第37話  足並みが揃わない二人

2018年12月24日・東京


晴夏は慎也からの電話を切って、携帯をそのままテーブルの上に置いた。目の前にいる男に申し訳ないそうな表情を見せた。恋人にとってすごく重要なクリスマスイブに、晴夏は恋人でもない牧野先輩と会うことになった。長年の付き合いがあって、お互いの呼び方は徐々に変わってきて、今は下の名前で呼び合うようになった。


「すみません、せっかく一緒にご飯を食べているのに、また電話が入って来ちゃった。」

「別に気にしてないから、俺もさっき電話を出たし。クリスマスイブなのに、お互い忙しいだな。」

「まあ、匠さんの場合は売れっ子ディレクターだから、仕事関連の電話は絶えないのは当然だけど。こっちの場合はある夫さんが離婚した妻を探しに来るですけど。」

「離婚って、もしかして真琴さんのこと?」

「ええ、ようやく離婚届を出した。」

「じゃ、旦那さんは今彼女を探しているってことか?」

「マコは別に隠れていないし、今実家にいるだから。でも、慎也さんはマコが本気だったことを予想しなかったかもね。」

「まあ、堪忍袋の緒が切れるってことかな?それに、晴夏だってそうじゃない。」

「ええ、あと数日で事務所から離れることになるので。これから、無職になりますけど、ハハハ。」

「別に無職じゃないだろう?物書きの仕事たくさん入ってたでしょう?それに、静岡での店も準備整えたじゃない?」

「まあ、春からオープンする予定です。時間があったら、ぜひ遊びに来てください。」

「で、桧垣は君の計画を知らないか?」

「彼に説明責任なんかありませんので。」

「でも、まだ正式に別れてないだろう?」

「私から何度も言ったけど、彼はまるで慎也さんみたいに、見て見ぬふりして、私は冗談を言っているように考えている。彼と別々で生活してからもう半年になったし、彼のマネージャーの仕事も後継者に引き渡したから。」

「桧垣はどう反応してくれるだろう?君たちの付き合いは長いし、こうなってちょっと残念だな。」

「私が居なくても、彼はちゃんと生きられるですから。彼の周りには、女がいくらでもあるので、全然困らないし。」

「やっぱり、彼と別れたい理由はあの女優さんとの関係だったの?」

「それだけじゃない、ただ18年間この男と一緒にいて、いつしか私たちが向いている方向と足並みがずれていた。これは世間がいわゆるすれ違いってことかな?」

「確かに難しいよな、長年の関係をどう維持するかってやつ。」

「匠さんの経験談ですね~」

「まあ、あなたたちと比べたら、こっちは全然大したことじゃないけど。」


大学を卒業して、牧野先輩は自分の専攻を生かし、ある外資系の金融投資会社に就職した。一方、彼の彼女である桑原先輩はデビューを果たし、すぐに人気のあるモデル・女優になった。二人の関係は卒業後の1年ぐらい続いたが、多忙で会えなくなり、結果的に別れることになった。


牧野先輩は投資会社で5年ほど在籍し、学生ローンを返済できて、そしてある程度金銭的に余裕ができてから、自分の夢を追いかけることを決めた。最初は知り合いの劇団で脚本家として経験を積んできて、それから自分の制作会社を立ち上げ、クリエイティブ・コンテンツの企画と製作をし始めた。5年ほど前に、牧野先輩の短編映画が映画祭で受賞し、それ以来売れっ子ディレクターとして活躍してきた。


桑原先輩は陸翔と同じ事務所に所属していて、10年前に芸能関係者ではない夫と結婚し、今は2人の子供を育てながら女優として働き続けた。二人が別れた以来、牧野先輩は3人と付き合っていたが、どの関係も長く続かなかった。その反面、大学の演劇部で知り合った晴夏とは未だに連絡を取り合っていて、すっかり気が合う友達になり、何でも話し合える関係を築いた。


晴夏はもうすぐ実家へ帰ることを知り、牧野先輩は餞別を兼ねて一緒にクリスマスイブを過ごさないかと誘った。特に用事がない晴夏はその提案を受け入れて、そしてわざと恋人同士に相応しいロマンティックなレストランを予約した。


