第5話 旅立ち
わたしが新たに生まれなおして、3年の年月がたった。
一応この昼も夜もない世界にも年月の定義はあるようで、ステータスの年齢が3歳になったのだ。
おそらく元の世界の時間定義がこの世界にも適応されているのではないかと考えている。
3年の間にわたしも魔素の扱いに習熟し、今ではソルやステラよりも引き起こす事象の規模だけなら勝ってしまえるほどだ。
それと、世界の中心であるこの地の事を揺籃の地と名付けた。
いずれわたしはこの地を旅立たなければならない。その思いがあったからだ。
わたしが生まれて、この世界にも変化があった。
ソルとステラとソフィアとわたし。それ以外には土と水と霧しかなかったこの世界に、草が生えた。
今ではあちこちに草が生い茂り、季節ごとに色彩豊かな光る花が咲き、以前の殺風景な様子はどこにもない。
そして耳をすませば、きゃーきゃー、わーわーと楽し気な声が聞こえてくる。
妖精と、天使たちだ。
いつの間にか生まれ、増えていた命たち。
妖精は精霊の幼体みたいなもので、成長すると精霊になる個体も出てくるとソルが言っていた。
天使も小さな羽の生えた幼児みたいなもので、成長すればよい戦士となりますとはステラの言である。
さらに世界を覆う霧の壁はいつの間にかずいぶん遠くに行ってしまった。つまり、世界が広がったのだ。
なんとなくだが、分かってしまう。これらの変化は世界の外からもたらされたのだと。
今も霧の向こう側から魔素が流入してきている。
だが、世界に命が満ちるためには魔素だけでは足りないのだ。
足りないそれが何かというのははっきりは分からないものの、それは霧の向こう側にあることだけは分かる。
だから、わたしが旅立つのはあの霧の向こう側に他ならない。
「ルーナ!」
はるか遠くの霧の壁を眺めていると、背中からソルが抱き着いてくる。
「ソル?」
「えへへー」
笑いながら、ソルはわたしの前へと浮かびながら位置を変える。
そんな彼女を、わたしは抱き上げながらほほを寄せた。
「どうしたの?」
「ん-。ルーナが寂しそうだったから!」
寂しい、といえばその通りなのだろう。
この世界に落ちてきてから私が生まれるまでの間に、ソフィアが巨木となるほどの年月が過ぎた。
もはや元の世界の家族との再会は絶望的だ。
そして、わたしは旅立たなければいけない。
この世界でできた新しい家族――ソルとステラ、ソフィアからも離れて。
「ありがとう」
「ん-」
ほほをすり合わせて甘えるソルをぎゅっと抱きしめる。
「ステラは?」
「あっちで特訓だって」
ソルの指さす先に歩いていく。もちろんソルを横抱きにしたままだ。
そしてわたしの視界に入った光景はちょっとだけ物騒で、とても楽しげなものだった。
「えーい!」
「やあー!」
掛け声を上げて、小さな天使たちがステラに向けてそれぞれの属性に基づく現象をボール状にした攻撃を放つ。
どうも妖精や天使は基本的に属性は1つ、多くて2つしか持たないらしい。
わたし? 星属性なんていう意味わからん属性ですが何か。でもとりあえずたいていの属性は使えるから不便はない。
一方、7属性持ちのステラはそれぞれの攻撃を相殺しながら、バレーボールほどの水球を軽く投げている。
天使たちは攻撃に手いっぱいのようで、避けることもできず簡単に水球をぶつけられては、きゃー! と楽しげにはしゃいでいる。
「はーい、終了でーす!」
こちらに気づいたステラが号令をかけ、特訓を終わらせる。
テンションが高いまま追いかけっこを始める天使たちをしり目に、ステラがこちらに歩いてきた。
「今日のソルは甘えん坊ですね」
「違うよー。ルーナが寂しん坊だから甘えさせてあげてるの!」
「そうなんですか?」
微笑みながら問いかけるステラに小さくうなずくと、ステラはソルごとこちらを抱きしめてきた。
「それでは、もう?」
「うん」
それだけで伝わる。
そもそも外を目指すのは前々から伝えていたのだ。
それが今になったのは、踏ん切りをつけられなかった自分のせいに他ならない。
「寂しかったら帰ってきてね」
「いつまでも待っていますからね」
ソルに頭を撫でられ、ステラに抱きしめられたまま。
いつまでもこの3人でいられたら、なんてことを考える。
もっとも、それは叶わない。
外に出られるのはわたしだけだし、外に出なければならないとずっと感じてもいる。
「じゃあ、行ってきます」
「「行ってらっしゃい」」
ソルを下ろし、体から力を抜く。
外に出るために霧の壁を物理的に超える必要はない。
意識を拡散させ、世界の外へと伸ばしていく。
広がったわたしが世界を俯瞰し、世界を満たし、そして世界の外へと意識を向ける。
瞬間――――世界が切り替わった。
暗い、暗い岩肌に囲まれた広い空間。
洞窟の行き止まりのような場所に、わたしは立っていた。
光のない暗闇が見通せてしまえるのは吸血鬼としての特性か。
ふと意識を向けるとステータス画面が自動的に開く。
世界の外に出たからか、吸血と吸精がアンロックされていた。
その詳細は以下の通り。
吸血……血を介して生命力、魂を吸収する
吸精……触れた対象から生命力を吸収する
元の世界でロックされていたのは、他者を傷つけないためだろうか。
手のひらに血液を生み出し、足に纏わせる。
瞬く間に血液が赤い編み靴を覆うように広がり、頑丈な真紅のブーツへと変化した。
広間の唯一の出口となっている洞窟を歩く。
歩けば歩くほど、少しずつ光の気配というべきものが満ちてくる。
別に太陽光に当たったからといって問題はない。少なくとも害がある感覚はない。
なんというか、闇の中のほうが調子はいい感じはするが、それだけだ。
そして、出口にたどり着いた。
まぶしい光に目を細めながら踏み出す。
そこに広がるのはまさしく絶景だった。
眼下に広がるのは樹海というべき森林地帯。
そして森を囲むようにいくつもの山々が雲を貫いてそびえたっている。
風は轟轟と音を立てて吹きすさび、時折眼下の森から動物の遠吠えのような声が聞こえてくる。
ああ、ここは確かに――――
「――――命に、満ちている」
生命が、魂が、あふれるほどに存在する世界。
今、わたしはその世界へと一歩踏み出した。
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