第9話 片思いのブルース

5月のゴールデンウイーク連休後、演劇部は年に一度の制作準備合宿が行われた。


4年生にとって、これから来る夏秋公演シーズンは彼らが演劇部で最後の仕事になる。この準備合宿では、夏休み前や秋の文化祭の公演に向けて大事な作業だから、力に入れるのは当然だ。脚本の話し合いと最終確認、舞台設計、道具と衣装の手配と製作、予算案の準備、人員確保とか、決めなければいけないことが沢山ある。基本的に、ほぼすべての公園は学校のアートセンターホールでやるので、レンタル費用はある程度抑えられるが、他のことで使える予算は前の公演の収益によって決められる。だから、これからの公演が赤字になれば、来年の予算は厳しくなるので、4年生の先輩たちはそれだけを避けたいだ。もちろん、校外の公演オファーは時々あるが、それは学校内でやる公演より費用がかかるので、収益のバランスがさら難しいだ。


今年は丁度学校の行事で休校日はたまたま金曜日になっていたので、例年の一泊二日から二泊三日に延長した。だが、それぞれの都合により、全部員で行けないから、各チームからの幹部とメンバー数名で参加しに行くため、最終の参加人数は20人になった。


合宿所が南房総白浜にある2階建ての貸し切り別荘だった。そこは新築でかなりモダンな感じ、庭には屋根付きのBBQデッキもあった。しかも目の前に公園と海が広がり、海水浴場も歩いて5分程度だから、まさに抜群なロケーションだった。ここを選んだのは確かに牧野部長だそうで、彼の友人の紹介で割引までしてもらった。


演劇部のメンバーはそれぞれ車で現地集合になっていたので、牧野部長は晴夏に迎えに行くと誘った。住んでいるところはかなり近いので、晴夏は喜んでその提案を受けた。当日の朝、駅前に待ち合わせするところで思わぬ人物がそこにいた。まさか、桧垣と同じ車で2時間も一緒にいるなんて、最悪だったな。桧垣は晴夏のことを気づき、軽く挨拶をした。


「おはよう。」

「おはよう。部長の車に同乗するの?」

「当たり前だろう。だってここで部長を待っているだし。」

「いつからここに?」

「5分前。」

「ええ、意外と早めに来たんだ。いつも稽古の時はぎりぎり間に合うのに?」

「それ嫌味?俺に文句でもあるの?」

「別に、ただ思ったことを言っただけです。」

「俺に何か気に入らないの?何かいつもそんな態度で?」

「いいえ、気のせいではないかね。」


桧垣が反論しようとしたところ、部長の車が二人の前に来て、助手席にすでに桑原先輩が乗っていた。桧垣と晴夏すぐに後部座席に乗り込み、先輩たちに挨拶した。


合宿所までの2時間は晴夏にとってかなりしんどかった。となりに座る桧垣とは雑談するような相手じゃないし、目の前にいる牧野部長と桑原先輩はまるで自分のラブラブ世界にいるように、邪魔してはいけないと思った。仕方なく、晴夏は外の景色を見ながらぼっとしていた。だけど、晴夏が知らない間に、桧垣は彼女のことをずっと意識し観察していた。


桧垣にとって晴夏は不思議な存在だった。彼は常に女子の注目を集めていたので、いわゆるどんな女でも必ず彼にメロメロと言っても過言ではなかった。だけど、晴夏は最初からあまり自分にいい顔を見せないし、話している時も嫌味たっぷりだった。一体自分が彼女に何かをしたかって、どう考えても答えが出なかった。でも、この前の公演で晴夏が書いたシーンを演じた時、桧垣は晴夏の才能に感心した。彼女のセリフが最初はあまりいいと思えなかったけど、結果的に彼女が修正したところは自分が提案したものより優れた。それ以来、桧垣の目は思わず晴夏に追っていた。


一方の晴夏は、牧野部長に対して淡い恋心が持っていた。もちろん彼と桑原先輩の仲を壊すつもりはないが、もっと正確に言うと壊せないだけど、どうしても牧野部長の姿を目で追っていた。自分が彼に対する気持ちは異性に対する恋愛感情か、それともただの彼の才能に憧れが持っていたなのか、晴夏自身もよくわからなかった。


自分の家庭環境のせいかもしれないが、晴夏は恋愛と結婚に対して消極的な考えを持っていた。あんなに愛し合っていた両親は結婚してから関係が壊れていく過程を見ていたから、愛なんて保証がないし、一生のうち一人のことを思い続けることは到底不可能じゃないかって。だから、高校時代に何人かに告白されても全員を振った。


晴夏は昔真琴にこういうことを言った。


「私は多分一生誰かを愛せないかも。人を愛する能力は生まれつきかもしれないが、私には備えていない。常に終わりを想定していたから、恋愛してもきっとダメになる。」


だから、牧野部長と両想いになるより、晴夏が願っていたのは彼と桑原先輩が結ばれることかな。だって、あんなにお互いのことが好きで、同じ夢を見て、そして同じ未来へ向かって努力している二人がきっといい結末が迎えるだろう。だから、自分が応援しなきゃ、後ろからサポートしなきゃ、そして二人の邪魔をしないことを決めていた。


そうは決めたとしても、晴夏は幸せそうな二人を見ている度に、心のどこかでチクチクと痛んでいた。目の前にいる二人が親密な行動をする時、涙が出たくなるけど必死にこらえた。


晴夏の表情を見ているうちに、桧垣があることを気づいた。


晴夏の視線の先には常に牧野部長がいた。そして、この片思いは報われないとしても、彼女は彼を思い続けることだ。


自分でも分からないけど、桧垣は晴夏の秘密を見抜いた時、何だが切なく感じていた。


彼女のことが可哀想だなと思っていた同時に、自分まで悲しくなったのはいったいなぜだろう。

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