Interlude-Shion 甘さとは(中)

 週に二、三度、ゼクスさま方は城下町へと出かけられる。お姿を変え、城下の子どもたちとお遊びになられるためだ。


 たまの息抜きと仰られると否は申せないが、正直、お姿を偽るのは止めたい。何せ、髪や瞳の色まで別物にしてしまっているのだ。それは貴族にとって冒涜に値する行為である。私もスパイ訓練の一環でその辺りの価値観は学んでいるので、やはり忌避感があった。


 理屈は分かる。ゼクスさまとカロラインさまの両名は、偽らなければ一発で身元の割れる色を有している。でも、そう平然と変色させるのは如何いかがなものかと苦言を呈したい。


 ゼクスさまは例外として、幼いカロンさまやオルカさまは、完全に彼の価値観に毒されてしまった。まったく髪色を変えるのに抵抗がない。手遅れなのかもしれないが、最低限の常識は身に着けてほしいと切に願う。


 さて、今回の外出では、私も同行する運びとなった。少し前まではゼクスさま方のみで出かけられていたのだが、彼がフォラナーダの実権を握った結果、配下の者たちにまで隠す必要がなくなったためである。以前、カロンさまが襲われたこともあるので、しっかり護衛をつけたいと、ゼクスさまは仰っていた。


 といっても、私が護衛の本命というわけではない。フォラナーダに仕える暗部の者が、今も傍で息を潜めている。私は、あくまでも保険だ。


 一緒に遊ぶ子どもたちはゼクスさま方の正体を知っているらしいが、一応私も姿を変えている。さすがに、髪や瞳の色をいじるのは抵抗があったので、顔や体格を僅かに変更した。


「ゼクスさまは、あちらにお混ざりにならなくても宜しいのですか?」


 城下の子どもたちと合流して一時間弱。カロラインさまとオルカさまは今もお遊びになられているが、ゼクスさまだけは私の傍で腰を下ろしていた。


 私が尋ねると、彼は苦笑いをされる。


「いいんだよ。オレは、あの子たちみたいに、ずっと夢中にはなれないし」


「はぁ」


 曖昧な返事が漏れてしまう。


 何せ、ご自身もあの子らと同い年だというのに、ずいぶんと年上のような物言いをなさるのだから仕方ない。ゼクスさまは、度々お歳に見合わぬ言動をされる。


 私の心情を悟ってか、ゼクスさまはゴホンと咳ばらいをし、話題の転換を図られた。


「オレのことは置いておこう。シオンは最近どう?」


「どう、とは?」


 あまりに大雑把な問い。どうかとお尋ねになられても、答えに困ってしまう。


 私の反応を認めた彼は、「うーん」と唸った。それから、右手の人差し指を宙でクルクル回しながら言う。


「最近の調子を聞きたい。仕事は上手くっているのかとか、プライベートは満足してるかとか。もっと些細なことでもいいぞ」


「調子、ですか……」


 まだ抽象的ではあったが、何となく質問の概要は理解できた。おそらく、ゼクスさまは私――配下と親交を深めたいのだろう。


 貴族が配下と仲良くするなど、他家が耳にしたら失笑するかもしれないが、フォラナーダでは当たり前の日常だった。否、”ゼクスさまの統治においては”当たり前だった。


 フォラナーダの実権を握って以来、ゼクスさまはしきりに・・・・配下の誰かと対話を行っていた。個人面談の場合もあれば、複数人のグループで話し合うこともある。最初こそ、何の意味があるのだと訝しんだり、何か沙汰を受けるのではと戦々恐々だった配下たち――私を含む――だったけれど、次第に態度は軟化していきました。


 何故なら、話す内容はタダの雑談だから。お互いの近況を報告したり、日々の出来事を話したり。本当に他愛ない会話しかしないのだ。


 結果、フォラナーダの空気は明るくなった。私が赴任してきた頃――いや、それ以前より冷たい静謐せいひつを湛えていた城内は、良い意味で騒がしくなった。談笑の堪えない職場に変わった。


 これをゼクスさまは狙っていたのだから、その慧眼けいがんは素晴らしいと思う。再三になるが、本当に子どもなのかと疑うほどだった。


 閑話休題。


 今回も、その一環なのだろう。これまでも何度か機会はあったので、察しはついた。出だしが「最近どう?」は如何いかがなものかと思うが、彼も話題を窮していたのだと自身を納得させる。


