燦爛に

有理

燦爛に


「燦爛に」 (さんらん に)


普通になりたい。絶対になれないけれど、そうなりたい


潮見由実(しおみ ゆみ)

花咲 紫 (はなさき ゆかり)


※同性愛描写があります。苦手な方はご注意下さい




由実N「私を絡め取ったこの蜘蛛の巣。気持ちが悪くて心地良いこの人を、私は枷のない左手で引っ叩いた。」


紫N「私を打った彼女の白い手は、あたたかくて愛おしい。揺れる焔が激しくて燃やし尽くしてくれそうで」


由実「紫、」


由実「…っ、好きだよ。」


紫N「ああ。美しい積木崩し」


…………………………………


由実「紫。」

紫「いらっしゃい。」


由実N「生活感のない玄関。飾られた花。随分と綺麗な牢獄だこと。」


紫「外暑かった?」

由実「まあ、もう夏だからね。でもこのマンションエントランスから空調きいてて凄いね。廊下まで涼しいし。」

紫「ね。地下、プールがあるよ。夜行く?」

由実「水着とか持ってきてないよ。」

紫「私の着ればいいでしょ。」

由実「サイズ。」

紫「大丈夫。ビキニ以外も持ってるから。」

由実「胸の心配してないから!身長全然ちがうじゃん。丈よ!」

紫「ふふ。まあ、気が向いたら。」

由実「向かない。」


紫N「頭一個分、由実と私の身長差は高校から変わらない。外で会う時は高いヒールを履いてくる彼女。靴を脱いだ由実はほんの少しだけ幼稚であどけなく見える。」


由実「…本当に帰ってこないの?」

紫「慶一郎さん?」

由実「うん。」

紫「そう。今日出張なの。」

由実「…珍しい。」

紫「うん。結婚して初めてよ。」

由実「だから呼んだわけね。」

紫「だって。こんな日じゃないと来ないでしょ?それに」


紫「ひとりぼっちの夜なんて、どうやって過ごしたらいいか忘れちゃったんだもん。」


由実「普通にご飯食べてお風呂入って本でも読んで寝ればいいのに。」

紫「由実はいつもそうしてるの?」

由実「まあ、本は読まないけど。」

紫「何してるの?」

由実「えー。ドラマ見たり?」

紫「テレビドラマ?」

由実「うん。映画見たり。」

紫「映画かあ。」

由実「紫いつも何してるの?」

紫「ご飯食べてお風呂に入って、」

由実「うん。」

紫「…何、してるんだろ。」

由実「え?」

紫「ボーッとしてたら寝る時間になってる。」

由実「何それ?」

紫「なんだろうね」

由実「はは。」

紫「今日、夜ご飯は慶一郎さんが準備してくれてるから。」

由実「用意周到。気遣わなくてよかったのに。簡単な料理くらいなら作れるし。」

紫「そう言ったんだけど、せっかくだからって。手配してくれたよ。」

由実「じゃあお言葉に甘えて。」

紫「ね?由実の見てるドラマってどれ?」


由実N「馬鹿でかい壁掛けテレビはアクアリウムが流されている。モデルルームみたいなこの部屋は酷く気持ち悪い。」


紫「由実、コーヒーでいい?」

由実「うん。」

紫「ここ、座って?」

由実「うん。」

紫「…部屋変?」

由実「いや。綺麗にしてるなーって。」

紫「ハウスキーパーの人がね。」

由実「相変わらずの過保護。」

紫「本当。」

由実「今日はいないんだし、お菓子でも作ってみる?」

紫「え?作ろう!」

由実「あ、でも火傷とかさせたら怒られそうだしな」

紫「しないから。」

由実「嘘。怒られたところでよ。紫の不注意ですって言うわ。」

紫「ふふ。そうね。」

由実「ねえ、これなに?コーヒー豆からひくの?」


紫N「由実がいるだけでいつもより部屋の温度が暖かい気がする。ゴリゴリ音のするミルを横目で見ながらリビングに飾ってある花を手で撫でる彼女は、今日もどこか怒っている。」