「しかし、こんな場所を選択したとはね…」

「居心地が悪いなの?私と一緒にここへ来て?」

「そうじゃないけど、でもこの周りを見ろよ、全部カップルだろう?」

「一度でいいから、こういうことを味わいたいなの。だって、陸翔と付き合ってたこの18年間、一緒に外で食事をすることは滅多にないから。まして、クリスマスイブに恋人らしいことをするなんて、尚更あり得ないでしょう。だから、こういうことを一度でいいから、体験したかった。で、丁度匠さんからの誘いがあって、一緒に体験してくれる人を見つかったってこと。」

「俺はいいけど、あなたさえが良ければ。」

「ありがとうございます。しかし、これはいいよね。周りの目を気にせず、堂々と外で食事をして、他愛のないことを話して、美味しいワインと料理を堪能すること。静岡へ帰る前にこれを体験できて、本当に良かった。」


グラスにある白ワインを飲み干した晴夏の顔は一段と赤くになった。牧野先輩はこういう彼女を見て、何だか可愛いと思った。


「匠さんはなぜこの日にデートしないですかね?」

「相手がいないから?」

「モテるのに?」

「モテるという自覚はないだけど。」

「ガードは固いですね。あなたのことを好きの子は沢山いるのに。」

「そういうつもりじゃないけど、でも近年はそういうことが俺から遠ざかっていたかもな。」

「匠さんの基準は高すぎるでしょう?」

「そうじゃないけど、でもなんかどうしてもうまく行かなかった。話が合わなくてとか、いろいろあって。」

「もし美鈴さんみたいの人を探すつもりなら…」

「俺たちは遠い昔に終わった。それに、その以降の彼女は美鈴とは全然違うタイプだ。」

「だよね、まだ引きずっているわけじゃないでしょう…」

「あなたは大丈夫なの?桧垣と別れて?」

「痛いだけどね、心にはまだ気持ちが残っていてからさ。でも、私はもう耐えられないの。」

「いろいろ大変だな。」

「人生の半分以上、あの男のために尽くしたから。もういいでしょう。これから、自分のために生きたい。」

「うん、自分のために生きなさい。乾杯!」


だいぶ飲んできた二人は店を出た時、ちょっとほろ酔いの状態になった。牧野先輩は晴夏をタクシーで家まで送ろうとした時、晴夏のマンションの前で待っていた陸翔と会った。明らかに機嫌が悪い陸翔は晴夏を支えようとしたが、彼女は彼の手を突き放した。しかし、陸翔は諦めずに、晴夏の彼氏としての自負があるように、彼女の肩を回し自分の方へ引き寄せた。


「牧野先輩、送ってくれてありがとうございます。これから、俺は晴夏を家まで送りますので、失礼します。」

「桧垣。」

「はい?」

「晴夏のことをもっと大事にして。」

「それどういう意味ですか?」

「そのままの意味です。では、おやすみなさい。」


よりによって、牧野先輩にこんなことを言われて、陸翔は不愉快としか感じてなかった。学生時代からずっと牧野先輩のことを警戒していたので、彼が晴夏と一緒にいたところを見る度に必ず機嫌は損ねた。しかも、クリスマスイブという日に、二人きりでほろ酔いまで飲んでいたなんて、どうしても許さなかった。いつもの晴夏なら人前であまりお酒を飲まないだけど、牧野先輩の前に無防備すぎる姿を晒されるなんて、陸翔の怒りはさらに高くなった。


せっかくのクリスマスイブなのに、晴夏と久しぶり一緒に過ごしたいと思ってたのに、まさか彼女は他の男と一緒に過ごしたとは知らなかった。しかし、今もしまた晴夏と喧嘩したら、クリスマスもまた台無しにするだろう。


