第126話 最後のデート②


 焦燥と喧騒に塗れた港町の中を歩く。


 その間、トウカの目線とは縦横無尽だった。石が積まれた建物の壁、規則正しい模様の道、こじんまりとはしているが無数のモノが詰め込まれた屋台の一つ。そしてその奥に広がる路地裏の闇。 ……間違いなく、ここはあの港町だった。


 ぽっかりと開いた彼女の口に冷たい空気が入ってくる。



 …………。



「おいトウカ。 ……トウカ?」

「わっ! シ、シヅキごめん」


 気がついた時にはシヅキの顔が目の前にあった。眉間に皺を寄せた表情で覗き込んでおり、一見するとそれは辟易や嫌悪の表情に見えてしまうが、実際はそうじゃない。


 トウカは少しだけ困ったふうに笑った。


「私まだ夢の中なんじゃないかなって、思っちゃって。 ……で、でも夢だとしたら、すごく現実感がありすぎて、だったら本当に現実かなって……ごめん。言葉がまとまらないや」

「無理はねェよ。かなり強引に連れてきちまったからさ。 ……今も眠いか?」

「ううん、眠くない。眠くないよ? シヅキ」

「そっか。ならいいんだよ」


 簡単に言葉の交わし合いが終わると、シヅキはすぐにトウカの隣へとついた。ゴツゴツとした手で包み込まれるように握られる。


 そのようにして再び雑踏の中を歩き始めた。



 …………。



「ねぇ、シヅキ」

「なんだ」

「どうして、港町なの?」

「……前にトウカとデートしたのが、ここだったろ?」

「うん。そうだけど……いや、そうだよね」

「ここしか思いつかなかったんだ。デートなんて俺、勝手とか分からねえからさ」

「ち、違うの! い、嫌だったとかじゃなくて……そうじゃなくて、あの……ちょっと遠回しに、聞こうとしすぎた。その……なんでデートに誘ってくれたのかなあって」


 ずっと訊きそびれていた疑問をぶつけてみた。先刻に目が醒めてからというものの、トウカにとっては予想だにしない展開が続いている。それはシヅキがデートに誘ったことはもちろん、この不思議な港町の存在だってだ。


 トウカはおそるおそると言った様子で言葉を続ける。


「落ち込んでいる私のことを、慰めるため?」

「……まぁそれもあるけどよ」

「他にもある、の?」


 追い討ちの問いかけに対し、シヅキはすぐに口を開くことはなかった。その唇をもごもごとさせたかと思うと、バツが悪そうに顔を逸らし、「あーーー」と間延びした声を漏らした。


 間も無くして彼が吐いた言葉とはこのようなものだった。


「後で言う、ってことでいいか?」

「そ、それはもちろんいい、けど」

「……すまんな」

「全然いいよ。私だってほら……ぁ、前のデートの時もそうだったね。私の“計画”のこと言うの、ずっと引き伸ばしてた」

「……お前からあん時のことを掘り返すのかよ」


 シヅキは再び眉間に皺を寄せる。今度はそれが辟易の表情であるとすぐに分かった。だからトウカは自身の発言を誤魔化すように「あはは」と笑う。


「でもあの時、昔のことを告白したから、今の私とシヅキが在るんじゃないかな、って思ってるよ。だからね? 私は全部話しちゃったことを、全然後悔していないの」


 それは紛れもなく、トウカの心からの言葉だった。精一杯の感謝を込めた口下手な彼女なりの有りったけだった。


「……………そうかよ」



 ――それに対して、シヅキは寂しげに一言返すだけだった。



 

 ※※※※※

 

 


 あの時と同じように劇を観に行った。隣に座るシヅキは武器になってしまった腕を座席の中で狭苦しそうにしていて、その様子が少しだけ面白かった。


 あの時と同じようにカフェでパンケーキを食べた。その味が全くと言っていいほど完璧に再現されており、驚いた。ただ啜ったコーヒーがやけに苦いものであった訳だが。知っている苦さだった。以前にシヅキが淹れたコーヒーの味だ。


