第2話 オルゴールの舞
子どもたちを寝かしつけた貴方は、ワイングラスに赤ワインをとくとくと注いだ。貴方は赤ワインは健康にいいということを何処かで聞いたかもしれない。赤ワインがどれだけ良い効果をもたらすのかということをよく人に語っていたかもしれない。でもそんな貴方でさえ、毎日アルコールを飲むような習慣は決して健康に良くないと貴方はどことなく分かったのだろう。貴方の妻は貴方をワイングラスとともに後に残して先に寝室で眠りについた。彼女の明日もまたせわしない一日になるであろうから。
住宅街の灯りはとっくに消えた深夜のこと。テレビの画面だけがカラフルな光で部屋を照らしていた。煙草に火をつける貴方の姿は惨めだ。子どもの前で、煙草を吸ったり酒を飲んだりしてはいけないと思った貴方は、それを絶対しないと自分に誓った。密かにワイングラス一杯を空にした貴方は、いつも通りもう一杯注いで、ワイングラスを手にとってただ見つめている。この世界の全ては貴方が手にするこのワイングラスの中でかすかに漂っている。
でも何杯飲み干しても、貴方の心は落ち着かない。
貴方はカラフルな光や音放つテレビに苛立ち、その電源を切ってしまった。そして、しばらくぼんやりしながら、天井に上がっていく煙草の甘い煙を眺めていた。
貴方は母のことをしばしば思い出すのだった。母の死は突然だった。貴方は母とよく喧嘩していたから、母のことをずっと憎んでいて、最期まで一度も訪れることはなかった。
———お母さんがどれだけ悔やんでいたのか貴方は知っていたはずよ……。
心を貝のように閉ざして内に引きこもった貴方は、親しい人々さえに自分の弱みを見せるのが怖かった。そのためにワインに慰めを見いだしたのだろう。
———私はずっと傍にいたのに、貴方は私の存在に気づかなかった……。
貴方はレコードプレーヤーのスイッチを入れ、ジョン・フィールドのピアノ協奏曲第七番をかけた。第一楽章の第七主題に耳を傾けた。それは、堂々としたピアノとヴィオラの二重奏による間奏曲だ。
しばらくして、とうとう私達の好きな
戸棚の隅に置いてある、曾祖母から受け継がれた古いオルゴール箱に、私は手を伸ばし、鉄の鍵でゼンマイを巻いた。
貴方はオルゴール箱の中の躍動するように動く機器から発せられる音に耳を傾けた。
私が巻いた鍵を放すと、箱の上に乗った手をつなぐ一対の人形は、箱から漏れ出す澄んだ鈴の音の拍子に合わせて踊ってはじめた。
目の前の出来事が信じられず、驚いて首を横に振る貴方は、煙草を深く吸ってから灰皿にもみ消して、立ち上がった。戸棚に向かった貴方は、オルゴール箱を優しく手にとって、あらゆる面をしげしげと見つめた。しかし、どこにも異常はない。貴方の苦い息に顔を背ける人形は相変わらず円を描くように踊り続けている。
貴方はその動き方に惹きつけられて、しばらくそのままでいた。瞳の中の輝きが増した貴方は、頭の片隅にとある記憶を思い出した。
貴方はオルゴール箱を元の場所に戻して、戸棚の奥から古い靴箱を取り出した。それを持って貴方は床に座り、箱の蓋をそっと開いた。
そうすると、貴方の目から飛び出した火の粒のような輝きが箱の中に落ちていった。
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