晴夏を支え家まで送った後、陸翔はキッチンから水を取って晴夏に渡した。一気にその水を飲み干した晴夏は、少し目を覚めたように気がした。


「さっきはどこへ行ってた?」

「ご飯を食べた。」

「どうしてそんなに飲んだの?」

「飲みたい気分だから。」

「何で牧野先輩と一緒?」

「さっきから何を聞きたいの?はっきり言えば?」

「何であなたはクリスマスイブに牧野先輩とここまで飲んでいた?」

「それって、どういう立場で聞くの?私たちはもう終わったよね?」

「終わったって、いつから?」

「私は何度も言ったでしょう?もうあんたと別れるって?」

「もう何度もこういうことを言うなよ。喧嘩しただけで何度も言ったら…」

「いつでも本気だけど、あなたはいつも茶化してるだけでしょう?」

「晴夏…分かっているから、もう怒らないで。」

「リク、私はもう無理。」

「何を?」

「あなたと一緒にいられない。私がいなくても、あなたはちゃんと生きられるから。」

「晴夏が俺の傍にいてくれるから、ここまで頑張ってきたのに。」

「もうそうじゃないよ。あなたはもう一人で大丈夫。」

「もしあの件でまだ引きずっていたら…」

「それだけじゃない、いろいろありすぎて。私たちは目指している方向も違うし、足並みも揃ってないから、これ以上一緒にいたら辛くなる。死にそうぐらい辛いだから。」


悲しそうな顔をした晴夏を見て、陸翔は答えを見つからなかった。



2007年10月・東京


真琴と慎也の結婚式が無事に終わって、晴夏はようやく自分の日常に戻れることになった。出版社に就職してからもう3年が経って、今までは編集部の助手として作家の仕事をサポートしてきたが、今年に入りようやく自分が一人前の編集者として作家たちと仕事をした。やっと手に入れたポジションなので、晴夏にとって自分の努力が少しづつ成果が出たと感じた。


陸翔とは依然と付き合っていたが、お互いの仕事が忙しく会える時は限られていた。しかも、人目を気にしなければいけないので、デートと言うより自宅で一緒に過ごすことしかできなかった。周りに自分には彼氏がいることを打ち明けず、心配してくれた同僚や上司からいい相手を紹介しようとしたが、晴夏はその好意にどうしたらいいのか結構悩んでいた。


大学2年生の秋、陸翔は俳優デビューを果たした。最初は舞台の仕事がメインなので、昔からのファンのおかげで、知名度がどんどん上がり、その1年後に初めてテレビに出ることになった。だけど、陸翔みたいの若手イケメン俳優は芸能界にたくさんいたので、テレビ進出できたとは言え、もらった役はそれほど重要ではないものが多かったし、役名すらないのキャラクターも結構あった。ずっと主役を演じてきた陸翔にとっては、この状態は屈辱的だった。順風満帆と思い描いていた俳優生活は思うようにうまく行かなかった。


それでも、こんな大変な状態の中、晴夏は陸翔をずっと応援してきた。心が折れそうな時、彼女は彼の好きな料理を用意し、そして言葉で彼を励まし続けた。二人の関係が公できないことにいつも後ろめたさを感じていた陸翔は、晴夏の心遣いに常に感謝していた。


二人がようやく卒業できた2004年に、陸翔のキャリアに大きな転機を迎えた。


陸翔はあるドラマの脇役をオーディションで勝ち取り、その後いきなり世間に注目されてきた。元々そんなに期待していないドラマではあったが、結果的に視聴率もいいし出演者のほとんどがこれで一気に話題の人になった。陸翔は何年も待っていてようやく手に入れた成功に、誰よりも喜んでいたのは晴夏だった。


しばらくの間、陸翔は人気者になって、仕事が以前より入ってきた。それにつれて、陸翔と晴夏は会えない日々が続いた。これからもっとうまく行けるはずなのに、思わぬことが発生してしまった。


デビュー当時から一緒に頑張ってきたマネージャーは急病で長期療養をしなければいけないことになり、陸翔にとって大事な時期に自分をサポートしてきた大事なパートナーがいなくなった。事務所から新しい専属マネージャーを配属され、陸翔とうまく行かず、そしてその新マネージャーは陸翔の売り込みより他の俳優に専念しようとした。このままだと、せっかくここまで積んできた人気と勢いがなくなるんじゃないかを心配していた陸翔は、晴夏の人生を変えてしまった提案を切り出した。


