第97話 フェルメル城にて ~嵐の前の静けさ~
そんな大地がウッサゴに向かってくることなど、ウッサゴに住む者たちは誰一人知ることはないまま、この国はいつものように時間が流れていた。
無論、それはどんな貧民から貴族までもがいつも通りの何気ない、変わらぬ生活をしている。
それが例え、女公爵だったとしてもだ。
ウッサゴのシンボルとなっているフェルメル城の頂点にあるフェルメル公爵の部屋でフェルメルはいつもの街並みを見下ろしながら紅茶を楽しんでいた。
ゆっくりティーカップに口を付け、紅茶を舌に乗せ、食道へと運ぶ。その一連の途中から感じる甘く爽やかな匂いを楽しむことがフェルメルの楽しみだった。
いつもなら頭の上で編まれている白紫色の髪が珍しく下ろされ、窓から吹いてくる風に靡いている。
「はぁ……紅茶は良いわね。日々の疲れが癒されていくわ。貴方もそう思わなくて?」
フェルメルは檻の中にいるメリンダに向けてそう話した。
メリンダの目の前にはまるで犬に与えるかのように地べたに紅茶の入ったティーカップと装飾が沢山施された皿が出されていた。
皿の上にはフェルメルの好物であるクッキーが乗せられている。
「……」
しかし、メリンダはそれらを一切口にすることはなかった。そのまま、身を丸めて座っている。
「あら? 好みじゃなかったかしら?」
これまで、メリンダは娘達と離れてからフェルメルの元へと連れて行かれ、そのまま檻の中でずっと暮らしていた。
食事は1日1回、しかも残飯のように粗悪な食事しか与えてもらえず、身体を綺麗にするのも1週間に10分程度のみで、それ以外はずっと檻の中で過ごすだけだった。
拷問もない、殺すこともない、ただフェルメルに見られながらフェルメルとだけ会話をする生活ばかりで外の世界の様子は一向に分からなかった。
最愛の娘達がどうなってしまったのか? 夫はどこへいるのか? 私はこれからどうなるのか? そんな不安を抱えながら暮らしているメリンダの精神はとうとう限界に来ていた。
しかし、そんな中でもメリンダは今日のフェルメルは様子がおかしいと感じていた。
何故なら、メリンダに紅茶やお菓子を与えた日は今日が初めてだったからだ。メリンダは気味悪がってその差し出されたものをおいそれと口にすることはしなかった。
ただ、少しだけ分かったのはフェルメルがいつもより上機嫌だったと言う事だけである。
「遠慮せずに食べたらどうかしら? 私がこの世の中で一番大好きなクッキーよ。高級品よ?」
「……一体、何を考えてるのよ」
「あら、私は貴方にこのクッキーのすばらしさを伝えたいだけなのよ?」
嘘だ。メリンダが直感でそう思った。
きっと、何か裏があるはずだ。そうでなければこんな卑しい女にできることではない。
フェルメルはゆっくりと自分の皿のクッキーを一つつまみ、口へと運んだ。女公爵の気品さを捨てるようにクッキーを一口で口の中でほおばる姿を知っているのはメリンダだけだった。
「うーーん、いつ食べてもおいしいわね。もう一つ頂こうかしら」
そう言いながら、クッキーに手を伸ばしたところにメリンダが声をかける。
「ねぇ! もったいぶっていないで本当のことを話したらどうなの!? 貴女が何を考えているか分からないけど、その笑みの裏で薄汚いことを考えているのは分かっているんだから!!」
メリンダの言葉にフェルメルのクッキーを掴もうとする手が止まる。そして、ティーカップを机の上に置くとゆっくりとメリンダの元へと歩み寄る。
そして、へたりこむメリンダと目線を合わせるかのようにしゃがむと、にっこりと満面の笑みを浮かべた。
おかしい……いつもなら、間髪入れずに頬をぶったり、食事を私にぶちまけてくるはずなのに……
いつもと違う行動とフェルメルのその笑顔にメリンダはいつもより強い恐怖感を感じた。何か嫌な予感がする。
