年上の幼馴染の引越しを手伝いに行ったら、思わぬことを言われて……!?

立川マナ

一話

 まだカーテンも無い窓からは真っ昼間の日差しが容赦無く注ぎ込み、六畳一間の部屋を眩いほどの光で満たしていた。そんな中、長い黒髪をポニーテールに結い、ジャージ姿で佇む人影が一つ。すらりと細身のその人影は、気持ち良さそうに窓からの光を浴びながら「ん〜……」と伸びをして、


「終わった〜!」

「いや、どこがだよ!?」


 思わず、俺はその背にツッコンでいた。


「え?」ときょとんとして振り返る彼女の周りには、大小様々な段ボールがずらりと並んでいる。 蓋もぴたりと閉じられたまま……。


 まったく――とため息が自然と漏れた。


 免許取り立ての彼女の超安全運転で約二時間。彼女の家から運んできた大量の段ボールを、七階のこの部屋までなんとか(俺が)全部運び終え、ようやく(俺が)一息ついたところ――で、全くもって『終わり』とは程遠い。

 それなのに、こいつときたら……。

 疲れも焦りも微塵も感じさせない清々しい笑みで、「まあ、とりあえず休憩にしようよ」とあっけらかんと宣いやがるのだ。


 相変わらずだな、と呆れ返りつつ、そんなところもかえでらしい、とも思って……愛おしさと寂しさが混じり合ったような――そんな感傷が込み上げてくる。


 二つ年上の美馬みま楓。家も近所で、幼稚園から高校までずっと一緒だった。

 艶やかな長い黒髪に、きりっと凛々しく整った顔立ち。昔からピアノをやっているからか、常にすっと背筋は伸び、所作という所作がいちいち流れるように滑らかで……高校では『深窓の令嬢』とか言われていた。

 そんな三年生と、身長も顔もいたって普通で、面白みもなく目立たない一年だ。高校に入学し、どこからか幼馴染だという噂が漏れ始めると、『しっかりもののお姉さん』と『頼りない弟』の図を周りに勝手に想像された。

 しかし……実際のところは、その逆だった。

 そりゃあ、小さい頃は、年上だった楓が俺の面倒をよく見てくれていたようだが、いつからか――俺の背丈が楓のそれを追い越した頃には――その立場は逆転。俺の前だと、『深窓の令嬢』は『頼りないお姉さん』に様変わり。何かと言うと『りつくん』『律くん』と泣き言交じりにお願い事をしてくるようになった。今回も然り……。


 ――今度の土曜日、空いてる? 引越し、手伝って欲しいんだけど。


 空いてる? なんて愚問だった。楓に呼ばれれば、他のどの予定もキャンセルして駆けつけてしまう。それは、もはや俺の体に染み付いた性のようなもので。

 いわゆる、惚れた弱み……というやつなのだろう――。


「それにしても……楓も、もう大学生なんてな」


 華の女子大生の暮らす部屋――とはまだまだ言えない、段ボールに囲まれた殺伐とした部屋の真ん中でどっかりと胡座をかいて、しみじみと呟くと、


「なあに、今更?」と不敵にも思える微笑を浮かべ、楓は俺の隣に腰を下ろした。「合格発表だって、一緒に確認してくれたじゃない」

「いや、まあ……そうなんだけど……」


 つい、口ごもって、俯いてしまった。

 怖いから、手握ってて――と、パソコンの前で、楓が泣きそうな表情を浮かべ、縋るように見つめてきたのは、もう一ヶ月も前。それでも、あのときのことを思い出すと、きゅうっと鳩尾の奥が締め付けられる。

 握り締めた手は小さくて、わずかに震えているのが分かって……たまらなく、抱きしめたくなったのを、今でもはっきりと覚えている。


 だからこそ、きっと、余計に……なんだ。


 楓がずっと音大に入りたがっていたのは、中学の頃から知ってた。合格が分かった瞬間は、心の底から俺も嬉しかった。声も出ない様子で目を潤ませる楓の横で、俺もこっそり涙を拭った。

 でも……どうしても、まだ受け入れられずにいる自分がいるんだ。

 この春から、もう楓と今までのように会うことはなくなるなんて、やっぱり――信じたく無いと思ってしまう。

 引越しを手伝っておいて……こうして楓が一人暮らしを始める部屋にまで来ておいて……まだ、現実味が湧かない。楓のイタズラなんじゃないか、なんて逃避まがいのことを考えてしまう。昔から、俺を揶揄っては、にんまりと悪戯っぽく笑う――そういう奴だったから。


「律くん、もしかして……」ふいに、隣で楓が呟くのが聞こえて、「アシンメトリーな感じかな?」

「ノスタルジーって言いたいのか!?」


 おい、大学生!? と内心でツッコミつつ、ジト目で見ると、楓は「あ、それ」とへへっと笑う。まるで、子供みたいに無邪気に……。それがまた、二つ年上とは思えないいじらしさで、どうしようもなく胸がくすぐられる。

