第三十六話 死にそうになったときに見るらしいアレ

 検証が必要だ。


 なぜ人を殺すとレベルが上がるのか。


 それは人でなければならないのか? 人であれば誰でもいいのか? あるヒーローは、親友を殺されて隠された力に覚醒したという。少なくとも知り合いである必要があるのか? そもそも他の動物では? 生き物ならなんでもいいなら、他に手段はいくらでもありそうじゃないか。


 それを確かめるために、最適な存在があった。

 コロマルだ。


 コロマルは犬だが、人狼の一族である自分にとっては半分は同族といっていい。殺す対象が同族でなければならないのなら、犬側でもいいはずだ。

 しかも、数ヶ月とはいえ絆もある。コロマルにとっては、オレとハヤテが生活の全てのはずだ。オレにとっても思い入れが無いわけじゃない。

 さすがに害虫を殺すように無慈悲に無感情になれるわけではなかったが、もしかしたらそれこそが必要なのかもしれなかった。


 しかし結果は、無駄に終わった。


 コロマルを殺しても、一つもレベルは上がらなかった。

 結局、自分に出来る限りの方法で弔ってやることしか出来なかった。

 さすがに落ち込みながら部屋に帰ったとき、その手紙を見つけた。


 メローネからの、呼び出しの手紙だった。確か彼女はお手伝い妖精を使えるはずだ。そいつにでも運ばせたのかもしれない。

 ガラハドは待ち合わせ場所の、校舎屋上へ向かった。

 そこに彼女は待っていた。


「オレがいつ来るかもわかんねーのに、ずっと待ってるつもりだったのか?」

「どうせ、眠れなかったから」


 夜風が彼女の長い髪を揺らした。

 月明かりに照らされる彼女は、まるで絵画のように美しかった。

 彼女は順を追って話し始めた。

 彼の行動が少しおかしかったこと、アーチェの部屋で嗅いだ、犬科の匂い。それも、ガラハド個人の匂い。メローネがずっと気にしていた匂いだったからこそ、判別出来た匂い。

 彼女は、もう止めよう、と言った。罪を償おうと。それでも、自分は、ガラハドの味方だと。

 本当のことを言えば、それに従うことは出来た。全てを告白し、判決に従い、相応の刑罰を受け、罪を償い、新たな日常を始める。確かにその道はあった。

 彼が冷静であったなら、その提案を受け入れていたかもしれない。


 しかし、彼は祖国から、期待を受けてこの学園にやってきたのだ。

 悪を打つ強い正義の味方になるために。

 ここまで来て『正義の味方』は無理かもしれない。だが、強くなることは出来そうなのだ。今さらそれをも諦めてしまうわけにはいかない。

 そんな風に思ってしまった。


 それは身に余るほどの力のせいだったかもしれない。いや、直前に子犬を殺した死の臭いが漂っていたからかも。それとも、まばゆいほどの月の光のせいだったのか。

 彼は、自身のレベルアップのために、口封じのために、欲望のために、彼女を殺した。


 気がつけば、夜空は雲に覆われ、月は隠れていた。

 彼女はいつの間にか、彼の腕の中で動かなくなっていた。

 それに気付いたとき、ガラハドは泣きそうになった。

 それは彼女を失った悲しみか。絶望へと至る未来へか。それとも、きっかけとなったしょうもないイタズラを後悔してか。

 しかし泣くことは出来なかった。してはならなかった。自分にそんな権利は無い。

 彼女をこのままにしてはおけない、そう思った。


 いや、本当にそうだろうか。朝まではまだ少し時間があるだろうが、もう一度墓穴を掘るには足りない。かといって、隠すにもあてはない。ナツキも鼻が効く。自分に関係ある場所、例えば自分の部屋や、主なき犬小屋は、見つかったとき言い訳出来ない。それなら教室でもここでも同じことだろう。

 少しだけ見つかりにくいかもしれないが、出来るだけ早く見つけられて欲しい場所。

 出来るだけ綺麗な姿勢で、出来るだけ洋服を整えて、屋上の床に横たえた。


 好きだったかもしれない相手。好きでいてくれたかもしれない相手。


 もう振り向くことは出来ない。

 今まさに上がったレベルに不条理なものを感じながらも、これこそが唯一、彼の手に残ったものだった。彼女が残したものだった。

 彼は身に余るほどの力を手に入れた。



 事件が発覚し、メローネを保健室に運んだあと、教室に集まっていた。ナツキだけが戻ってきた少し後に、不意にクラスの、いや学園の雰囲気が変わった。それを感じ取ったキリと先生が教室を飛び出すと、残ったのは自分以外に三人。コロマルが心配でずっとソワソワしているハヤテ。リカルドを見つけられず一度戻ってきたナツキ。そして、ただただ不安に震えているルカだ。

 オレの目指す道はこれしか残っていない。今が絶好のチャンスだ。


 そう思ったときには、体が動いていた。ハヤテもナツキも反応出来ない速度で、ルカの腹を切り裂いていた。

 獣化は無意識だった。ほとんど瞬間的に変身していた。

 強く長く鋭く変化した自らの爪は、人間の柔肌などやすやすと引き裂いた。実感もわかないほど簡単に。


 最初に反応したのはナツキだ。両手に電撃をまとわせ、殴りかかってくる。その拳は避けたつもりだったが、放電した電撃に打たれてよろけてしまった。

 だが、それだけだった。

 ひねりを加えたアッパーで顎を打ち抜き、のけぞって無防備な腹に、後ろ回し蹴りを叩き込む。ナツキは教室後ろの棚を粉砕し、そのまま床に落ちた。口から血を流し、動かなくなった。


