第88話 大丈夫ではないけれど
ホロウを
その事実は時間が経っても変わることはなくて。断ち切った肉と、骨と、魂の感触だって
罪悪が心を渦巻く。サユキとアサギを見消しにした時の比ではなかった。襲われる自身の存在の否定感情、これ以上ない自虐心の発露、自尊を少なからず支えていた理性の決壊…………言語化の仕様が無い絶望の連鎖。 ――なぜ俺はのうのうと
分かりきって、いたのだが。
………………。
シヅキは
「トウカ」
「うん」
「もう平気だ。離してくれよ」
「うん……やだ」
「やだ、って何だよ」
「離したらシヅキ、自分のことを斬らないのか、怖いから」
「ハァ……斬らねーよ。第一、お前が加えてる力で俺を抑えられているつもりか? その気になりゃあどうだって引き剥がせんだよ」
「なら、そうしたらいい、じゃん」
「…………」
シヅキは返事をすることなく、その視線を今度は頭上へと向けた。穴が開くほどに、でも決して開くことはない闇空が広がっている。冷たい空だ。今のシヅキとは正反対に。
腕の中にトウカの熱を感じる。彼女の体温は少し高いからよく感じられる。温かい、暖かいのだ。それが…………その熱が、今のシヅキにとってどれほどの救いとなっているのだろうか? そんな問いに対する答えから眼を逸らした。今は考えるべきではないのだ。考えてしまったらそれは、サユキ、アサギ、そしてエイガのことを忘れてしまいそうになってしまうから。
だからシヅキは本音を隠し、
「ああ、そうさせてもらう」
溜息混じりに零したシヅキは自由に動く左手を首横まで持ち上げて見せた。首横……改めトウカの額。
「え? ――だっ!」
パチンという乾いた音とトウカの短い悲鳴は、ノイズの無い小空間の空気を小さく震わせた。
「な、何で……な、ん、で?」
「お前が腕を引き剥がせっつったんだろ」
「引き剥がせ、とは! 言ってないし!」
赤くなった額を押さえつつフラフラと立ち上がったトウカは、ジトっとした細い眼をこちらに向ける。
「後でソヨさんに言う、から。クビにしてもらお」
「ハッ、無茶言うなよ。それに……アークにはもう俺の居場所なんてねーだろ」
「それは…………」
「勘違いすんな。今のは自虐でも悲観でもなくて単なる事実だ。身の振り方は
(でも、まだ戦える)
魔素がこびり付いた大鎌に眼を向ける。よくもまあ、これほど首を刈りやすい形状をしているものだ。この大鎌はシヅキの具体的なイメージが生成したものではなかった。かつて人間が使っていた鎌の形状を、漠然とイメージして造ったものに過ぎない。それから後は勝手に造られた。誰が造ったか? ……ホロウを形成する魔素が人間の心である以上、人間の記憶が補完したのだろう。
「……今はそんなこと、どうでもいいか」
「ん? 何か、言った?」
「なんでもね。見ての通り俺はもう平気だ。 ……いや、
真面目なトーンでシヅキが尋ねると、トウカは額を押さえていた両手を降ろした。その琥珀の瞳がシヅキを貫かんと捉えた。そして、大きく頷いたのだ。
「ヒソラ先生が“結界”前に居る、と思う。私はね? 隙を突いてここまで来たの。シヅキを助けるために」
「そうか」
「大丈夫、では無いよね」
「お前の言う“大丈夫”の定義は知らねーけどよ。この鎌は振るえるさ……たとえ、誰が相手でも振るうよ」
「何かあったら、また私が傍にいるから。決して一体だとは思わないで」
「ああ」
シヅキの返事を皮切りに、トウカは歩き出した。シヅキはその背中を一歩離れて追いかける。ちょうど港町に“デート”をしに行った帰り道のように。でも、今度はちゃんと“トウカ”のことを知っていた。知ることが、出来ていた。
その彼女は小さく息を吐き、言葉を紡ぐ。
「今ままで、色んなことが曖昧になっていたけれど、きっとそれもすぐに分かるよ。私たちは、真実に立ち向かうの。立ち向かわないと、犠牲になった彼らは無駄になる」
「……ああ」
忘れたわけじゃない。忘れるわけがない。ただ、悲観を
(その為にも、俺はまだ
左右にふわりと揺らぐ白銀の髪を捉えつつ、シヅキは確かに歩みを進めた。
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