第52話 決断の時

2019年12月・東京


慎也にとって、年末年始の休暇が待ち遠しいだ。


なぜなら、彼はクリスマスイブの前日から、真琴と未希と一緒に伊豆高原にある温泉旅館へ行くことを決めた。この2泊3日の旅行は窪田家の初家族旅行で、そして慎也と真琴が去年離婚して以来、初めての旅行でもあった。


去年の同じ時期に嫌な記憶がたくさんあったけど、今年は慎也にとってそんなに悪くなかった。もちろん、家族と離れて暮らすのは寂しいだったが、未希との関係は前よりだいぶ良くなった。今の二人は毎日携帯やSNSで連絡を取り合っていたし、二人きりで散歩や外食することもできた。それは昔では考えられなかったことだった。


真琴とも最近いい調子だった。離婚当初、真琴は慎也との連絡はあくまでも未希のためにやっていたので、慎也と二人きりになるのを極力避けていた。だけど、未希が中学生になってから、彼女は学校行事や友達と遊びに出かけることが多くなった。そういう時、慎也と真琴は二人きりになってしまい、それで一緒にご飯を食べたり、飲みに行くこともあった。二人の会話の内容は最初から未希関連のことがメインだったけど、徐々にお互いの生活のことをシェアすることになった。


しかし、思わぬことが起きてしまった。


旅行へ行くの3日前、未希は友達と外で自転車を乗っていた時、転んでしまって右足をケガした。こんな状況では、未希を旅行に連れて行くことは不可能になり、真琴も慎也と二人きりで行くことはしたくないだろう。なので、慎也は旅行のことを諦めるしかないと思っていたが、未希の言葉のおかげで新たな希望を見えた。


「パパはさあ、ママと一緒に旅行へ行きたいでしょう?」

「未希も一緒の方がいいって、でも今回は残念だな」

「ママと一緒に行ったら?」

「それって無理だろう。ママは絶対OKしないから」

「パパさえよければ、私はママを説得する自信があるよ。せっかくいい旅館を予約したのに、勿体無いよ。だって、パパは結構前から準備してきたでしょう?」


確かにそうだった。慎也は伊豆高原のある高級旅館に目をつけて、数か月前に予約した。そこはメゾネットタイプの2階建ての離れ宿で、1階は広い和室と自然の光に包まれた広縁があった。2階には外の景色を見えるガラス張りの寝室と、相模湾に浮かぶ伊豆七島を眺める内風呂と露天風呂があった。クリスマスという時期に、6つのメゾネットしかないこの宿、せっかくこんないい部屋を取ってたのに、キャンセルなんてしたくないのも慎也の本音だった。しかし、真琴は行かないなら、自分がそこに行っても何の意味もなかった。


「でも、ママは俺と二人きりで旅行へ行くなんてね…」

「これはチャンスだよ。だって、パパはママと仲直りしたいでしょう?」

「ママはそうしたくないみたいだけど」

「ママの気持ちを変えたいなら、パパはもっと頑張らないとね」

「未希はどう思う?」

「何が?」

「だって、ママはどうして離婚したいのは、パパが昔ひどいことをしたから…未希はもうパパを許したの?」

「今のパパはいいよ。だから、昔のパパに戻らないなら、私は応援する」

「昔の俺には絶対戻らないから、約束する」

「心配しないで、私はママに説得できるよ。だから、予定通りにママを迎えに来て」

「未希は家にお留守番しても大丈夫?」

「何を言ってるの?おじいちゃんとおばあちゃんは医者でしょう?医者も二人がいて、心配しないでよ」

「そうだな、心強いだね。未希を早く元気になって、今度は3人で一緒に出掛けよう」

「いいえ、今度は4人で」

「4人?」

「弟か妹が生まれたら、4人家族になるでしょう」

「未希はさあ、いったいどこからそんなことを覚えたんだ?」

「パパとママは仲直りしてたら、そうはなるでしょう?私は妹がいいなあ、でも弟も平気よ。だからパパはもっと頑張って!」

「はいはい、そうなるように、パパは頑張るから」



電話を切った慎也は笑顔のまま、未希が言うようになれたらいいと思った。自分の未来予想図を脳内に描いている最中、慎也の秘書から内線で連絡が入ってきた。どうやら、事務所の社長のお呼びがあって、慎也はすぐ自分の部屋から社長室へ向かった。


社長にソファに座るように促され、慎也は社長の向かいにある席に腰を掛けた。


「窪田くん、忙しいところで申し訳ないだけど」

「いいえ、気にしないでください」

「実は急なことで相談しなければいけないです。来月から、大阪への異動をいかがですか?」

「異動?なぜですか?」

「知ってるでしょう、大阪支社の企業法務部の部長兼シニア・パートナーは今月に定年退職するなので、来年の1月にうちから矢野くんがそこの新しい部長とシニア・パートナーに赴任する予定です。しかし、矢野くんは急にその話を断っていました。家庭の事情で東京から離れないと言ったので、仕方ないと思った。

で、このポストは元々あなたのものでしたが、あなたは去年の離婚してから、もっと家族と一緒に過ごしたいという理由でこの話を断ったでしょう?今はもう一度考え直してもいいかな?」


今年の4月、社長からこの異動の話を初めて聞かされた。昔の自分なら、きっとその場でオファーを受け入れるだろう。もし、自分はまだ結婚していたら、真琴と未希をこのまま東京に残し、単身赴任を迷わず選ぶだろう。


でも、離婚後の慎也の考えはすっかり変わった。彼にとって、仕事でどんなに成功しても、家族を見捨ててまで得られた成功は虚しさそのものだった。あんな苦い思いを味わって来たから、せっかく未希と真琴の関係はすこしづつ改善してきたのに、今異動したらさらに忙しくなり、本末転倒の結果になるだろう。


今になって、慎也の気持ちは前より強かった。やっぱり真琴の心を取り戻したいなら、彼女にもっと近くに行ったらいい。今は大阪へ行って場合じゃないよ、慎也はそう思った。


「社長、またこのオファーをしてくれて、ありがとうございます。残念ですが、この話を引き受けることはできません」

「理由を聞かせてくれる?」

「前と同じです。家族ともっと一緒にいたいと思います」

「しかし、大阪からでも家族と会えるでしょう?」

「確かにそうですけど、でも東京から静岡までの方は近いです。それに、大阪へ行ったら、今より忙しくなると思います。そうなったら、家族と頻繁に会えなくなります」

「でも、せっかくシニア・パートナーになれるし、企業法務部のトップにもなれるでしょう?」

「昔の私なら、それらのことは一番重要だと思いますが、今は家族が一番です。なので、すみませんでした」

「そうか、やっぱり窪田くんはすっかり変わったなあ」

「やるべき仕事は今まで通りにやりますが、やっぱり家族の大切さを気づきました。今更だけど、やっぱり家族を取り戻したいと思います」

「仕方ないですね。では、あなたの健闘を祈ります」

「ありがとうございます」


社長との面会が終わったら、慎也は自分の部屋に戻った。さっき断って来た大仕事の話より、慎也は気になったのが真琴の返事だった。未希はちゃんと彼女を説得できるかをすごく心配したので、慎也は恐れながら携帯のメールをチェックした。そしたら、未希からのメールはこうだった。


「パパ、ママは旅行OKだって!じゃ、弟と妹の方、よろしくね~」


これを見た慎也はすぐにガッツポーズをした。あまりにも大声を出したので、外にいる秘書はすぐ慎也の部屋へ視線を向けた。彼は慌てて表情を変えて、自分の興奮を必死に抑えていた。


3日後の旅行をすごく楽しみだね。


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