きつねあっての

tomo

きつねあっての

「きつねとたぬきってどっちが先なんだろうね」


真奈はそういって、コンビニの袋から即席麺を取り出した。赤と緑のパッケージがセットで並んでいる。正樹はすぐには返事を返さなかった。カーテンを閉め切った一間の部屋には、加湿器のせいだろうか、まとわりつくような重さのある空気が留まっていた。返答までは随分と間が空いた。


「それはきつねだろうね」


「やっぱりきつねの好物が揚げだから?セットでもう一方の天かすがのったのはたぬきってこと?」


「やっぱり」ってことはわかっていたんじゃないか。わかっていることをわざわざ聞かなくてもいい。わかりやすく会話の糸口にしなくてもいい。そういうわざとらしいのが嫌なんだ。正樹はこたつの中で重ねた足を組み直して、本のページをめくった。天板のわずかな汚れが気になったので、布巾をとろうと流しへ向かうと真奈と目が合った。正樹はすぐに目を逸らして、流しにかけてある布巾をとった。真奈は特段気にする様子もなく、置き場所がないため床に直接置かれている電気ケトルに水を入れ、スイッチを押した。喧嘩をしている人間二人が一緒にいるには、一間の部屋は狭すぎる。正樹はそう思った。


「きつねうどんあってのたぬきそばかあ。確かに天かすののったそばに、あまりたぬきの要素は感じられないけど、同じたぬきとしては少し同情するな」


流しで即席めんの蓋を開けて真奈が言った。丸顔で、苗字が「綿貫」の真奈のことを正樹はよく「たぬき」と呼んでからかっていた。


二人の記念日でもある今夜、もともとは真奈が行きたいと言っていた店で夕食をとる予定だった。慣れない花屋に行って花束も見繕ってもらった。1日に僅かな人数しか受け入れていないその店の予約を、正樹は苦心して取った。それが、真奈の仕事が遅くまでかかり、さらに持っていたスマートフォンのバッテリーも切れ、正樹に連絡することもできず、結局食事には行くことができなかった。


開口一番に「ごめん」と謝ってはいたものの、過去に同じようなことは何度とあった。友達と会ってくると言って夜遅くまで帰ってこないのは毎回のことだ。スマートフォンの充電については、何度も寝てる間に充電しておくことや予備のバッテリーを持っていくことを注意していた。それにも関わらず


「おかしいな。ちゃんと充電してたと思ったんだけど。とりあえずご飯にしよう」


そう言って二つの即席麺を取り出したのだった。私を待っていて当然食事はまだだろうと思っているその感じに、正樹は苛立ちを募らせた。実際に正樹は食事をとっていなかった。見繕ってもらった花束は、待っている間にベッドの下に隠した。


思い返せば、初めは折半していた家事も、真奈の仕事が忙しくなるにつれ殆どを正樹がするようになっていた。いつも使っている洗顔剤や歯磨き粉が無くなっても気にせず水洗いに切り替えたりするため、真奈の日用品を買い足すことさえ、日常的にするようになっていた。それでも、自分から半年粘り強く気持ちを伝えて一緒になった手前、自分から終わらせるつもりにはなかなかなれなかった。自分が何とかしてるから今の暮らしがある。そうでなければ、とっくに終わっている。正樹はそう考えていた。


沈黙が続いた。いつもなら一分もすれば沸々としてくるはずの電気ケトルですら静かに黙り込んでいる。


真奈はリビングの床に置かれた電気ケトルの横に座って正樹の方を見つめていた。正樹は視線に気付かないふりをして、本に書かれた文字をただ目で追いかけ、機械的にページをめくった。


カーテンのわずかな隙間から、ちらちらと雪が見えた。静かな部屋には、しんしんと降る雪の音が聞こえてくるようだった。


「全然沸かないな。どうしたんだろう」


「あ」


真奈が電気ケトルのコードを手繰りよせた。

延長コードにはしっかりとささっていたが、その先の大元はコンセントの穴にはささっていなかった。


「コードささってなかった。はは」


「あ」


掃除のじゃまになるので延長コードを抜いたのは正樹だった。そして、その延長コードの先に、真奈がいつもスマートフォンの充電器を繋げているのを正樹は思い出した。


「もしかして、昨日、ここで充電してしてた?」


「うん、それと、充電用のバッテリーも」


正樹は思わず顔を手で押さえ、少し立ってか

ら真っ赤になった顔を上げて言った。


「その、ごめん」


「いや。私がちゃんと確認しなかったのが悪いんだし、全然。ていうか、正樹顔真っ赤だよ」



真奈はそう言ってコードを繋ぎ、湯を沸かし始めた。


「お腹、空いたよね。急いでつくるから」


即席麺のふたをなぜか全部開けてしまったことが気になったが、口を挟みたくなるのを押しとどめて、正樹は黙ってその様子を見ていた。


完成した即席麺は、こたつの中で並んで食べることにした。乗せられていたふたを取った。真っ白な湯気が、寝巻きに着替えた二人の眼鏡を曇らせた。ベッドの下の花束も無事に真奈に見つかり、今は花瓶にきちんと入れられていた。


「いただきます」


「いただきます」


二人並んで食べる食事は久しぶりだった。外は吹雪になってきた。こたつだけで暖をとっている二人は、寒さのせいか自然と距離を縮めて寄り合った。一人暮らしのときはよく食べていたが、二人で暮らし始めてからはあまり食べる機会がなくなった即席麺を、深夜に二人で啜るのがなんだか珍しくて、可笑しかった。


「正樹、まだ顔が真っ赤」


「それは温かいもの食べて熱ってるからだよ」


真奈は、ふふと笑って


「私も緑のパジャマだし、まさに二人で『赤いきつねと緑のたぬき』ですな」


と言った。正樹も思わず頬が緩んだが、すぐに「変なこと言ってないで食べろよ」と言ってまた食べ始めた。一人のときは、部屋で笑うことなんてなかったとふと思った。


食べ終わるころには、すっかり温まっていた。こたつにもぐりこみ、タブレットを触らながらふと正樹が言った。


「たぬきそばって、別にきつねの対でたぬきになったわけじゃなくて、天ぷらの『タネぬき』からきてるとか、生まれた地名が由来とか、色々な説があるらしい」


「そうなんだ」


「つまり、その」


「どうしたの」


「『きつねあってのたぬき』じゃないってことだ」


正樹はそう言ってより深くこたつに潜り込んだ。笑みを浮かべてから、同じようにこたつにすっかり体を沈め込んで、真奈が言った。


「ずっと、たぬきのそばにいてね」


きつねの顔はもっと赤くなった。たぬきの顔も赤くなっていた。


一間の窮屈さが、どこか暖かかった。




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