第91話 淘汰
「ククク……ふふ……ヒッ……ヒ……」
どこからともなくではなかった。頭上から、確かに頭上からその声は落ちてきた。
「ヒソラ、お前の体格は随分と小さい。小さいにも関わらず、その内部に在る思考の広さは誰をも寄せつけないな」
「コクヨ……起きていたんだね」
ヒソラの声のトーンが明らかに落ちた。ただでさえ普段の声色より様変わりしていたものであったが、もはや原型を止めていない。目の前のホロウは本当にヒソラなのだろうか? ……ヒソラなのだろう。
であるならば、鎖に繋がれた彼女もまた紛れなくコクヨだ。彼女は僅かに首を動かし自身の身体を一瞥した後、喉の奥で不気味に笑った。
「直前の
「心を壊す魔法だよ。人間の心を壊す……それイコール、
「そうか。それは苦しいな」
極限にほど近い状態にも関わらず、不気味なほどに抑揚の無い声。そして、相も変わらない闇空より深い黒の瞳。その瞳がギロと動き、確かにシヅキのことを捉えた。
「シヅキからヒソラに言ってくれないか。鎖を解けとは言わないが、より緩めて欲しいと」
「…………」
「どうした? 発声できないか?」
「…………コクヨさん。さっきの、ヒソラの話は本当なのですか?」
「シヅキくん、あいつと会話をしないほうがいい。今の君には――」
「ヒソラは! ……ちょっと黙ってろ」
冷静を欠いている自身が在ることに気付いていた。正気か、と聞かれれば自信はない。ただ判断を誤ることは無いと思えた。
(後ろにはトウカが居る)
過ちは、すなわちトウカの危険へと繋がる。それだけは決してあってはならない。 ……そんな思考が、シヅキの意識を引っ張ってくれていた。
渇ききった喉で、無い唾を飲み込む。
「ヒソラが言ったことが、嘘だというなら……そう言ってください。俺ぁ、俺はよ。コクヨさんの言葉で訊きたい」
「嘘、と言ったらお前は信じるのか?」
「それは…………分かんないです」
「そうか。お前は臆病で、打たれ弱いからな。下手な決断は自身で下さないだろう」
「――っ」
「シヅキ!」
すぐ背後から囁く声が聞こえた。それとほぼ同時に、震える手が握られる。
「大丈夫、大丈夫だから」
「…………ああ」
鼻から大きく息を吸い、口から長く、浅く、吐いた。 ……コクヨが見透かしている“シヅキ”とはこのような部分なのだろう。以前の模擬戦闘の時や、その後病床を訪ねて来た時もそうだった。彼女はシヅキの“取り繕い”を突いてくる。シヅキが悟られたくない劣等と後ろめたさに、いとも容易く触れてくるのだ。肉と骨を透かされ内臓を直接撫でられているかのような感覚であり、不愉快の甚だしいものであった。
しかし、ここで一つの疑問が生じる。
――なぜ、今そんな行為を?
頭の中に滲み出たソレに、シヅキは答えを出すことにした。
「コクヨさん。俺のことはどうでもいい……じゃないですか」
「どうでも良くないことは無いが。以前にも言葉にしたが、ワタシはお前のことをいたく気に入っている。言い換えれば傍に欲しいのだ。自らの存在理由に悩むお前のことをな」
「…………話を俺のことにすり替えないで下さい。質問に答えて、くださいよ」
「そうか。あくまでお前は真実を望むのか。ああ、そうか、そうか」
喉の奥で発する不気味な笑い声。それが口元から漏れ出るたびに、彼女の頭が小さく揺らいだ。心のうちでコクヨが何を考えているのか……シヅキには知ったことで無かった。知りたいとも、思えなかった。
ガシャン
そんな彼女の笑い声が止んだのは、大きく鎖が揺らぐ音が起きてからだった。見ると、ヒソラが鎖の根元を思い切り蹴り上げていた。
「シヅキに同意だよ。コクヨとソウマ、君たちに触れても
「…………ワタシも、少々この鎖には疲れてしまった。そうだな、ならば一つお前達に聴いて欲しいものだ」
そう言った後、コクヨは酷く間隔が長い瞬きをした。それが彼女の中での合図だったのかは知らないが、コクヨはポツリポツリと言葉を吐き始めたのだ。
「…………ホロウの本質とは底知れぬ闇だ。光と未来の閉ざされた世界に、我らホロウは投げ出され、理不尽極まりない闇と共に在る。それは適性がある訳ではない。人間を模して造られたのだから当然だ。我らは闇の中で在り続くを余儀なくされ、しかしながら闇に苦しみ続けている。この矛盾に、ホロウは苛まれている」
コクヨの眼が再びギロと剥かれた。
「故に我らは、“救い”を探し求めてきた。かつて人間が神を発明し自らの拠り所としたように。我らは光無き世界に救いを見出すのだ。救いを見出す手段こそ“信念”、手に入れた救いこそ“コア”…………ワタシも例外なくその内の一体であった」
「どういう、意味ですか?」
「以前お前に告げたな。この調査団とは共通して“信念”のあるホロウが選ばれている、と。そこに自覚の有無は関係なかった。ただワタシは見極めたかったのだ。彼らは、ワタシが目指す“救い”の……助けか、弊害たり得るか」
「……は?」
困惑の声を上げたシヅキ。それに対してコクヨはただ笑みを浮かべたのだった。
「ワタシ、は。ワタシは世界平和を達成したいのだよ。人間を信仰することは、我々の救いにはならず。過去の人間を忘れ、今の魔人をかなぐり捨てる。 ……我々は闇に慣れる必要があるのだ。この世界を“絶望”と捉える価値観を
ギチギチギチギチギチギチギチ………………………
突然、鎖が擦れた。それも酷く、酷く大きく擦れた。まるで痙攣をしているかのように細かく震えている。震えは共振を引き起こし、鎖の悲鳴とはたちまちに大きくなっていった。
「な、何が起こっている……?」
「シヅキくん! コクヨを
背後に立つヒソラが、焦燥に青ざめた声色にて叫んだ。
「コクヨが鎖を破壊する! その前に君が仕留めるんだ! ボクはボクのコアに縛られているから……」
「な、なんだよそれ! ……トウカ、俺ぁどうすればいい?」
「…………」
「トウカ!!!」
「こ、
「簡単に言う!」
シヅキはそう言いつつも、その手に大鎌を呼び出した。途端に鎖に向かって走り出す。その間にも思い浮かぶのはコクヨのことだった。
「俺を気に入ってるだの、魔人は根絶やしにするだの……あんた一体何なんだよ! クソ!!!」
地を蹴り、跳躍。見ると、コクヨの片腕はもう鎖が壊されてしまっていた。時間はあまり残されていない。言うまでもないことだった。
シヅキは大鎌を振りかぶった。自身の跳ぶ勢いに合わせてソレを振るう――
――その瞬間だった。
「なっ……」
シヅキは空を舞う最中、絶句をした。眼を見開き、確かにソレを直視する。 ……見間違う訳がなかった。忘れる筈がなかった。言うならばソレは、ヒソラの発言を裏付けるソレであり、シヅキとトウカにとって忌々しきソレであった。
唖然とさえしたシヅキを前に、コクヨは言葉をかける。
「つまるところ、ワタシの行いとは
『ミィ』
――腕あたりから無数の枯れ枝を伸ばしたコクヨは、やはり至極淡々と語った。
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