第116話 徒ら


「なぁ、トウカ」


 気丈と平常を強く意識しつつ、シヅキは震える喉にて声を発した。それは床に反響をし、遠くの方まで響いてゆく。


「トウカあのよ……お前まだ目覚めたばかりだろ? まだ安静にしないと――」

「ごめん、シヅキ……少しだけ、静かにしてて欲しいの」


 その視線の一切を虚ノ黎明シーカーから離すことの無く、トウカは言った。さながらシヅキのことなんて軽くあしらってしまうかのようで。 ……いや、現にそうなのだろう。


「…………ああ」


 口の中に溜まった不快な唾液を飲み込んだシヅキは、ただその場に立つだけだった。


 一方でトウカはその小さな歩幅でシヅキの横を通過し、シーカーの前に立った。その口を開く。


「は、初めまして。か、虚ノ黎明……さん、ですよね? あの、リーフちゃんの姿をしているのって……」

「現在の呼称はシーカー。 ……かつて僕の身体を形作っていた魔素は、それ単体で実体化するにはあまりにも希薄した。だから他のホロウの魔素と混ざり合い、身体を形作る。宿主への寄生、表現としてはこれが適っている」

「す、すごい……そんなことが出来ちゃう、なんて。この建物も虚ノ黎明さんが、造った……ということ、ですか!?」

「正確には異なる。この建物は生命末期の人が多目的に利用した基地。その再現」

「な、なら……あなたはやっぱり、生命の復活を目指していて……あの……えっと、そういうこと……なん、なんですよね?」


 あまりにも辿々しいトウカの言葉に、さすがのシーカーも小さく息を溢した。

 

「心臓が速い。身体に負担。 ……落ち着いて」

「す、すみません……わ、私……」

「君が僕を探し求めていたことを僕は知っている。君が求める願いは僕のものにほど近い。故に良い協力関係を築きたいと思っている。 ……虚命障害。元より僕一人ではもう、どうにも出来ない。だから――」


 カツカツと床を鳴らしこちらへと近づいてきたシーカーは、そのしなやかな手をシヅキへと、もう片方をトウカへとさしだした。握られた手の、その高い体温が伝わってくる。

 

 困惑をするシヅキとトウカ。そんな彼らを前にして、シーカーはこのように言葉を続けたのだった。

 

 

「だから君たちが、僕にとっての最後の希望。ホロウと生命の共存する世界は、僕と君たちで創る」


 

 淡緑の、リーフの透き通った眼がシヅキを貫く。あろうことかソレは、琥珀の瞳にも引けを取らないほどに美しかった。




 ※※※※※




 シーカーと出会ったその日からしばらくの時間が経過した。人間の暦に当てはめると、おおよそ3日間ほどだろうか? その間をシヅキとトウカは塔の内部で過ごしていた。 ……とは言うものの、いたずらに経過する時間は多かったが。


 変わったことがあるとすれば2つ。1つはシーカーがその姿を殆ど現さなくなったことだ。


 先日のシーカーが提案した協力関係……ホロウと生命の共存する世界という代物について、それを聞いた当時のシヅキは深く胸を撫で下ろした。何故ならそれは、シヅキの願いとトウカの願いの両方が共に叶えられる理想なのだから。


 ……ただ、ならどうすればソレは達成できるのかという話なのだ。再現をした世界で、ではある訳だが、シヅキは虚命障害と呼ばれる「ホロウと生命の非共存関係」を実感してしまった。要はその障害を取り除く必要があり……そもそも、再現ではなく現実に生命を取り戻すことも出来ていない訳で。


 更に言えば、シーカーはシヅキとトウカに研究の協力を求めた訳だが、具体的に何を行えばいいのかを示さなかった。あろうことか「少し考える。遊んでて」という一言ともに、重厚な両開き扉の向こうへとその姿を隠してしまったのだ。 ……あんな大口、叩いていたのに。



「はァ」


 やけに背もたれの高い椅子にて姿勢を大きく仰け反らせたシヅキは、大きな溜息と共に天井を仰ぎ見た。その高さはオドにあった自室の天井と同じくらいだろうか? だがこちらの方が酷く無機質な印象を受けてしまう。白とは冷たい色なのだと初めて学んだ。


 …………。


「あいつんとこ、行くか」


 上体を起こしたシヅキは、ガラガラの居住スペースの内で、勝手に自室としたその部屋を出た。同じく無機質な廊下には(どういう原理か知れないが)自動で開閉が為される扉が備え付けられている。


 以前にシーカーが言っていたが、心の塔は人の心を反映する性質を持っている。その言葉は本当で、あの時居住スペースで眼を覚ましたトウカは、偶然にも渡り廊下にて昇降機を手繰り寄せたらしい。シヅキだって階段の生成や扉を媒介した2点間の“渡り”に成功した。


 ただ、例外的に居住スペースや大図書館といった高頻度に使う施設はシーカーの手により“固定化”が為されており、空間の移動は出来ないようになっている。 ……何が言いたいかというと、目の前にあるこの扉の先には確実にトウカが居るということだ。


 10の番号が振られた扉の前に立ったシヅキは扉をノックする。

 

「トウカ、部屋に入るぞ」


 そう呼び掛けてからしばらくしても、中からの返事はない。


「入るぞ」


 痺れを切らしたという訳では無いが、小さく呟いたシヅキが意志を飛ばすと、扉は音を立てることなく開いた。


 部屋の構造は実に単純で、間取りはシヅキのソレと変わらない。机、椅子、簡単な棚とベッド……それだけだ。部屋の中に入ったシヅキは椅子を手繰り寄せると、ベッドの前に置いてそこに座った。


 そして、目の前の彼女を見る。


「……寝るんだったら、ちゃんと横になれよ」


 彼女は……トウカは壁を背にしてベッドの上で座り込みながら眠っていた。その手の中には大きな本が抱えられている。そのタイトルは『補完記録42:魔素汚染による主な植生の変遷とそれに伴う人類への影響』。


 下唇を噛んだシヅキは、トウカの手から本を取り上げると、彼女の上体を寝かせてしまった。そして、ホロリと眼に差し掛かった白銀の前髪を優しく横に流してあげる。


「また、夢を見ているのか」


 シヅキの問いかけに、トウカが答えることはない。彼女は今、深い深い眠りの中に沈んでいるのだ。 ……それは分かっている筈なのだが。


「……トウカ」


 再び小さく呼び掛けたシヅキは、トウカの小さな手を握った。その体温は低い。冷んやりとしている。当然なのだが、彼女がその手を握り返してくるなんてことは無かった。



 ――シーカーとの出会いから3日目。徒らに時間を過ごす中で変わったことの2つ目……それは、トウカの睡眠時間が異様に長くなったことだった。それこそシヅキの倍以上に長い。長い。 ……長い。

 

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