由実「今日私が来れなかったら何するつもりだったの?」

紫「来たじゃない。」

由実「この平日に来てあげてる私に感謝してよね。会社員の水曜日なんて仕事真っ盛りなんだから。」

紫「ありがとう。」

由実「ねえ、何するつもりだったの?」

紫「うーん。お友達って言ってもなあ。流石に慶一郎さんいない時に男の子家に招くのも気がひけるし、」

由実「…」

紫「夜ご飯お友達と食べて、おうちに帰って本でも読んでたのかな。」

由実「男の子って?」

紫「ほらこの前話したお友達よ。」

由実「恍惚の?」

紫「そう!由実読んでくれたの?感想とか全然聞けなかったし。」

由実「…読んだよ。」

紫「どうだった?」

由実「それよりさ、その友達。」

紫「ん?」

由実「私が来なかったらその友達と会ってたの?」

紫「え?まあ、そのくらいしか思いつかないってことよ。」

由実「…私がいなくったってよかったってこと?」

紫「ううん。由実が来てくれて嬉しいよ。」

由実「…ふーん。」


紫N「なんとなく、今日は本当に機嫌が悪いみたい。慶一郎さんとの生活が見えるからなのか、私に新しく友達ができたからなのか。」


由実「…紫とお泊まりだなんて、私ばっかり意識しちゃってさ。私以外の代わりもいたなんてちょっと心外。」

紫「そういうんじゃないよ。ランチしかしたことないもん。」

由実「そこじゃなくて。」

紫「なに?」

由実「はあ。分かっててやってるんだったらとんでもない女だよ。」

紫「なに?由実、嫌なことでもあったの?」

由実「嫌なことだらけだよ。最近。」

紫「そうなの?」

由実「この間、幼馴染の結婚式だったんだけどさ。」

紫「うん。」

由実「あ、これ写真。」

紫「…」

由実「こいつがまたどうしようもないやつでさ。自分の結婚式で人の世話焼いてさ」

紫「ねえこれ。」

由実「ん?」

紫「この花、どこの式場?」

由実「ああ、フラワーデザイナーにデザイン任せたって言ってたよ。」

紫「巌水燈先生?」

由実「あー、うん。たしかそんな名前でやってたな。」

紫「え、もっとないの?写真。」

由実「好きなんだっけ?」

紫「うん!」

由実「実は、」

紫「この前あってた個展、お友達と観に行ったんだよ」

由実「…。そう。」

紫「わあ、綺麗。でもこれ、すぐに片付けちゃったんでしょ?あーあ。枯れてるところも見たかったな。」

由実「…いつ?」

紫「え?」

由実「その個展行ったの。いつ?」

紫「えっと、去年の末、」

由実「知らなかった。」

紫「由実もお花好きなの?」

由実「ううん。普通。」

紫「今度あったら誘ってもいい?」

由実「いいよ。」


由実「でも、その友達と行く前にして。」


紫N「彼女の瞳が揺れる。」


由実「何か、そんなに仲良くなってるなんて。」

紫「好きなものが一緒だから。」

由実「なにそれ。」

紫「ね?由実も読んでくれたんでしょ?恍惚」

由実「うん」

紫「好きだった?」

由実「…どんな気持ちでおすすめしてんだろって思ったよ。」

紫「嫌いだった?」

由実「…面白かったよ。」

紫「え?本当?どの辺が?」

由実「最後。」

紫「最後?」

由実「全部諦めて死んじゃうんだって。」

紫「…そう。」

由実「ねえ。紫はどういうとこが好きなの?」

紫「全部。」

由実「…どういう気持ちで私に読ませたの?」

紫「…同じもの好きでいてくれるかなって。」

由実「…」

紫「どういう解釈で読んだ?」

由実「紫は?」

紫「今世じゃ結ばれないから、来世では結ばれますようにって。そんな解釈?」

由実「それ、紫の感想?」

紫「お友達はそう言ってたよ」

由実「…あのさ。わざとやってんの?」

紫「なに?」

由実「紫。」

紫「そんなに嫉妬しちゃうもの?私にお友達ができ」

由実「…紫。わざとやってんなら、それは許さないよ。」


紫N「さっきまで外は晴天だった。なのに」


由実「二つ並んだ歯ブラシとか、そこに飾ってある結婚式の写真とか、あのペアカップとか。」


紫N「突然降り出した篠突く雨」


由実「ここは私にとってただの地獄だよ。」


紫「…」

由実「挙句の果てに。知らない仲良い男の話?ふざけないで。」

紫「…由実」

由実「私がいつまでも紫の方みてるって。自惚れてんの?」

紫「自惚れてないよ。」


紫「事実でしょ?」


紫「いつまでも、見てるでしょ?」


由実N「乾いた音。痺れる左手。」

紫N「熱くなった右の頬はちりちりと私を侵食する」



由実「…。恍惚。何考えながら読んだと思う?」

紫「なに?」

由実「弱虫だって、情けないって思いながら読んだんだよ。」

紫「弱虫?」

由実「今世じゃ結ばれないから?諦めてんじゃないよ。今世で結ばれないと意味がないんだよ。」

紫「…」

由実「私は諦めない。」

紫「…そう。」

由実「花咲に会わないのは、殺してしまいそうだからだよ。」