 ああ、ったく……と胸の中で悪態づく。 ――アシンメントリーでも、ノスタルジーでも無ぇんだよ。


「楓、本当に一人暮らしなんてできんの?」苛立ちやら歯痒さやら……胸の奥で渦巻くものを誤魔化すように、意地悪くそんなことを口にしていた。「不安なんだけど……」

「どういう意味?」


 ムッと唇を尖らせ「失礼だなぁ」なんて呑気な口調で言いながら、楓はおもむろに立ち上がった。


「まあ、不安にさせちゃうのも当然……か。律くんには今まで、散々、私の格好悪いところばかり見せてきちゃった気もするし。だからこそ、今日は私もオネーサンらしく、気が利いているところを見せようと思って――」


 なぜか、キッチンのほうへ向かうと、そこに置いてあったコンビニ袋の中をガサガサと漁りだした楓。やがて、「はい、これ!」とくるりと振り返って、見せてきたのは二つのカップ麺だった。


「これ……って、赤いきつね?」


 きょとんとする俺に、ふふん、と楓は得意げに笑って、赤いきつねを両手に俺のほうへと戻って来る。


「引越しといえば、引越し蕎麦でしょ!」とドヤ顔全開で言いながら、楓は俺の向かいにふわりと座り、赤いきつねを一つ差し出してきた。「ちゃんと用意しといたんだから。オネーサンが」


 ああ……なるほど、そういうこと――と、呆れるやら、愛おしいやら……なんとも言えないもどかしさを覚えつつ、赤いきつねを受け取って、


「いや、まあ……赤いきつねってうどんだけどね」


 ぼそっと言うと、楓は一瞬ぽかんとしてから、「はえ……!?」と素っ頓狂な声を上げた。


「う……うどんって……どういうこと!?」

「どういうことも何も、うどんだよ、うどん。パッケージにもちゃんと書いてあんじゃん」


 真っ赤な蓋に大きく書かれた『赤いきつね』の白文字。その横には、ちょこんと『うどん』の三文字が添えられている。それをトントンと人差し指で叩いて示すと、楓はハッとして顔色を失くし、


「ほ……ほんとだ……」

「マジで今、気づいたの。――蕎麦は『緑のたぬき』の方だよ」

「そんな……」


 口許を押さえ、がっくりと項垂れる楓。「せっかくの引越し蕎麦がぁ……」としゅんとするその様を眺めながら、ほんと変わらねぇな、とつくづく思った。小さい頃から、何度も見てきた光景だ。その度に、胸の奥でざわめくものを感じて……いつからか、自覚したんだ。俺は楓が好きなんだ、て。

 ピアノを弾いてるときは、近寄りがたいくらいに真剣なオーラを放って、周りの空気までピリッと張り詰めたものへと変えてしまうのに。俺の前だと、こうして隙だらけになる。マイペースで、詰めが甘くて、大事なところでしくじってばっか。『オネーサン』感なんてまるでゼロ。――でも、そういうところが好きで……大好きだから、このまま変わらないで欲しい、なんて思ってしまう。『オネーサン』になんてならなくていい。今の……俺の大好きな『楓』のままでいて欲しい。そう狂おしいほどに思うから――。


「やっぱ、不安だわ。楓の一人暮らしなんて……」


 自嘲気味にそう呟いた、そのときだった。いじけた子供みたいにぶつくさと何やら呟いていた楓が不意に言葉を切り、


「そんなに……不安なら……」と弱々しく掠れた声で切り出した。「――一緒に住む?」

「は……?」


 なんて――? 

 一緒に……住む? 今、一緒に住む、て言った!?


「なに……言ってんの!? そんなの無理っていうか、俺、まだ高校生だし……!」

「分かってるよ」と慌てふためく俺をよそに、落ち着いた声で楓は言って、「だから――ショーライの話」


 しょう……らい……。

 それは、今まで考えたこともなかった単語で。まさか、楓の口から聞くことになるとは想像すらしていなかった言葉で。

 ごくりと生唾を飲み込む。

 心臓が静かに……でも、重々しく鼓動を打つのを感じていた。

 冗談……か? また、いつもみたいに揶揄われてる……だけ? いや、でも……と見つめる先で、楓は俯き、黙り込んだまま。「な〜んちゃって」とか戯けて言い出すような雰囲気は一向に無い。それどころか……膝の上で赤いきつねを抱くその小さな手は、僅かだけど震えているように見えて――。


 何かが……電流のように全身を駆け抜けた気がした。

 

「楓――」気づけば、俺は身を乗り出し、楓の両手をぎゅっと上から包み込むように握り締めていた。「俺も……一緒に住みたい! 『将来』なんて、まだ全然想像もつかないけど……この先もずっと楓の傍にいたい、て気持ちだけは、俺、分かるから。それくらい、楓のこと好きだから。だから……いつになるか分かんないけど、待っててほしい」


 何が起きたのか、自分でも分からなかった。ただ、激しく突き動かしてくるものがあって。無我夢中で。まるで箍が外れたみたいに、何年も心の奥に閉じ込めていたものが――本音が一気に口から転がり出ていた。

 ハッと我に返ったときには、部屋はしんと静まり返り……「良かった――」と吐息ともつかないか細い声で楓が呟くのが微かに聞こえた。


「私も……大好き」


 噛み締めるように言って、楓はゆっくりと顔を上げた。そして、涙が滲む瞳をキラキラと輝かせながら、「待ってるね」と悪戯っぽく微笑んだ。


「今度はちゃんと、緑のたぬき用意して……待ってる」

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年上の幼馴染の引越しを手伝いに行ったら、思わぬことを言われて……!? 立川マナ @Tachikawa

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