 直後に迫って来たのは変身を終えたハヤテ。戦闘スーツに身を包み、能力が大幅に上昇したその蹴りが、目の前に迫る。それを流れるようにかわし、掴むと、相手の勢いを利用して投げに移行。床に叩きつけた。

 床を砕き跳ね返ったハヤテを蹴り上げ、その顔面に爪を突き立てる。

 衝撃で黒板まで吹き飛び、それにヒビを入れる。爪はマスクを割り、顔を切り裂いていた。傷の深さはよくわからなかったが、脳震盪でも起こしたのか、動きはしなかった。


 ハヤテの《技能》に変身の時間差タイムラグがなければ、もしくはナツキがその変身が終わるまでのほんの少しの時間を待っていられたなら、二対一ではこんなに早く決着はつかなかったかもしれない。

 その場で負けることはなくても、時間が経ってエースが戻ってくるまで粘られたら勝機は無くなっていただろう。


 まあいい。事実、勝利を勝ち取ったのは、オレなのだから。


 検証を始めよう。

 これだけ強くなればもう負けることは無いだろうが、さらなる強さを求めるなら、まだまだ人を殺す必要がある。

 でも殺人は罪だ。少なく出来るならそれにこしたことはない。

 ならば、効率よく強くならなければならない。

 床に横たわるルカを見下ろす。盛大に血を撒き散らし、すでに死んでいた。


 どうすればいい?

 取りあえず、喰ってみるか。

 短絡的だなとは思ったが、一番効果がありそうで、他の方法はとっさに思いつかなかった。

 どこが美味いだろう? 内臓よりは肉だろうか。となると腕か足か。ならば、細い腕よりは足の方が喰いごたえがありそうだ。

 そう判断して、柔らかい肉に牙を突き立てた。



 それだけのことをしたのだ。かなりレベルが上がっているはずだ。

 邪龍だろうが先生だろうが、今や圧倒しているはずだ。

 ましてやただの生徒の一人であるエースなんかに負けるわけがない。


 投げた釘バットを避けてみろ。体制を崩した瞬間、その体に大穴を空けてやる。

 釘バットはもうエースの目の前だ。驚きと恐怖で動けないなら、それでもいい。確実に仕留めてやる。

 そう思ったときには、視界いっぱいに床が広がっていた。瞬間後には顔面をそこにぶつける。

 背後からカチャリと音が聞こえる。なんの音だ? 確かあれは、剣を鞘におさめる音。


 は? どういうことだ?

 起き上がろうとするが、体が自由に動かない。それでも肩で支えるようにして、顔を上げてみる。

 そこには緑色の兎のようなものがいた。両目と額にある宝石のようなものが真っ赤に輝き、目がくらむ。


「なぎ、ふーけっと、ぱったれ?」


 言葉がうまく喋れない。それどころか、思考すらまともに出来ていなかった。

 肉体の獣化が解け、急速に人間の体へと戻っていった。

 聞こえてきたのはキリの声だ。キリの体を駆け上がって、その腕に収まって震える緑兎を撫でながら言った。


「この子はね、ボクと同じでとても臆病なの。体は強くならないけど、代わりに精神感応が使えるから、悪意や敵意を向けられると、反射的に相手の意識をぐちゃぐちゃにしちゃうの。大丈夫だよ。人間でも丸一日くらいで戻るから」


 その説明は届いているのか。ガラハドは、手足の健を切られて床に倒れたまま、思考を乱され、よだれを垂らしながらのたうつだけの存在になっていた。


 エースは、ルカの死体を見下ろしていた。その顔に感情は無い。

 その奥底に、後悔と悲しみと怒りと、深く暗い悲哀の色を湛えた、無表情だった。

 エースは無理矢理視線を引き剥がすかのようにして振り返った。


「キリ、ナツキさんを頼む」


 そう言うと、エースはハヤテの元へ向かう。

 てってってっというキリの足音を聞きながら、ハヤテの傷の具合を確かめる。左の頬と目の近くを切り裂かれ、かなり出血している。だが、取りあえずまだ生きている。傷も致命傷ではない。目の傷は、場合によっては視力に影響するかもしれないが。


「ナッちゃん、いくつか内臓破裂してるかも。ほっとくとヤバイよ」


 キリの声。少し動揺を含み、焦ったような感情。

 即死じゃないなら、保健室まで運べはなんとかなる。でも、そこまでどうやって運べはいいのか。あまり動かさない方がいいなら、保健室の先生を連れて来るか。でもそれで間に合うか。


 一瞬の逡巡。

 そのとき、教室の入り口から何者かが入って来た。にゅっと長い首が、教室内を見回す。

 ダオール先生だった。

 先生は教室内のを確認すると、状況を悟ったようだ。

全て終わったのだと。

 フンッと鼻を鳴らして言う。


「先生が運ぼう。それくらいなら、出来るはずだ」

「じゃあナツキさんをお願いします」


 そう言ってエースは、ハヤテを背負う。別に両方とも任せてくれて良かったんだけどな、と思いながら、先生は重力制御魔法を使って、ナツキの体に負担をかけないよう宙に浮かせた。


「こっちは、どうするの?」


 キリがルカとガラハドを指さしている。


「手配する。そのままにしておけ」


 先生はそれだけ言うと、魔法でナツキを運んで行った。それを追ってエースが続く。

 キリも後を追う。が、扉で教室を振り返った。


 楽しかった時間は幻影と消え、残ったのは荒れ果てた教室と犯人と死体。

 彼女がなにを思っていたのか、感じていたのかわからなかったが、最後に小さく一言だけ残していった。


「ばいばい」


 とてとてと、少女の足音が遠ざかっていった。

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