第95話 知恵の種


知恵の種インデックス。かつて世界を支配した人間が有す膨大な記憶、その“索引”。


 楕円状の形をしたソレは、掌にすっぽりと収まってしまうほどの大きさで、表面はカラカラに乾いてしまっている。色は黒にほど近い茶色ゆえに、地面にでも落ちていようものなら誰にも気づかれることはないだろう。


 そんな無価値的な形状をしているのは偽装の類だろうか? あるいは生命が滅んだことにより劣化をした末路だろうか? ――まあ、何であったところで。


 ヒソラが、種を模したソレを闇空へとささげるかのようにかかげた。


「これは人間の記憶を圧縮した種……ボクたちにとったら超高濃度な魔素の凝縮体だね。一口飲めば、ホロウを文字通りのバケモノへと変える“禁断”さ」

「…………」

「どうしたの、シヅキくん。何か言いたげな顔をしているけれど」

「察したんだよ。コクヨさんは、ソレを飲んだんだな」


 呟くように言ったシヅキ。その言葉を聞き、ヒソラはやはり眼を丸くしたのだった。


「いいね、シヅキ。勘と雰囲気が研ぎ澄まされているよ」

「バカ言え。頭悪くたって分かる。普通、身体能力において解読型が浄化型を上回れる訳が無ェ。タネがあったんだ」

「ん? まさか種だけにってこと? え、くだらなっ」

「あ?」

「はー?」

「ソヨちゃん、シヅキ……今は喧嘩ダメ、だよ」

「トウカちゃんね。シヅキは放っておくとこっちの粗を探して煽り散らかしてくるんだから。図に乗らせないのがせーいかい」

「おい聞こえてるんだよ」

「……そしたら、デコピンも止めてくれる、かな」

「お前も便乗すんじゃねーよ。あと止めねえから」 

「え」


 引き攣った顔にて固まるトウカを他所に、シヅキは知恵の種インデックスをヒソラから受け取った。闇空に透かすように見上げ、観察をする。


「……ノイズが全くがねェ」

「ノイズを遮断する殻、ってことだろうね。原理は“結界”周辺や薄明の丘と同じじゃないかな」

「ってことは、後者はやっぱり自然発生したものじゃないってことかよ……」

「コクヨだよ。全部彼女さ」


 そう言ったヒソラの表情に、一瞬間だけ影が落ちる。しかし彼が咳払いをした直後には普段の調子へと戻っていたのだった。


「ソヨちゃん、わざわざ知恵の種インデックスを届けてくれてありがとうね。ボクたちはこの空間に縛られていたからさ、外で自由に動ける君の存在はすごく助かったよ」

「いえ、わたしはただシヅキとトウカちゃんが助かるのなら何でも良かったのです」

「自分が犠牲になる可能性は十分にあったわけだけど」


 ソヨはこのヒソラの問いかけに対して、ふるふると首を振ったのだった。


「何でも、良かったので。ただ帰りを待ち続けるだけはもう……嫌」

「ソ、ソヨちゃん……」

「わたし、泣きそうなの我慢してること分かる?」

 

 朗らかに笑ったソヨのことをトウカが抱擁する。角度的にシヅキからはソヨの表情を見ることが出来なかったわけだが、間もなく聞こえてきた僅かな嗚咽で、全てを理解したのだった。


「…………」


 ――あのようなソヨの様子を初めて見た。いつもソヨは気丈に振る舞っていたし、ハッキリとした物言いをするものだったから。それは“絶望”に襲われ、病室にて目覚めた時だって同じだった。 ……十数年間の付き合いの中で、彼女はシヅキの前にを見せないでいたのだと恥ずかしながら今知ったのだ。


 彼女たちの様子をただ傍観していたシヅキ。そんな彼の肩にぽん、と手が添えられる。


「人間を崇拝することが使命だなんて、ホロウにとっての常識になってるけれど。実際ボクたちは目の前のホロウのことが大事でならないんだ。 ……失うことに耐えられるだけで、気分はすこぶる悪いよ」

「……もう、否定しねえよ。トウカが中央区でホロウを消す決断をとったことも、俺がエイガを消したことも……あいつを犠牲にしてでも俺はトウカを守りたかった。それだけだ」


 心臓に手をやった。 ……鼓動が伝わる。自分は確かにココに居るのだ。あんな罪を犯したにも関わらず、のうのうと存在をしているのだ。 ――そして、今からもう一つ取り返し用のない罪を、犯す。言い換えれば、それは犠牲であった。


 ゆっくりと眼を閉じて、開く。息を吐いて、言葉も吐いた。


「ヒソラ。俺やるよ。知恵の種インデックス飲んで、バケモノにでも何でもなってよ……コクヨさんをころす」

「シヅキ、それ本当なの!?」


 隣から素っ頓狂な声が聞こえてきた。振り向くと、そこには目元を赤く腫らしたソヨの姿が。


「お前、トウカと抱き合っていたろうが」

「誤解を招く言い方をしないでよ……まあ合ってるけれど。それより、コクヨさんに勝てるの……?」

「勝てるかどうかって次元の話じゃねえんだよ、もう。 ……ヒソラ、それでいいよな? 俺はいいぜ」


 しかし、シヅキのこの問いかけにヒソラは即答をしなかった。彼には珍しく、言い澱んでいる様子で、シヅキは違和感を憶えた。


「ヒソラ?」

「……知恵の種インデックスは飲むだけじゃ意味はないよ。種そのものに価値はない。成長して、果実となって、やっとそこに存在意義が生まれるんだ」

「あ? 成長って何だよ」

「はは、ホロウは姿形が変わらないからね。 ……つまりね、種が育つ“土”と“栄養”が必要があるって話だよ。前者はシヅキくんの身体だね」

「……後者は、一体何なのでしょうか?」


 恐る恐るといった様子にてソヨが尋ねた。これに対してもヒソラは即答をしない。 …………? さっきからトウカと眼が合わない。そこには悲しげな横顔があった。酷い既視感を憶える。



 ――嫌な予感がした。


 

「シヅキくん……ちょっと頼みがあるんだけどさ」




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 ――

 

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