第107話 から風荒野


 遠くに結界を見据えたシヅキは息を吐き脱力した。 ……以前にもこのように助走距離を取ったことがあると思い出す。あの時は結界の破壊を試みるシヅキのことを、たくさんのホロウが見ていた。


 …………。


 あまりにも静かで、あまりにもうつろな気配。その中心にてシヅキは自身の重心を極限まで下げた。頭から腰にかけて地面と平行になる。


 そうして自然と下がりきった視界が捉えたのは異形と化した自身の右腕だ。真っ黒に変色した醜いソレに向けて、シヅキは一言呟いた。


「ヒソラ、頼むぜ」


 穿つようにして地面を蹴る。


 目まぐるしく変化を続ける視界と、空気を裂く感覚。それらを一身に感じた頃には、既に結界は目前の距離となっていた。腕を構える。


「らァ――――――!!!」

 

 託した魔素の全てを開放するイメージにて、シヅキは薙ぎ払った。



 ガシャアアアアアアアアアアアアアアアアアン



 腕へと伝わってくる確かな手応え。それとほぼ同時に、けたたましい音が辺り一帯に鳴り響いた。


 ズザザザと地面を滑り、シヅキの勢いは収まった。後ろを振り返る。そこには今まで見たことのない光景が広がっていた。


 魔人とホロウの侵入を防ぐ出自不明の巨大な防壁、“結界”。シヅキが腕を振るいその一端を破壊したことにより、結界全体が音を立てて崩れ始めたのだ。結界の破片が闇を浴び、黒に染まる。まるで腐敗をしているようだとシヅキは思った。


 重力に従い、結界だったソレは地面へと落ちていった。本当に、本当に呆気なく。その光景を目の当たりにしつつ、シヅキは自然と呟いていた。


「……元から結界なんて無かったらよ、もっと別の未来があったのか?」

 

 すぐにかぶりを振る。事の発端とはコクヨの野望であり、結界を前提とした特殊作戦なんて銘打たなくたって、きっと“淘汰”は行われたのだ。結界とはその助けに過ぎない。


 しかし。そう思っているはずなのに、心のどこかで考えてしまうのだ。 ……もしあの時、結界を破壊するための力をシヅキが有していたのであれば、何か変わったのではないかと。


 再び右腕へと視界を移す。


「ヒソラ……どうだったろうな」


 その力を得るために犠牲となった彼にシヅキは問いかけた。当然、答えなんて返ってくる筈もない。




 ※※※※※




 から風……湿気を伴わない乾いた風が吹き荒れる。ゆえにから風荒野だ。そういえば棺の滝付近でも風が強い時があったが、この荒野が起因の風だったのだろうか? そのようなことを考えながら、シヅキは次の岩の窪みへと手をかけた。


「シヅキ大丈夫? 登りきれそう、かな?」


 真下に居るトウカが心配そうに声をかけた。眼を向けてみると、風のせいで外套が激しく揺れ動いているのが見えた。正直、巨大岩を登攀とうはんする自身よりもトウカが風に飛ばされてしまう方が懸念である。


「浮き始めたら声出せよ」

「ん? ……ご、ごめん! 聞き取れなかった!」


 大声で叫ぶトウカを他所にシヅキは左手一本で器用に登ってゆく。そして、高さが10メートルはある巨大な岩の頂上へと辿り着いたのだ。


 砂塵が目に入らないようにフードを被りつつ、一面に広がる荒野を見渡した。


「……何もないな」


 植物の類は確認できない殺風景な荒野地帯が、地平線の先まで続いている。それ以外の特徴は多少の起伏があること位だろうか? 何にしたって、この土地を住処にしているホロウなんてのは酔狂にも程があるだろう。とても考えづらいと思えた。


「本当に居んのかよ。虚ノ黎明は」


 溜息と共にシヅキは岩から飛び降りた。すぐにトウカがこちらへと駆け寄ってくる。


「よかった。飛ばされなかったのか」

「飛ばさ……え?」

「お前小っちゃいから心配だったんだよ。風に飛ばされねェか」

「も、もう少し身長が欲しかったなって、思ってるよ……」

「いやそんくらいでいいよ。持ち運びやすいしな」

「また意地悪、もう……岩の上から、何か見えた?」


 収穫がなかった旨についてをシヅキが説明すると、トウカはポリポリと自身の頬を掻いた。


「とりあえず、この大きな岩を目指して歩いてみたけれど……目標を変えないと、ね」

「どうすんだよ。闇雲に歩き回るってのもセンス無ェしな」

「あはは……どうしよっ、か」


 バツが悪そうに笑うトウカ。シヅキが眼を細めると、トウカは顔を引き攣らせつつ自身の額に両手を置いた。


「何やってんだよ」

「ガ、ガード……最近になって、シヅキがデコピンをする時が、分かってきた、から」

「そうか。なら別の方法を考えねえとな」

「べ、別の……え?」


 1歩、2歩と近づいたシヅキはおもむろに左手を伸ばした。「ひゃ」と変な悲鳴を上げたトウカは身を縮こませたが、シヅキの手がトウカの額を捉えることはなかった。


 代わりに、左手を大きく広げたシヅキは、目深に被られたトウカの白の外套をまくる。そして露わとなった白銀の髪を、


「ひょ……! うわっシ、シヅキ……え、なになに? う、うぉぉぉぉぉ……」


 わしゃわしゃとかき乱したのだった。


「デコがダメなら、次はこっちだな」

「や、やめてほしい……デコピンの方がまだ……」

「痛くはねェだろう」

「そ、そういう問題じゃ、なくて……もう」


 再び目深にフードを被ったトウカが先頭になり、再びから風荒野を進み始めた。そんな彼女の背後を歩きつつ、シヅキは密かに考える。 ……それは失う選択肢を取ったことで、何を得たのかということだ。


 

 ――その答えは目の前にあった。あってくれた。


 

 …………。


「なぁトウカ」

「ん? どうしたの、シヅキ」

「ああ。あのよ、どこか落ち着いた時にでもよ――」


 続くシヅキの言葉を聞いたトウカは、寂しげな表情と共にその顔に笑みを浮かべた。


 琥珀色の眼を細める。


「うん。 ……そうしよっか」


 

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