いしないでよ。私は、私のためにお茶の淹れ方を覚えたんだからねッ!」


 オレたちの生暖かい反応を認めたミネルヴァは、慌てた態度で反論する。見事なツンデレムーブだった。


 その後もお茶会は盛り上がり、笑声が絶えることはなかった。




 眠る前、オレはふと気づく。先刻まで抱えていた焦燥感が薄くなっていることに。


 もしかしたら、様子のおかしいオレを心配して、あのお茶会を開いてくれたのかもしれない。そう考えると、突発的な企画にも合点がいく。


 焦っても事態は好転しない。オレのことを想ってくれている人たちのためにも、心にゆとりを持って行動しよう。


 二人へ感謝の念を送りながら、オレは静かに瞳を閉じた。

 

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