第92話 取引
あの日、あの時と重なりきっていた。見間違う筈がなかった。
「すまないなシヅキ。ワタシはまだ在らねばならぬのだ」
そんなコクヨの声と共に、視界を覆い尽くさんと広がってゆく無数の枯れ枝。それらが狙いを定めたのは、シヅキが手に持つ大鎌であった。
間も無くして腕を介し伝わってくる大きな振動。空を仰ぐと、もうそこに大鎌は無い。無作為に枝が散らかっているだけだった。 ……そう。あの時と同じで。
シヅキは怒りとやるせなさに叫んだ。
「ばかやろう……!」
ガシャァァァァァン!!!
肌を震わせるけたたましい金属音。それと共に背中にドンと痛みと衝撃が走った。跳躍の慣性を失い、その場に落ちてしまったらしい。
「いってえ…………」
「シヅキ離れて!!!」
「――っ!?」
トウカの声に呼応し、反射的に身を地面に転がす。その勢いと共に素早く立ち上がると、目の前には鎖の残骸が積み上がっていた。先程のけたたましい金属音とは、この鎖の崩壊を意味していたのだ。
――さらに言えば、それが意味するのはもう一つあって。
「随分と身体が痛んだ。精神の方にも影響が出ている。気を抜くと簡単に狂い得るか」
「コクヨ……君ってやつは」
「まさかここまで追い込まれるとは思っていなかった、ヒソラ。人間が人間のために作った
疲弊した眼にて前方を睨んだシヅキ。彼の眼が映すのは鎖の縛りから解放されたコクヨの姿だった。その場に棒立ちとなっているように見て取れる彼女の胸元には、ぐったりとした様子のソウマが抱えられている。
彼女はソウマへと一瞥をくれた後に、シヅキ達をその闇色の眼で見渡したのだった。さしずめそれは……獲物を刈り取る眼であった。
「さて、どうしたものか。ワタシは決めあぐねている。何が正解だろうか?」
「……なんの話だい?」
「聡明なお前ならもう分かっているだろう、ヒソラ。取引をしたいのだよ」
「と、取引…………」
小さく呟いたトウカが喉をゴクリと飲み込むと、コクヨの視線が容易くトウカを捉えた。一方でシヅキはコクヨの視線を遮るようにして大鎌を構える。
「…………」
「そうか、お前は恵まれているな。 ……まあいい。今、話があるのはヒソラだ。ソウマの傷を治してくれやしないか?」
「ホロウの身体は放っておいても勝手に修復されるけど」
「何を言うか。このままでは長く
淡々と言葉を連ねるコクヨであったが、その一方でソウマはピクリとも動きやしない。自らを支える力すらないのか、コクヨの腕からはみ出したソウマの顎は、すっかりと真上を向いていた。
「ソウマを失うことはお前にとっても耐え難い筈だ。お前の“コア”とはホロウの存在を繋ぐ、ことだろう? 裏を返せば、救えるホロウを失うは
「……バカを言いなよ。鎖から解放された君がボクたちに手を出していないのは、ソウマの存在があるからでしょ」
ヒソラが皮肉混じりにそのように返すと、コクヨは「ヒヒッ」と甲高く笑ってみせた。 ……この状況でだ。狂っているとしか言いようがない。
頬を伝う汗を拭ったシヅキは、体内で張り詰めた空気を吐き出した。
(落ち着け、落ち着け…………俺はコクヨに勝てない。トウカを守れない。今もまだ無事で居るのはソウマの
――なら俺に今できることはなんだ?
大鎌を持つ手に力を注ぐ。自身を流れる魔素がジンジンと疼いていることを自覚した。 ……不意を突く。
どれだけ有利な立場であったとしても、コクヨに刃を届かせられる気がしなかった。きっと、本能の奥底に擦り込まれているのだ。“絶望”と対峙した時の経験と、手合わせをした時の経験……その2つがシヅキに絶対的な畏怖感情を植え付けている。
頭の無いシヅキには、鎌を振るうことしか出来ない。ならば、それすら封じられたシヅキに出来ることは?
…………。
(何も、無い)
エイガと対峙したときに、エイガを
「……あ、あの一ついいですか?」
――膠着状態だった現状を動かしたのは、突如として背後から聞こえてきたトウカの声だった。震えを帯びた声だ。
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