「晴夏、俺の専属マネージャーになってくれないか?」

「ええ、何でいきなり?」

「今の状況じゃ、またダメになるかもしれないだ。俺のことをよく知っている人がマネージャーになれば、きっとうまく行けるはず。」

「でも、私は芸能マネージャーの仕事を知らないし、それに私は今年ようやく編集者になったんですよ。」

「分かってるけど、今は俺にとって大事な時期だ。このまま勢いを失えば、二度とこういうチャンスが来ないだ。下積み時期のあの大変な状況に戻りたくないし。それに、この業界に入ると、やっぱり人脈作りができるし、晴夏は今後もし作家や脚本家の仕事をしようとする時、役に立つだと思う。それに、二人が一緒にいられる時間も増えて、いいことだと思わないの?」


陸翔が言ってることが分かるが、やっぱり出版社での仕事を辞めたくなかった。せっかくここまで頑張ってきたのに、すべてに棒を振るなんてできなかった。しかし、陸翔の状況の深刻さも分かっていて、彼のために何とかしたいという気持ちもあった。散々悩んだ末、晴夏は自分が好きな仕事を辞めて、陸翔の事務所に入り、彼の専属マネージャーになった。そもそもマネジメント業に経験がない人がいきなり専属マネージャーにはなれないだけど、陸翔が事務所の社長と掛け合った結果、晴夏は無事に彼のマネージャーになれた。


二人は長年の付き合いがあって、そしてお互いのことを知り尽くしたため、周りから見れば仕事上では最高のパートナーだった。しかし、あまり知られていないのは、陸翔は機嫌が悪い時や仕事のことで意見が合わない時、晴夏に八つ当たりしたことがあり、二人は人前で喧嘩することがよく目撃された。それでも、晴夏は陸翔にとってなくてはならない存在で、事務所では彼女のことを「桧垣陸翔の鎮静剤」として知られていた。二人三脚で長年一緒に頑張ってきた甲斐があって、陸翔はトップレベルの大スターになった。


晴夏の当初の考えでは、陸翔の仕事が一旦落ち着いたら、マネージャーを辞めるつもりだった。しかし、何度でもこれを切り出した時、結局陸翔にいろんな理由で引き留めた。それでも、自分の物書きの夢を諦めず、晴夏は自分の自由時間で小説を書きし始めて、いろんな文学賞に応募した。何回も試してでも全然評価されず、晴夏は自信をちょっとづつ失くしていた時、陸翔の言葉でさらに傷つけた。


「晴夏はもう諦めたらどう?何回も落ちて、さすがに才能がないって気づいたら。睡眠を犠牲するまで書き続けるより、マネージャーの仕事にもっと集中した方がいいじゃないの。」


もちろん、陸翔は悪意がないし、晴夏の夢を分かっていたけど、彼の中に知らないうちに俳優として成功したことから優越感が湧いてきた。晴夏がやっていることは時間の無駄だと思い、そしてもっとマネージャーとして頑張ってくれないと困る。でも、一番の理由は多分晴夏を自分の傍に縛って欲しいという思いだろう。彼女は何度も辞めたいと言った理由がおそらくこの夢に関係していたから。だから、早く諦めさせた方が二人にとって一番いいと思った。


しかし、この言葉を聞いた晴夏は陸翔の態度に失望した。一番自分のことを分かっているはずなのに、彼はそう簡単に夢を諦めろとか言い出して、才能がないの発言も彼女の自信を無くさせようとした。陸翔に不満を抱き始めていた晴夏は、自分の創作活動について陸翔にもう二度と言及しなくなった。その同時に、彼女はディレクターになった牧野先輩に相談し始め、自分の作品に関して意見をもらい、ネットで自分の作品を発表することになった。


陸翔と晴夏の関係が徐々に悪化する同時に、ある人のせいでそれが臨界点に達した。

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