七
悪夢のような合コンから二日後の月曜日。午前十時すぎの大学構内に、秋比古の姿があった。しかしその足取りは普段よりも明らかに重く、表情も冴えない。
それもそのはず、秋比古が雰囲気をぶち壊した合コンの参加者の多くは、このキャンパスに通う学生である。真面目に講義を受けに来る者は少ないものの、キャンパス内を堂々と歩いていれば、彼らと遭遇する確率は当然高くなるのだ。
加えて、大事な友人である田柱の主催する会を台無しにしたのだから、平然としていられないのも当然だった。合コンの後、すぐにチャットアプリを介してお互いに謝罪しているが、それで秋比古の自責の念が解消されるということは無い。
「はあ、どうしよう。思い切って休学でもしようかな」
休学すれば、当然のことながら秋比古の存在を知る人数は減る。親友の田柱、村林とだけ連絡を取り合えば、ブランクは生じるものの平穏な学生生活を取り戻すことが可能だ。
当然、休学をすれば奨学金の貸与も停止する上、余計な出費が発生する。また、この就職氷河期に於いては、理由なく休学をしたという事実が足枷となってしまう。
負の思考のループに苛まれながら、秋比古は学生掲示板のある廊下へと辿り着いた。ここは休講の連絡などが掲示されるため、人だかりが出来やすくはあるものの、学生であれば避けて通れない場所である。
特に秋比古のような、友人の少ない人間にとっては学内の情報を得られる、まさに重要拠点とも言えよう。
「アイツらはいない、な。よし」
四名の女子学生が
しかし掲示物を物色する最中、秋比古の耳に女子たちの噂話が届いた。
「ねえ、聞いた? 御堂さんの話」
「聞いた聞いた! 前からヤバい子だと思ってたけど、やっぱアレかな。事件なのかな」
「……?」
御堂という名前に反応した秋比古は、そのまま視線を掲示板へと向けたまま、彼女たちの話に意識を集中させる。
一方の女子たちは秋比古の存在など気にする素振りも見せず、井戸端会議を続ける。
「そりゃそうでしょ。御堂さん超ビッチだし、裏では援交とかしてたんだよ、絶対。私さ、いつかこうなるって思ってたんだ」
「だよね。でもさあ、まさか失踪するとは思わなかったな。元カレに刺された、とかなら分かるんだけどさ」
「失踪……」
秋比古の呟きを掻き消すように、一人の女子が大きな声で笑う。
「あはは、それだと何人に刺されるんだろうね。跡形も残らないんじゃない?」
「言えてる。まあ結局、自業自得なんだよ。やりたい放題やってたんだしさ」
「そうだね。あ、そろそろ時間だ。講義室に行かないと」
「ヤバっ、マジじゃん! 急ごう!」
そこまで話し終えたところで、女子たちは移動を開始した。まだ御堂に対する悪口は尽きていないようだが、彼女たちの話はワイドショーも驚きの急激な転換を見せ、階段を上るころには好きな俳優の話題へと切り替わっていた。
ひとり掲示板の前に取り残された秋比古は、彼女たちの遠くなっていく話し声に未だ耳を傾けつつ、震える手でスマートフォンをポケットから取り出す。彼もすぐこの後に講義を控えていたが、彼の意識はすでに御堂の失踪の件にしか向いていなかった。
なにしろ、彼女とはつい一昨日の夜に会っているのだから。
「御堂が失踪、って……まさか、な」
顔から血の気が失せていく中、秋比古はチャットアプリで田柱へ真偽の確認を行なう。合コンを台無しにして気まずいはずだが、その感情すらも彼の記憶からは消え去っていた。
「有り得ないと思うけど……お、早い」
待ち構えていたのか疑うレベルで田柱の返信は早かったが、その内容に秋比古は愕然とする。
「『俺も聞いたばっかなんだけど、マジみたいだぞ。合コンの日から家に帰ってないみたいで、失踪届が出されてるらしい』……あの噂、本当だったのか」
軽く天を仰ぎ、すぐさま返信を打ち始める。だが、文字を打つ彼の手はすぐに止まり、代わりにチャットアプリの通話機能ボタンをタップした。
「喋った方が早いな。……ああ、悪いな田柱。急に電話して」
「いや、俺も電話の方が良いって思ってたところだよ。で、アキは誰からその話を聞いたんだ?」
「ついさっきだよ。同級生っぽい女子が御堂のことを噂しててさ」
「うげ。さすが、女子の噂ってのは怖えな。俺なんか今朝聞いた話なのによ」
「まあ、それはともかく。もしかして俺たち、警察から何か聞かれるのかな。失踪届が出されたんだし、御堂の足跡を辿ったら絶対に……」
「ああ、多分そうなるだろ。別に悪いことした訳じゃねえけど、なんか嫌な感じだよな」
「そうだな……」
そう言って互いに溜息を吐いた後、秋比古は急に声のトーンを落として言う。
「あのさ、これから会えないか? 別にアリバイ作りとかじゃないけど、情報は一致してた方が良いと思うし、こんなところで話せないし。それに俺たち、あんまりアドリブ効かないし」
「一緒にすんじゃねぇよ! でもアキの言うとおり、打ち合わせはしといた方が良いかもな。場所はどうする?」
「駅前のマクバは……ちょっと近すぎるか。そうだな、ムーンバックスはどうだ?」
「モールの中のカフェな、オッケー。でも昼までちょっと用事があるから、悪いけど十四時くらいでいいか?」
「おう、大丈夫だ。それじゃあ、着いたらチャット送るわ」
「オッケー」
そのまま電話を切った秋比古は、スマートフォンの画面に視線を落とす。時刻はすでに午前十一時を過ぎており、二限目の講義には到底間に合わない。ただ彼の表情に後悔の色は全く無く、むしろ先ほどよりも活気づいたように、足取り軽く掲示板を後にした。
赤虹 小欅 サムエ @kokeyaki-samue
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