紫「慶一郎さんを?」

由実「その友達だって、きっと紫が好きなんでしょ?」


由実「全部、燃やすよ。」


紫「…私ね。あの本、普通じゃないから好きなの。」

由実「あんたと一緒だ。」

紫「そう。でも、私ね、ずっと普通になりたいんだよ。」

由実「…」

紫「普通に、なりたいんだよ。」


紫「バカでしょ。慶一郎さんと結婚したのだって、世間一般でいられると思ったから。」

由実「なにそれ。」

紫「普通になりたいって言いながら、恍惚の世界感が好きだし、由実にも意地悪しちゃうし、私バカなの。近づいたり離れたり、本当。バカみたい。」

由実「…バカだよ。」

紫「うん。」

由実「一生私に意地悪する気なの。」

紫「…。」

由実「ねえ、紫。」

紫「言わないで。」

由実「紫。」

紫「言っちゃ、ダメ。」

由実「普通になんかなれやしないんだから。」

紫「それでも、言わないで」

由実「私を普通から引き離したくせに。」

紫「由実」

由実「許さない。紫が幸せになれない今世なんて。」

紫「由実っ」


由実「…っ、好きだよ。」


由実「普通じゃなくて、いいじゃん。」


由実「どうせ死んだら同じだよ。」



由実N「憎らしくて愛おしい彼女が、はじめて泣いた。目頭から溢れ出した透明は音もなくフローリングに落ちた。」


紫N「私の中で大きな音を立てて壊れていく。いつか。お母さんとお父さんが言う“普通”になるんだって思っていたのに。ゆらゆら揺れる、私が1番欲しかった感情。羨ましくて独り占めした、彼女に壊されるなんて考えたこともなかった。」


由実N「冷たくない床に膝をついてぽつぽつ話す彼女は、私が好きになった女だっただろうか。はじめて見る彼女の泣き顔。私の好きになった女は、もっと強かでもっと賢くて。こんな弱々しく泣くような女だっただろうか」


紫N「誰にも言ったことのない私の本当は、仁王立ちする彼女の足元にぽろぽろ零れていく。私を好きな彼女は慰めもせずただただ私を見下ろしている。」


由実N「何を考えているかわからない紫は、本当はどこにもいなくて。考えすぎて分からなくなっている彼女しかここにはいなかった。」


紫「私は、普通になりたい」

由実「紫」

紫「それなのに、そうじゃないものにばかり惹かれるの。」

由実「うん。」

紫「お父さんが死ぬ前に言ったの。順応性に欠けるお前は俺のように生きていけなくなるって。」

由実「…」

紫「お父さんみたいには、絶対になりたくない。」


紫「私は、普通になりたいの」


由実「…無理だよ。」


由実「だって、紫。私のこと好きじゃん。」


由実「どうしようもなく、好きなはずじゃん。」


由実「私に意地悪したくて花咲と結婚したんでしょ?」


由実「私に嫉妬されたくてお友達も作ったんでしょ?」


由実「紫。」


紫「…っ」


由実「好きだよ。」


紫N「私の髪の色は染めてもないのに栗色だった。学生時代は黒く染めろとよく叱られた。」

由実N「柔らかな栗色を掴んで上を向かせると、決して美人とは言えない歪んだ顔がそこにあった。」


紫「…言わないで。」

由実「好き。」

紫「やめて」

由実「大好き。」

紫「由実、」

由実「花咲が出張から帰ったら、2人で殺して北海道の青い海に沈めようか。」

紫「っ、」

由実「そう思ってるよ。ずっと。」

紫「やめて、」

由実「今いいなって思ったでしょ。」

紫「ゆみ」

由実「でも、今まで散々意地悪されたんだ。すぐには叶えてあげないよ。」


由実「好きにさせた責任、とって。」


紫N「ひっくり返された天秤は、答えすら聞いてくれない。50V型のテレビに映る偽物の魚。死ぬことすらできない世界で穏やかに泳ぐ彼らは一層愚かに見えた。」


由実N「噛み付いた唇は少ししょっぱくて、温くて柔らかかった。融解する瞳、絡ませる指。ふと触れたプラチナが今日はやけに鈍って見えた。」


紫「いっ、」

由実「好き。」

紫「ゆ、み」

由実「その顔。1番好き。」


紫N「首には赤い罪の痕。」


由実「死ぬまで許さないよ。一生かけて償って。」


紫N「私の作った砂の城は、踏み躙られ」

由実「紫。」

紫N「なんて、美しい積木崩し。」


由実「顔、溶けてるよ。」

紫「誰のせい?」

由実「自分のせいでしょ。」

紫「由実のせいよ。」

由実「うるさい口。」


紫「…へたくそ。」


由実N「ゆらゆら揺れるのは、もうやめよう。この腐った花は自分が腐ってることにすら気付けない愚か者だ」


紫N「枯れるまで待つには、もう惜しかった。」


由実N「だから私が燃やしてしまおう。」


紫N「より一層憐憫に。」

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燦爛に 有理 @lily000

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