第4話 聞き耳潰して
同日。私は彼の説得に努めることに必死になっていた。私の手の届かない所にいる気がして不安だったからだ。なんとか彼を呼び戻す方法を探っていた。
「カガリ君、そこなのよ。仮にその子と別れてしまったのが君のせいだとしても、今言ったことは君の願望でしかないの。君が自分の意志で、そのことを忘れられずにいるのよ。君がどう思っているかはその子には伝わっていないんだから」
「僕が僕の意志で今みたいになったってことですか」
「正直そういうことね。君は何かと抱え込む癖があるように思えるわ」
「僕には、大切な人を失って平気でいられることの方が何かしらの癖だと思います」
「優しいのね」
「優しいわけじゃないと思います。僕はそんなに人のことを一途に思ったりできません。ただ、これは僕のために、こうしていないと僕が何もない人間になってしまう気がするんです。別にあの子に関係ない思い出も、僕は気にしていたい」
「そこまで分かっているのならあとは理解を深めていくことに専念すればいいわ。こじつけでも何でもいい。君が納得するまで、その子の思い出が君にとっての枷にならないような理解ができればいいと思う」
「そう、ですか」
私は彼の表情を見つめていた。彼は私を見ていない。彼の視線の先には遠く靄のかかった思い出が確かに映っているようだった。また、その当時交わした言葉一つ一つを反芻するように見返して、すがっているようにも見えた。
「僕にはまだ言いたくないことがあります。言いたくないと言うより、口にした拍子にそのことを鮮明に思い出してしまう気がして、僕は、それが怖いんです」
「全てを話せとは言わないわ。それは傲慢だと私は思うから」
「先生こそ優しいですよ。あんまり親切だと身を削りますよ」
「そんなことないわ。多分私も人の話を聞くことで自分を薄れさせているのかも知れないから」
「薄れさせる。そんなことができるんですか」
「ええ、少しは効果があると思うわ。人の話に寄り掛かって自分を顧みないというより、ただ楽しくお話して濁すと言った方が的確かしらね」
私はそんな風に曖昧なことを言ってしまったことを後悔した。彼がとてもそんなことで立ち直れるとは思えなかったからだ。症状は良くなっているのかも知れないが、彼にはまだ初めて会った時のような影が差したままだった。
「じゃあ、僕は先生と話します」
「わかったわ。そうしましょう」
彼は少しの沈黙のあと慎重に聞いた。
「先生は、過去に何かありましたか」
「そうね。あったと言えばあったわ。あまり覚えていない所もあるけど」
「そうですか」
彼はあまり深く聞こうとはしなかった。彼には身を引く意識があって、そのせいで慎重になっていると仮定した。人との関りに臆病になっている気がした。
「大したことじゃないのよ。私も若い頃に不思議なことがあってね、別に忘れたい思い出じゃないわ」
「不思議なこと、ですか。僕も何度かあったような気はしているんですが、あまり記憶力が良い方ではないので、うっすらとしか」
「そう、まあ不思議と言っても友人と仲直りするために何度も説得した記憶があってね、友人は同じことを言って私をつき返すのよ」
「その人とは仲直り、できましたか」
「ええ、できたはずよ。それから一度もあってないけどね」
「そう、ですか。その人と会いたいですか」
「ええ、また会えるなら」
「もし会えるって言ったら、先生はどうしますか」
私はその時咄嗟のことに硬直した。彼の放つ言葉を鮮明に繰り返して、私は答えに迷った。少しの静寂の末に喉につっかえた言葉を絞り出した。
「それは、喜ぶでしょうね。急に会えなくなったから」
「そうですか」
彼はまた黒い影を自分の肩にかけて全身を覆ってしまった。そんな彼の表情は少し残念そうに見えた。
「すみません。今の、聞かなかったことにしてください」
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