 しかし、何と答えたものか。これといって話すものがない。ゼクスさまとは大体の時間を共に過ごしているため、たいていの出来事は彼も既知なのだ。


 下唇に指先を当てて逡巡するが……私が何かを考えつく機会は巡ってこなかった。


「きゃっ」


 不意に、少女の悲鳴が耳に響く。


 思考の海から帰って目を向けると、私の目前には五歳くらいの少女が転んでいた。おまけに、抱えていたのだろう果物を、盛大に地面へ投げ出してしまっている。


 幸い果物は一つも潰れていないようだったが、これを全部抱え直すのは、五歳児にとっては大変だろう。


 私は、隣のゼクスさまに視線を向ける。すると、そこに彼の姿はなく、すでに少女の果物を拾いに向かっていらっしゃった。


 こういうところが、彼の心根を表しているのだと実感する。


「ふふっ」


 思わず笑声を漏らしつつ、私もゼクスさまの後を追う。彼が果物を拾ってくださるようなので、少女の方へ向かった。


「大丈夫ですか?」


 少女の前で膝を突き、彼女を労わりながら立ち上がらせる。


 良かった、ケガはしていないようだ。思いっきり転んだ状態に見えたけれど、それほど酷くはなかったらしい。


 私は内心で安堵し、少女の服についた土埃を払う。


 彼女の服装は、正直ボロボロだった。裕福とは言えない家庭と察しがつく。もしかしたら、運んでいた果物も、彼女にとってはご馳走なのかもしれない。


 哀れに思いながらも、私は少女へ語りかけた。


「痛いところはありませんか?」


「だいじょうぶ」


 少女は涙を堪えながら返す。痛かったらしい。我慢する態度は、少し可愛らしい。


 頬笑ましく思いつつ、私は重ねて問う。


「ケガがあったらいけません。本当に大丈夫ですか?」


「うん、本当にだいじょうぶ」


 少女の瞳を覗く。些かためらう気配は見られるけれど、嘘を吐いている様子はなかった。これなら大丈夫そうだ。


 一安心ですねと溢し、私はその場より立ち上がる。そして、少女の頭を軽く撫でた。


「今、そちらの方――お兄ちゃんが果物を持ってきてくださるので、少し待っていてください」


「わかった。……ありがとう、おねえちゃん」


 そう言って、少女は私に抱き着いてくる。それが堪らなく愛らしくて、思わず頬を緩ませてしまう。


 ところが、その浮かれた気分は、次の一言で冷や水を浴びせかけられた。


「シオン、その子供に財布を盗まれてるぞ」


「え?」


 いつの間にか戻ってきていたゼクスさまが、唐突にそのような発言をなさった。


 反射的に、私は少女の手のうちを見る。そこには彼の言う通り、私の財布が握られていた。


 少女はバツが悪そうな表情を浮かべている。逃亡は無駄だと理解しているらしい。


 なるほど、全部演技だったわけか。盗めそうな相手の前でワザと転び、果物を散乱させる。心配して介抱してくれている間に、貴重品を盗むと。こちらの良心をもてあそぶ、卑劣な犯行だった。


「とりあえず、衛兵に突き出すか」


 私が呆然としていると、ゼクスさまがそう・・仰った。


 それに、少女が強く反応する。


「えっ、ちょ、待ってよ。サイフは返すから見逃してよ!」


 酷く狼狽ろうばいした様子。


 まぁ、無理もない。彼女は紛れもない現行犯で、衛兵に突き出されれば間違いなく前科がつく。前科持ちになれば、ますます生活は困窮するだろう。まず、この城下町では生活できなくなる。この世界は、犯罪者には厳しいのだ。


 一応、救済処置はあるけれど、彼女の様子からして、それに頼りたくはないらしい。気持ちは分かる。


 対して、ゼクスさまは揺るがなかった。


「いや、ダメだ。犯罪は犯罪。見逃すなんてできない」


 柔軟な思考を持つ彼には珍しい、頑なな態度だった。


 その様子より、彼の説得は困難だと察したのだろう。少女は矛先を私へと変えた。


「ま、待って。わたしが盗んだのは、おねえちゃんのサイフだよ。なら、見逃してくれるかどうかは、おねえちゃんが決めるべきじゃない?」


「わ、私ですか?」


 ゼクスさまの決定に従うつもりだった私は、急に話を振られて驚く。


 だが、少女の言い分も一理あると考えたようで、ゼクスさまは小さく頷いた。


「いいだろう。シオンの決定に従う」


「え、えぇ」


 どうしよう、何も考えていなかった。


 ……考えるまでもないか。幼い少女といはいえ、ゼクスさまの仰る通り、犯罪は犯罪。きっちり裁きは受けてもらわないと。


 私の思考を悟ったのか、少女は慌てた風に私へすがって・・・・きた。


「お願い、おねえちゃん! もう二度と盗みは働かないから、今回だけは見逃してッ。心を入れ替えるから!」


「うっ」


 五歳児の懇願に動揺してしまう。今にも泣きだしそうな顔を見て、私の決意は揺らいでしまった。


 それがチャンスだと確信したようで、少女はその後も猛烈に反省をアピールしてきた。


 その結果――


「……分かりました、今回は許します。二度目はありませんよ?」


「ありがとう、おねえちゃん!」


 私は見逃す決定を下した。


 少女はお礼を言いながら、この場より駆け足で去っていく。


 ゼクスさまは私の決断に否定意見は述べなかったけれど、最後に一言だけ仰いました。


「シオンは甘いな」


 いつかの頭目と同じ評価は、いつまでも私の耳に残るのだった。

 

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