そして、笑顔の後直ぐにメリンダの獣人特有の大きな耳を掴むと恐ろしい形相となった顔へメリンダの顔を寄せた。
「私がお前みたいな畜生風情に私の好物を分け与えている意味が分からないのかい?」
「ぐっ……分からない……わよっ!」
メリンダも負けじとフェルメルを睨み返す。
「なら教えてやる、お前は今日生まれ変わるんだよ!!」
「な、何を言ってるのよ? 生まれ変わるですって?」
「ああ、そうさ。お前の娘を捕まえてから一緒にやろうと思っていたがあまりにも時間がかかりすぎるものだから、今日決行することに決めたのよ!! お前を私の実験に使うと言う事を!!」
フェルメルの血走ったその目はいつもよりも殺伐とした様子だった。まるで何か急いでいるような、焦っているような。
「実験って……意味が分からないわ!!」
「ああ、分からなくていいさ!! お前は今日を持って死ぬのだから!! お前の夫と同じようにな!!」
「……今、何て言ったの」
「だから、お前の夫のようにお前も四神になるのよ!! 私の研究で獣人の適合率が高い法則性にただりついた!! これは大きい成果だわ、ふはははははっはは!!」
メリンダの質問など関係なしに気味の悪い高笑いを上げるフェルメル。最早、マッドサイエンティストとしての性格が暴走し自分の世界に入り込んでしまっているのだろう。
初めて聞かされた内容にメリンダは困惑していた。初めて明かされた夫の行方の真相と自分に降り掛かった死の宣告を同時に受け止めるには心の準備など早々できなかったが、メリンダの身体は自然と助けを懇願し始めた。どうにか、この檻から出るために出入り口の南京錠を手で一心不乱に叩くが勿論、開くことはない。
そして、少し時間が経った頃にフェルメルの部屋の扉が開かれた。
「フェルメル様、ご用意ができました」
細い執事の男の後ろには大柄の到底執事とは思えぬ大男を2人引き連れてやって来たのを見て、メリンダは自分の死期を悟った。
「この女を連れて行きなさい、私も地下へすぐに行く」
フェルメルが牢の錠を鍵で開けると2人の大男が牢へと入り、フェルメルの両腕を掴んだ。
ああ……神様……私はもうだめです……代わりに私の子供たちだけでもお救いください。
メリンダが絶望の淵でそう神に願った時だった。突然、フェルメル城全体が大きく揺れ始めたのだ。
「な、なんだ!?」
2人の男が驚き、大きく体勢を崩す。フェルメルもその場に立っていられず自身の机にしがみついていた。
「一体何が起こっているの!!」
「わ……分かりません!!」
そう言って細めの執事が窓の外を見ると目が飛び出るほど驚いて尻もちを着いた。
「あはわわわ……まさか……そんな」
「どうした!?」
「だ、大地が動いてこちらに向かってきます!! それによってウッサゴが……国全体が揺れております!!」
「なっ!? なんですって!? 大地が向かってくる!? ま……まさか」
フェルメルは急に顔が青ざめ、揺れる大地に抗うように四肢全体を使って何とか窓の外を見る。
すると、一気に地面がフェルメルの部屋の窓まで大きく隆起する。ぐんぐんと伸びていくその生命が宿った大地が蛇が胴を伸ばすように天高くそびえたつ突起した大地には複数の人影が見えた。
そして、フェルメルが最初に窓から見えたその人影は隆起する大地に対して小さい身体が、誰よりも大きい存在のように見えた。
「お母さん!! 迎えに来たよ!! 一緒に帰ろう!!」
「ア……アルちゃん……?」
さっきまでこの国ではいつもの時間が流れていた。何気ない変わらぬこの時間が今乱され、変革の時がやってきたのである。
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