二
彼が同性愛者であると自覚したのは、中学二年の頃であった。一緒に遊ぶ男友達に対し、友情とは異なる不可思議な感情を抱いた秋比古は、誰にも相談することなく、
「俺、お前のことが好きみたいなんだ」
だが、秋比古の想いは実らなかった。彼の突然の告白に、男友達は顔を引き
「気持ち悪い」
そして、かつて友人だった彼は、それ以上何も言うことなく逃げるように去って行った。
置き去りにされた秋比古は、好きな人から明確に拒絶されたことへの理解が出来ず、呆然とその場に立ち尽くした。彼の顔色は、まさにこの世の終わりが訪れたかの如く、顔面蒼白だったという。
しかし、彼の地獄はそこから始まった。
中学という狭く未熟な社会において、告白とは特別なイベントである。それ故に秋比古の噂は、その日のうちに学年中に広まった。
そして、現実を受け止められないまま教室へ戻った秋比古に、クラスメートたちは口々に言った。
「アイツの近くにいると好かれるぞ、逃げろ」
「喋ったらゲイ菌が移るぞ」
「キモい」
その日以来、秋比古は毎日のように暴言を浴びせられるようになり、学校内での居場所を無くした。それでも彼は不登校となることなく、勇気を振り絞って学校に通い続けた。
秋比古にとって男友達への恋愛感情は本物で、他人に何を言われても変えようのない事実だったからである。
だが不幸なことに、彼の噂は学校内に留まらず、町全体へと浸透してしまう。
それというのも、彼の産まれた地は地方の中でも田舎と呼ばれる町で、学内で起きた些細な出来事さえも町中の人間に共有されるほど狭いコミュニティであった。加えて、高齢者が多いこの町では、セクシャルマイノリティに対する理解は皆無に等しい。
そのため、学校内だけでなく町の中でさえも、彼は奇異の目に曝されることとなったのである。
直接彼に暴言を浴びせたり、暴力を振るったりするような人間は少なかった。しかし、
「親の育て方が悪かったんでしょう」
「病気なんじゃないかしら」
「気持ち悪いわね」
こうして秋比古は、友人にたった一言、自らの想いを打ち明けただけで村八分にされたのだ。
また、当然ながら彼の家族も大きな被害を受けた。両親、それに当時小学校高学年であった妹も揃って誹謗中傷の的となり、末野一家にとって苦悩の日々が続いた。
そんな中、とうとう痛ましい事件が起きてしまう。
秋比古の妹、末野
遺書は残っていなかったが、現場には争ったような形跡もなく、また彼女自身も学校で虐めを受けていたという証言もあり、警察は彼女の死を自殺として処理した。もちろん、町の教育委員会にも報告が及び、彼女の通っていた小学校はその後始末に追われることとなった。
結果的にこの事件が、末野家と町の間に生じていた溝を、何者にも埋められぬほど深く変えた。そして程なくして、彼らは陽菜の遺骨を持って町を出た。
その後、両親は離婚し、秋比古は母親の元で暮らすこととなった。幸いにも母親の実家は金銭的な余裕のある家庭だったため、どうにか大学に通うことができ、現在は奨学金とバイト代を得ながら大学付近のアパートで一人暮らしをしている。
心に大きな傷を抱えた秋比古は、町を離れて以降も他人との交流を避け続けた。そのため、彼には高校を経ても友達と呼べる人間が一人もいなかった。
大学に入学してからも、彼のスタンスは変わらなかった。たとえ話しかけられても必要最低限の返答に止め、サークル等にも入らず、世間一般で言うキャンパスライフとは正反対の生活を送っていた。
そんな日々も、唐突に終わりを迎える。二年のある春の日、秋比古はいつものように聴講を終え、バイト先へ向かおうと講義室を出た。するとその時、入れ違えるようにして部屋に足を踏み入れた田柱から、不意に訊ねられた。
「えっと、確か末野くんだっけ?」
「ええ、そうですけど。何か用?」
「良かった。俺は田柱っていうんだけど、経済史の講義ってさ、ここで良かったよな?」
「は?」
田柱の質問に、秋比古は目を丸くした。何故ならば、先ほど彼が受けていたのが、経済史の講義だったためである。
その真実も知らず、屈託のない笑顔を浮かべる田柱に対し、秋比古は素直に返す。
「残念だけど、さっき終わったよ」
「うっそ! なんで⁉」
「いや、調べたら分かると思うんだけど……まあ、そういう訳だから」
そう言って、唖然とする田柱を置いて秋比古は廊下に出る。だが、そこで田柱は秋比古に驚くべき提案を持ち掛けた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。あのさ、講義資料見せてくれない?」
「は? 悪いけど、今ちょっと急いでるから無理だ」
「いやいや、今じゃなくて良いよ。末野くんって明日の
「ええ……?」
初対面で、しかも愛想のない秋比古が相手であるにも
秋比古は小さく溜息を
「分かった。じゃあ明日渡すから、それでいいな?」
「マジで? ありがとう!」
「ただし、明日来なかったら資料は渡さないからな。絶対に、時間通りに来いよ?」
「おう、当たり前だ! 約束だぞ!」
「はあ……」
こうして、ほぼ初対面だったはずの二人は出会った。それからも、このように田柱は秋比古に対し気さくに声を掛け続け、一方の秋比古もそれに少しずつ応じるようになった。そして田柱と仲の良かった村林も加わり、三人はいつの間にか友人と呼べる間柄となった。
それ故に、秋比古は彼ら二人をとても大切にしている。かつての友人に抱いた強い感情とは異なるが、それでも関係を保ち続けたい相手であると認識しているのだ。
なお、余談であるが田柱は約束の日にも遅刻し、秋比古から大目玉を食らった。それでもめげず、彼は必死に食い下がって、どうにか資料を手にすることが出来たという。
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