第94話 だからここまでやって来た

 コクヨが去り、元の静寂を取り戻した“結界”前の空間。そこには崩れ去った鎖の残骸だけが痕跡として残されていた。


 それを確認したシヅキの体勢は、間もなくして、浄化した魔人のように崩れきった。その場にドンと尻もちをつく。


「いたたた……」


 胸のあたりにすっぽりと収まったトウカと一緒に。


「シ、シヅキ。大丈夫?」

「…………」

「シヅキ? ――わっ!」


 小さく悲鳴を上げたトウカ。シヅキの腕が彼女の身体を縛りつけるようにして巻き取ったからだ。やがて密着したトウカの背中にシヅキの体重がグイと乗る。


「ど、どうしたの。ちょっと疲れちゃった……?」

「うるせーよ」

「少し重いから、は、離れて欲しいかなって」

「なら約束しろ。 ……あんな無茶は二度としねーってよ」

「ぁ…………ごめん」

「“しない”とは言わねぇんだな」

 

 ハァ、と溜息を吐いたシヅキ。あんなことコクヨとのやり取りがあったのに、思いの外落ち着いている自身が居ることに驚いていた。やはりエイガと戦闘をした辺りからおかしい。得体も知らないナニカに突き動かされている……そのような感覚に陥っている。


 

 ――しかし、そんな心状況しんじょうきょうを差し引いたとしても、現実には一筋の光すら無い訳だが。


 

「ヒソラ」

「ああ」


 自身が呼ばれるとあらかじめ分かっていたかのように、ヒソラがシヅキの前に立つ。そこに焦りの色は見えない。あたかも想定通りだと言わんばかりに飄々としている。


「お前、こうなることが分かっていたのか?」

「まさか。あの場でシヅキくんがコクヨのことをころしてくれると思っていたよ。ボクにとっての課題は君をどうやって懐柔かいじゅうするかってことだったからね」

「……そうか」


 懐柔。シヅキには心当たりがあった。調査団が棺の滝に到着した当日、首を締められたトウカをヒソラの元へ連れて行った時、ヒソラは意味深な問いかけをしたのだ。


 

『へぇ、逆には考えないんだね。ソウマが近くにいるとは』



 ……ヒソラは基より知っていたのだ。コクヨがどのようなホロウなのかを。ヒソラは彼女をころすために動き続けた訳で。彼の想定の中には、浄化型のシヅキを説得することも含まれていたのだろう。コクヨが言っていた“筋書き”という言葉は、おそらくこのことを指しているか。


「……」

 

 ――そう思うからこそ、シヅキには納得がいかない。


「ならよ。コクヨさんが鎖を抜け出して手がつけられなくなった今、どうするって言うんだよ。煤魔法……だったか。鎖が破壊された時に使わなかったところを見るに、少なくとも手元にはもう無えんだろ」

「まあね」

「……じゃあ本当に詰みじゃねーか。逃げるったってよ…………逃げきれるのかよ」

「いいや、逃げはしないよ。コクヨは必ずころす」

「どうやってだ?」

「トウカちゃんが言っていたじゃあないか」

「……おい。正気かよ」


 チッ、と舌打ちを一つしたシヅキはヨロヨロと立ち上がった。

 

「ま、まだこのままなの……」


 困惑をするトウカと一緒に。


「こいつが言ったコト本気にするなよ。他の誰でもねえ俺が一番よく分かっている。 ……コクヨさんに俺が勝てる訳ねえ。精神とか、技術とか、運とかそういうのじゃなくてよ……“質”だ。あまりにも質がかけ離れていて、戦いにすらならないって」


 再び自身の身体が震えていることには気付いていた。去り際にこちらを振り向いたコクヨの、眼。近くにトウカが居なければ、地に膝を付けることなんて何てことないのだ。 ……トウカさえ、居なければ。


「シヅキ。私は本気で出来ると思ったから、コクヨに宣戦布告をしたの」

「お前は俺のことを過大評価している」

「過大評価、かな? 私は一体だけじゃ何も出来ないホロウ、だよ。……でも、は自信が、ある」

「ハッ! なら……ならよ、俺の何を見定めたってんだ」


 投げやりに尋ねられたシヅキの問い。全て、目下のトウカへと降り注ぐ。琥珀色の瞳と眼が合った。綺麗な、綺麗な、綺麗な色で。こんな状況にも関わらず、シヅキは眼が離せなくなった。


 数秒間眼が合った後、トウカがその小さな口元に笑みを浮かべる。そして彼女は何の躊躇いもなく言ってみせたのだ。



「シヅキは優しいから……誰かに尽くしちゃうたちだから。きっと



 ガサッッッッ


「――っ!?」


 突如として、近くにある茂みが揺れた。そこに誰かが居ることに違いはなかった。なぜ今まで気がつかなかったのか? 後悔したって遅いが。


 思考するまでもなく、シヅキはトウカを手離し、彼女の一歩前に出た。大鎌を構える。


「ま、待ってシヅキ! 大丈夫だから、友達!」

「あ? 友達だと?」

「うん。友達! 私たちを助けにきてくれた、友達だよ」

「……こんなところまで? 誰なんだよ、それ」



「――さ、誰でしょうね?」



「え……あガッ!!!」


 理解をするよりも先に、脳天へと加えられた強烈な打撃。一瞬だけ頭がくらっと来て、ハッキリと意識が醒める感覚。言い換えればそれは“ありふれ”で、“日常”で、“昔馴染み”だった。


 揺れ動く視界の中に栗色の髪がふわりと動く。


「シヅキ、トウカちゃん……久しぶり。ヒソラ先生、お疲れ様です。大変身勝手ながらここまでやって来てしまいました。頼まれていたモノを届けるために。友達を……助けるために」


 

 深くお辞儀をした彼女、改め“ソヨ”は堂々と挨拶をしてみせたのだった。

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