 あの時に出来なかったことをした。初めてシヅキと出会った船着場にまで足を運んだのだ。船着場を照らす真っ黄色の魔素光がやけに眩しくて、私は視界を手で覆った。すると、目深にフードを被っていたあの時の視界と重なり、思わず笑ってしまった。


 たくさん会話をした。今になったら懐かしいことをたくさん話した。途中からはソヨの話で持ちきりになった。シヅキから飛び出るエピソードのほとんどは愚痴だったけれど、そこにはトウカの知らないシヅキとソヨの一面があり、聞いていて羨ましい気持ちになった。


 手を繋ぎ、たくさん歩き、たくさん話して、それがどれだけ嬉しかったことか。シヅキと一緒に居ると安心感があまりにも増幅されてしまう。我が身の全てを委ねたくなってしまう。守られたい。守ってほしい。しがらみとか呪いとか……そういうの全部を取っ払ってほしい。


 トウカは口元を綻ばせるようにして笑った。


 

 (望みすぎ……望みすぎなんだよね、きっと)


 

 シヅキの見ていないところで、密かに自身の目を擦る。ボヤけた視界が少しだけマシになって……しかしすぐにまた曖昧へ変わった。


 先ほどから眠気が押し寄せてきてならない。瞬きの周期が増え、黒の視界が幾度と訪れる。飽きるほどに仰ぎ見ている闇空と同じ程度の黒だ。 ……その中に花を見つけた。

  

 トウカは漏れ出てしまいそうな溜息を寸で堪えて、ただ俯いた。


 (楽しいなぁ、楽しいのになぁ)


 その思いを知ってほしくて、トウカはシヅキの手をギュッと握り込んだ。しかし――


「…………ぁ」


 トウカが小さな声を上げる。間も無くしてシヅキの方からその手を離してしまったからだ。


 恐る恐るの様子で顔を上げる。シヅキの視線とはトウカを差していなかった。知恵の種インデックスを飲んだ代償である、真っ黒の荊棘いばらめいたモノが張り付いた彼の横顔とは、一つの光景を見渡していた。


「ここは…………」

「トウカと観るのは3回目だな。俺はこの前にまた観ちまったけどよ……まァ、その話はいいか」


 そういえば港町を出て丘を登っていたことを思い出す。今立っているこの土地とは、その頂上……港町とその向こうに広がる海、闇空を一望できる場所だ。


 吹き抜ける冷たな風に、前髪を押さえつける。以前のデートがここで幕を閉じた事は当然忘れていない。後味の悪過ぎる、考え得る限りに最悪の結末だった。 ……もっとも、誰が悪かったのかという話ではあるけれど。


 その時の記録きおくが色濃く残っているからだろうか、恐らく最後のデートとなる今回もここが終着点である気がしてならなかった。


「なぁ、トウカ。俺さっきはぐらかしたよな。デートに誘った理由ってのをよ」

「う、うん……」

「別に覚悟が足りていなかったからじゃねェんだ。ただ伝えるなら、この場所が適していた……ただそれだけでよ」


 シヅキはこちらへと近づいてきたかと思うと、目の前で上体を低くした。そして、トウカの背中へと似非人間ホロウの原形を留めている左手を優しく回したのだ。


 視界と匂いがシヅキに満たされる。そして、彼の鼓動が異常に速いことに気がついた。



「なァトウカ。俺さ、バカだから気の利いた伝え方なんて思いつかねェんだ。だからよ、単刀直入に、言っちまうけどさ」


 シヅキの息遣いが聞こえてくる。彼はスッと息を吸い込んだかと思うと、それをゆっくりと吐き出した。 …………そして、一息にこのように言ってしまったのだ。



「俺はトウカのことを愛している。だから、トウカも俺のことを愛してくれ。花なんかのことよりも、ただシヅキを見てくれよ」

 

 

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