第106話 根源の意味


 結界を目指し、数度目となる坂道を登ってゆく。するとすぐに空気の違和感を感じ取った。


 初めのうちは辛く、苦しい対象でしかなかったソレも、今となっては肌がピリつく程度であり訳がない。足取りを緩めることなく坂道を進むことができた。


 そのような現象の名前を、シヅキは呟く。

 

「ノイズの渦、か」


 横凪に身体を切り裂かんとするノイズ。結界周辺を円状に纏うソレのことを、今は無きアサギは『心を揺するノイズ』と表現した。冷静に思い返してみればこのノイズの渦と呼ばれるものとは、信念コアの有無を判別するための仕掛けだったのだろう。シヅキのみを結界から外へと切り離すための。 ……その元凶とは、既に世界から落ちてしまった訳だが。


「……いや」

 

 脳裏を1体のホロウが掠める。


「ソウマ……あいつ、どうなったんだ」


 浄化型を見下すメガネのホロウ、ソウマ。彼はコクヨの右腕にあたる立ち位置だったとシヅキは認識をしている。最後に確認をしたソウマとはボロボロの姿で気を失っていた訳だが……コクヨにより逃された彼のその後を、シヅキは何も知らない。


 もちろんコクヨほどの脅威性は無い筈だが、懸念にはなりうる。そう考えたシヅキは、共に足を進める彼女へと尋ねることにした。


 緊張を孕んだ声色にて問う。


「トウカ。ソウマってよ、あの後どうなって――」

「うぅ……ぐす…………ぅぅぅぅぅ」

「おい」

「ソヨちゃぁぁん…………ぅぅぅ」

「お前、いい加減に立ち直れって。鼻水出てるし」


 シヅキが自身の外套の端くれを差し出すと、トウカはズビビビと鼻をかんだ。


「遠慮なしだな」

「だ、だって……シヅキがくれた、から」

「まぁそうだけどよ。あーーやり辛え」

「ご、ごめん」


 小さな声で謝り、トウカはそれから黙ったままだった。鼻をすすり、嗚咽を漏らす。それらが地面を踏みしめる足音と混ざり合い、耳へと届く。


 とてもじゃないがモノを尋ねられる状態ではなかった。シヅキはすっかりと傷心をしているトウカを通じて、ソヨという存在の大きさを確信する。 


 アサギやコクヨのように失ってしまった訳ではない。むしろ失わない為の選択を取った。


 しかし、心の中のどこかで考えてしまう。もう会えないのであれば、それは存在していないことと同義なんじゃないか、と。通心だって、届くかどうか分からないし、シヅキとトウカの存在を悟らせるリスクがある。やるべきではない。やるべきではないのだ。

 

「…………」


 シヅキは後ろを振り返らなかった。足を止めることもしなかった。トウカがそうしなかったからだ。


 傷心と共に坂を登り続ける。結界まで間もなくの距離まで来ていた。




 ※※※※※



 

――結界前。鎖の塔跡地。


「着いた、ね」


 その空間に足を踏み入れたトウカは風に吹かれる自身の髪を抑えつつ、呟いた。もう嗚咽は混じっていない。きっと涙が枯れ果ててしまったのだろう。


 トウカに倣い、シヅキは広がる景色を眼に捉える。


 以前にコクヨとソウマを拘束していた鎖の塔とは、その痕跡を全く残していなかった。眼前に広がる景色とは、歪んだ風貌の荒野地帯だけである。


 シヅキはゆっくりとした足取りにて結界へと近づいた。


 歪んだ景色の原因である結界。エイガが“茶番”と称した調査団の目的とは、その結界の破壊であった。この先に広がる“から風荒野”では、魔素の回収が大いに期待出来る……つまり、人間の復活の足がかりとなるとコクヨは言っていたのを思い出す。それが心無き発言であったことを、今になって理解する。


「シヅキ……まだ私、どこに行きたいのか、言ってなかったね」

「……この先か」

「うん。きっとこの先に、私の求めているモノが、ある」

「求めている、モノ?」


 反射的にシヅキはトウカの方へ振り返る。ちょうど鎖の塔が建っていたところにトウカは立っていた。琥珀色の眼はもう潤んでいない。それが見つめる先とは、結界の奥先であった。


「シヅキがエイガと戦っていた時にね? 結界の破壊をしてた抽出型とヒソラ先生は、コクヨとソウマに、一時的に拘束されたの」

「あぁ。言ってたな」


 トウカが隠し持っていた煤の入った小瓶。ヒソラがそれを煤魔法として使用し、鎖にコクヨたちを縛りつけたことでトウカは解放をされた筈だ。


 シヅキの相槌に、トウカは大きく頷いた後に続ける。


「拘束された時にね、コクヨがボソって……独り言? を言ってたんだけど、それが聞こえたの。『止むを得ない。根源はいずれだな』って」

「……根源だと?」

「その時に思ったの。コクヨが結界の破壊をする状況を作り出したのって、秘密裏に“淘汰”をするための建前では無いのかなって」

「結界の破壊自体は本当にやろうとしてたってか?」


 異形と化した右腕に意識を集中させて、記憶を辿る。調査団について、コクヨの意図とは何だったのか。その記憶をこの腕は持っていないだろうか、と。


 …………。


「……空振りか」

「シヅ、キ?」

「何でもねェ。続けてくれ」

「う、うん。そもそも、障害となるホロウをころすだけなら、結界の破壊なんてまどろっこしいことをしなくてもいいはず。私が盗み聞いたコクヨの言葉も合わせると、ね? 結界の破壊は、本当にしようとしてたかもしれないって思ったの」

「……この先に何かがあるってことか」

「コクヨの成したかった世界平和。その手段として実行された、不都合なホロウのころし。結界の先を、目指す意味。根源という言葉が指すモノ…………全部、繋がっている」


 トウカが羅列したコクヨの行動と発言。それらがトウカが結界の先を目指す理由とどう結びつくのか、すぐにはピンと来なかった。



…………

…………!


 すぐには、だ。


 コクヨをころした際に、彼女の記憶が大量に流れ込んできた。その内の一つが今、強烈に思い返される。コクヨが中央区から辺境のこの地までやって来た理由だ。


 その眼を大きく見開いたシヅキ。そんな彼を前にして、答え合わせとばかりにトウカはこう言ったのだった。



「から風荒野か、あるいはその先には……“虚ノ黎明”が居るんだ」


 

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